生活困窮者支援NPOの奥田知志さん

民進党福岡県連の「なでしこ塾」の公開講座で、NPO法人抱樸の奥田知志さんの講演を聞きました。職業柄よく講演を聴きますが、「役に立つ講演」はけっこう多いですが、「感動する講演」はたまにしかありません。奥田さんの講演は「感動する講演」でした。

奥田さんはNHK番組の「プロフェッショナル 仕事の流儀」で2回も取り上げられた有名人です。残念ながら私はその番組を見ていないのですが、2回も出た人はあまりいないそうです。また、SEALDsの奥田愛基さんのお父さんとしても最近は有名だそうです。

奥田知志さんは、北九州市でホームレス支援の活動を1988年からスタートし、これまで2800人のホームレスの人たちの自立を支援してきました。生活支援、就労支援、子どもの貧困対策等、さまざまな問題に総合的なアプローチで取り組まれています。スタッフは104人まで増え、活動場所も北九州市、福岡市、下関市、中間市と広がっています。日本のNPOとしては、かなり大規模な部類に入ります。そのマネジメント能力もすごいです。

こうやってブログでまとめても感動は伝わらないかもしれませんが、キリスト教の牧師としての訓練を受け、西南学院大学等で神学を専攻した奥田さんの言葉には力があり、わかりやすくて心にすっと入ってきます。

奥田さんたちの生活困窮者支援は、単に生活保護費という「現金を配ればよい」という発想とは異なります。経済的な困窮だけではなく、社会的孤立や障がい、虐待経験等のそれぞれの人が抱える問題に向き合い、名前のある個人として個別の支援プランをつくります。

奥田さんたちのNPOは、子どもの貧困に関しても、学習支援や子ども食堂だけではなく、親の貧困問題に目を向けます。一般に「子どもの貧困」と言いますが、子どもが稼ぐわけではありません(原則として児童労働は禁止です)。子どものいる世帯の貧困に目を向けることが大切です。高校中退の問題、親の失業や精神疾患、DV等にも目配りし、子どもと家族を「丸ごと」支援するスタイルをとります。

具体的な話も興味深く思いましたが、一番印象深かったのは、奥田さんの今の日本社会の風潮に対する危惧です。最近の相模原市の障がい者殺害事件では、犯人は「重度の障がい者を殺すことが社会的に正しい」と主張していること、さらにはインターネット上で犯人をほめる声すらあることを奥田さんは非常に危惧されていました。

犯人は障がい者の命は「意味のない命」であると考え、それを支持する声が一部にあるという事実は、とても恐ろしいことです。むかし少年たちがホームレスを集団で暴行して殺害する事件がありました。その少年たちも「ホームレスを街から排除することは良いことだ」と認識していました。

命を軽視する風潮が広がっているのではないか、と奥田さんは懸念しています。在日韓国人に対するヘイトスピーチも同じ流れだと思います。じわじわ広がるヘイトスピーチやヘイトクライムは、分断された日本社会の象徴です。

つい最近の東京都知事選挙でも選挙運動中に公然と在日外国人に対するヘイトスピーチを行う候補者がいました。選挙活動の自由という大義に守られて、ヘイトスピーチを行うのは卑劣です。そういう流れを放置していたら、日本社会が少しずつ少しずつ危うい方向に向かってしまいます。

ドイツ神学を研究されていた奥田さんは、ドイツのルター派牧師であり反ナチス運動の指導者でもあるマルティン・ニーメラーの詩を引用されていました。講演中に書きとれなかったので、あとでネット検索してみたら、日本語訳にはいろんなバージョンがありました。とりあえず有名なので、丸山眞男訳(「現代における人間と政治」1961年)を引用します。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。

それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。

それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。

さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。

相模原市の障がい者施設の事件の犯人は、ナチスの思想に影響されたと報道されています。ナチスも障がい者やユダヤ人を「生きる価値のない命」と見なして虐殺しました。

多くのふつうのドイツ人は、ナチスのユダヤ人虐殺に気づいていたのに傍観しました。自分には関係ないと思って黙っていました。そのうち段々と残虐行為や弾圧が広がり、一般のドイツ人まで被害が及びました。最終的にドイツは戦争に負け、多くの人命と広大な領土を失いました。

ドイツほど科学技術や文化・芸術が発展した当時の先進国、さらにワイマール憲法という当時もっとも民主的だった政治体制のもとでナチスが生まれ、世界を相手に無謀な戦争を起こし、多くの人を死に追いやり不幸にしました。多くの国民がナチスの蛮行から目を背け、見てみないふりをしていたからです。

21世紀の日本でまったく同じことが起きるとは思いません。しかし、それに近いことが起こる可能性は十分あると思います。国民の権利や人権を守る戦いは、これまで以上に重要だと思います。経済的低迷が続き、多くの人が自信を失っている状況は、ナチスのような全体主義を生みやすい土壌なのかもしれません。障がい者や在日外国人といった人たちへの差別や暴力を決して許さないこと、無関心にならないことが、大切だと改めて思いました。