今朝(3月20日)の西日本新聞の報道によると、東南アジアの優等生だったタイでは、民主主義が後退しています。軍事政権が新憲法草案をつくり、上院議員の選挙をやめて、軍事政権が上院議員を任命することになるそうです。政党や政治家の活動が制限される方向で憲法改正がなされ、民政移管は遅れる見込みとのこと。現代の日本人には理解できない感覚です。戦前の日本のようなことが21世紀の世界で起こっているようにも思えます。
冷戦が終わった1990年代の世界は楽観的な雰囲気でした。私が大学で途上国問題を学び、JICAの職員として勤務していたのが1990年代でした。冷戦が終わったころにアメリカのネオコン政治学者のフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を書いて、民主主義と市場経済が最終的に勝利をおさめ「歴史が終わる」と主張しました。しかし、歴史は今も続いています。その後のイスラム原理主義の拡大、中国共産党や北朝鮮の政権維持、そしてタイの民主主義の後退など、歴史が終わっていないことは明らかです。
うろ覚えで恐縮ですが、かつて「2500ドル仮説」というのがありました(「2000ドル仮説」だったかもしれません???)。経済発展が進み「一人当たり国民所得が2500ドルを超えると民主化が進む」という、かなり楽観的な仮説だったように記憶しています。タイの一人当たり国民所得は5000ドルを超えていますが、民主主義は後退しています。タイはもはや「発展途上国」とは呼べず、「中進国」と呼べるでしょう。ある程度豊かになった国でも、いったん根づいたかに見えた民主主義が後退しつつあります。
耳にタコができるほど言われる例かもしれませんが、戦前のドイツは当時もっとも民主的だったワイマール憲法のもとでナチス政権を生みました。あれほど文化程度や知的水準の高いドイツ国民が、ユダヤ人虐殺という人類史上まれにみる組織的な蛮行を引き起こしました。
民主主義というものは、黙って守れるものではありません。油断しているとズルズル後退するものだということを、タイの事例は教えてくれます。軍事政権が一気に民主主義を破壊するのは、ある意味でわかりやすく見えやすいので警戒しやすいと言えます。しかし、ズルズルと目立たないように一歩一歩着実に民主主義が後退していると、気付くのに時間がかかるのかもしれません。安倍政権のもとで、報道機関への圧力、多様性を失った政権与党、進む軍事化路線、低投票率(政治への無関心)等、ちょっと嫌な空気を感じます。いまの日本の民主主義は大丈夫でしょうか。ひとりひとりの国民が「民主主義や自由、権利を守ろう」と意識しないとあぶない時代になっているのかもしれません。