実家の書庫から20年以上前に出版されたアマルティア・セン著「自由と経済開発」を引っぱり出して読み直してみました。データなどは古くなっていますが、考え方はいまでも新鮮です。
アマルティア・センは1998年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者ですが、「民主主義国では飢饉は起きない」といった主張で知られ、民主主義や貧困の問題を実証的に研究してきた学者です。国際援助の動向や各国の政策にも大きな影響を与えました。
書名に「自由と経済開発」とありますが、ここでいう「自由」は日本語の「自由」の一般的イメージより広い意味です。センは「政治参加の自由、基礎的な教育や医療を受ける機会など」を「本質的な自由」とみなします。ざっくりいえば、「欠乏からの自由」や「恐怖からの自由」もふくめて「自由」ということだと私は解釈しています。
そして開発の目的は、不自由の主要な原因を取り除くことだとセンはいいます。個人的な自由の実現は、社会的な目標でなければなりません。自由の拡大は、開発の目的でありかつ手段です。
立憲民主党の立ち位置は一般的に「リベラル」と呼ばれますが、「リベラル(liberal)」という言葉自体がもともと日本語に訳せば「自由な」という意味です。立憲民主党としては「自由」を重視しないわけにはいきません。その時に「政治参加の自由」だけではなく、「基礎的な教育や医療を受ける機会など」も「本質的な自由」にふくめて考えるセン流の「自由」をめざすことが大切です。
センの有名な主張のひとつが「民主主義国では飢饉が起きたことがない」というものです。民主主義と飢饉の関係について次のように述べます。
民主的な形態の政府と、比較的自由な報道のある独立国では大きな飢饉はどこでも一度も起こったことがない。(中略)独立国、定期的に選挙が行われる国、批判を発言できる野党が存在する国、自由な新聞報道が政府の政策の妥当性を大規模な検閲なしに問いただすことが許される国では、飢饉が現実になったことは決してない。
センは「選挙」「野党」「自由な報道」の3つがそろった国では決して飢饉は起こらないといいます。そして「民主主義の実践と野党の役割」という節を設けて、野党の役割の重要性について述べ、野党が公共政策が誤っている場合には政府を激しく非難することが大切だと主張します。
そして興味深いのは、野党が存在することは民主的な政府が存在しない国でも重要として、次のように述べます。
実際のところ、野党勢力の積極姿勢は、民主的社会だけでなく、非民主的社会においても重要な力である。例えば、民主的な保障がないにもかかわらず、民主化以前の韓国、ピノチェト政権下のチリにおいてすら、野党勢力(非常に劣勢だったが)の活力と粘り強さは、民主主義が回復する前にもこれらの国の統治に間接的に効果があった。両国で成果を上げた多くの社会政策は少なくとも部分的には野党の魅力を減じさせることを目指したもので、これにより、野党は政権を奪還する前ですらある程度有効な力を発揮していたのである。
ここでおもしろいのは「野党は政権を奪還する前ですらある程度有効な力を発揮していた」という点です。日本でも同様です。立憲民主党の政策提言をしれっと素知らぬ顔で政府が採用しているケースも多々あります。自民党政権の柔軟さ・したたかさを示していますが、それによって国民の利益になるのであれば、それは良いことだと思います。
もちろん政府(行政)の監視は、議会の重要な役割ですが、与党の自民党議員が政府の監視に力を入れることはあまりないので、野党の役割がとくに重要です。野党による政府批判(行政監視)と政策提案はどちらも重要だとセンは主張します。
衆議院選挙が終わったばかりで、あと3~4年は政権選択選挙がありません。しばらく立憲民主党の野党暮らしは続きます。しかし、アマルティア・センがいうように、野党には重要な役割があります。
民主主義を機能させるには、健全な野党と慶全なメディアの存在が不可欠です。「確かな野党」という言葉がありましたが、野党として機能する政党であることが、次の政権を狙うための大前提です。政府批判(権力の監視)と政策の代替案を示すことは、野党にとってどちらも同じくらい大切です。
*参考文献:アマルティア・セン 2000年「自由と経済開発」日本経済新聞社