極右は「変な人たち」という正しいレッテル

この十年ほど私は「ポピュリズム政治とどう戦うか」というテーマについて考えてきました。そんな問題意識のもと最近読んだ「週刊東洋経済」(2024年9月7日号)の「極右は『変な人たち』という正しいレッテル」という記事に感銘を受けました。

シンプルな解決策すぎて驚き感動します。この記事を書いたのはドイツ生まれのプリンストン大学の政治学者のヤン=ヴェルナー・ミューラー教授で、「ポピュリズムとは何か」などの著書があります。

最近の世界の政治情勢を見るとポピュリズム政治に歯止めがかかる事例も見られ、勇気づけられます。フランスでは極右が躍進すると見られていましたが、左派政党と中道政党が連携して極右の伸長を阻みました。アメリカではトランプ再選が確実視されていましたが、カマラ・ハリス副大統領への選手交代で民主党が息を吹き返してきました。

ヤン=ヴェルナー・ミューラー氏は次のように述べます。

ハリスが副大統領候補に選んだミネソタ州知事ティム・ウォルズは、トランプとトランプが副大統領候補に指名したJ・D・バンスを「変な」人たちと呼び、多くの人々はこれに大喜びしている。

「変なやつら」というレッテルは子どもじみた悪口だと批判する向きもあるが、そうした批判は的外れだ。というのは、極右ポピュリズムとの戦いでは、このような人物描写は極めて効果的なものとなりうるからである。

何しろ、極右のポピュリストたちは「本当の国民」、あるいは「声なき多数派」の声を代弁していると言い張ることで自らを「普通」の代表に位置づけてきた。そうしたポピュリストの支持層は、悪徳エリートや移民、性的少数派といった「よそ者」の脅威に脅かされた「普通の人々」によって構成されているという建前がつねに打ち出されてきたわけである。(中略)

「声なき多数派」の声を代弁していると主張する極右ポピュリストは、実際には「声の大きな少数派」にほかならない。多数派の代弁者を装いながら、それ以外の人々を中傷する動きは民主主義への脅威となる。選挙に負けたポピュリストが「いかさまの選挙だ」と叫んで、極端な行動に出ることが多いのは偶然ではない。

多数派は実際には極右のポピュリスト勢力を支持してなどいない。極右の語りをコピーし、極右と手を組む中道保守政治家が増えたことで、極右政党が一段と普通の存在と見られるようになった。これが事の真相なのだ。

日本人の我われも学ぶべき教訓だと思います。極右の人たちは「変な人たち」です。極右は「普通じゃない」という刷り込みを社会で定着させる必要があります。あきらかな侵略戦争や人権侵害の事実から目を背け、耳に心地よい歴史認識に基づき、排他的な主張をする人たちは「変な人たち」です。

問題が起きると荒唐無稽な陰謀のせいにする人たちも「変な人たち」です。何でも外国人のせいにする人たちも「変な人たち」です。おかしな言動をとる人たちに「変な人たち」とレッテルを貼り、「あの人たちは普通じゃない」と決めつけることが、極右勢力が議席を得るのを防ぐことになるのかもしれません。

もうひとつ大事な教訓は、中道保守政治家は極右と組んではいけないという点です。ヒトラーのナチスも財界や保守政治家と連携して権力にたどり着きました。保守政治家が、民主的ではないナチスを避けていれば、悲劇は防げた可能性があります。

保守政治家は、極右と組むくらいなら、中道左派(リベラル)と組むべきです。リベラルの側も極右を戦うためには、中道保守勢力と協力する必要があります。リベラル側も中道保守を毛嫌いせず、極右を排除するためなら、連携する必要があります。そこも意外と重要なポイントです。