「保守」と「リベラル」のおもしろくて雑な定義

米国人の紛争解決の専門家(弁護士+臨床心理士)のビル・エディ氏が書いた「危険人物をリーダーに選ばないためにできること」(2020年、プレジデント社)という本を読んでいますが、けっこうおもしろいです。

ビル・エディ氏によると政治の世界の危険人物(ヒトラー、スターリン、毛沢東、トランプ等)は、イデオロギー的な左右を問わず、だいたいナルシスト(自己愛的パーソナリティ障害)かつソシオパス(sociopath:反社会的パーソナリティ障害)だそうです。そんな危険人物をリーダーに選ばないために有権者が考慮すべき点を述べた本です。

*注意:原語は「narcissist」なので、本当は「ナルシシスト」の表記が原語に近いのでしょうが、本書では「ナルシスト」の訳語が使われています。

この本の中でビル・エディ氏は「保守」と「リベラル」をわりとアッサリと定義しています。政治学者が卒倒しそうなくらい雑な定義ですが、おもしろかったので引用します。

一部の人々は、忠誠を高く評価し、権威に従い、自身が属する集団には共感を示し、知らない人を疑い、確実性や安定性を求める傾向を持っています。このような人々は一般的に保守寄りになります。

私の人生をふり返ると「安定性を求める傾向」があまり見られません。若いころアフリカのマラウイの屋台でビールを飲みながら大学の先輩(JICA関係者)と次のような会話をした記憶があります。

山内)ぼくはどっちかといえば “リスク・テーカー”(risk-taker)ですかね。

先輩)お前は自己認識を誤ってる。お前みたいなのは “リスク・テーカー”じゃなくて、“リスク・ラバー”(risk-lover=リスク愛好者?)って言うんだよ。

親しい人から「リスク・ラバー」と呼ばれた私は、不安定な人生を自らの意志で選択してきた気がします。「安定性を求める傾向」が薄い私は、やはり「保守寄り」ではないかもしれません。

次にビル・エディ氏は、リベラルについてこう言います。

新しいものや変化を求め、見た目の異なる人々に興味を持ち、知らない人でも困っていれば共感を示す傾向を持つ人もいます。このような人々は一般的にリベラル寄りです。

インドネシアやアフガニスタンなどの縁もゆかりもない国、治安や生活環境の悪い土地にわざわざ出かけて行って、人道援助に携わるようなおせっかいな人間は、やはり「リベラル寄り」だと思います。

むかし働いていたNGO業界では私などはおそらく「穏健保守」だったと思います。NGO業界の人は、だいたい「リベラル」か「スーパーリベラル」かのどちらかだった気がします。きわめてリベラルな人たちに囲まれて仕事をしていた頃は、自分は「穏健な保守だろう」と思っていました。しかし、平均的な日本社会の基準に照らすと、やっぱり「リベラル寄り」なんだろうと思います。

そもそも当時の国際NGO業界は「高い理想と低い給与」が基本でしたから、理想を追い求めない人はあまり就職しません。私がいた頃のNGO業界は潔癖な理想主義者のリベラルだらけでした。

ビル・エディ氏の「保守」と「リベラル」の区分を読んで、なんとなく自己認識と自分の立ち位置がクリアになった気がします。雑で単純すぎる区分ですが、なかなか興味深いと思いました。