「タレント候補」批判という逆風

西日本新聞の7月7日朝刊のコラム「永田健の時代ななめ読み」で特別論説委員の永田健氏が「私が投票しない政党」というタイトルの文章のなかで「タレント候補」を擁立する政党を批判していました。

私もまったく同感です。おそらくこのコラムは立憲民主党への批判でした。真摯に受け止めるべき批判だと思います。他のメディアも同様の批判をしているし、支持者からも同じ批判を何度も聞きました。

特に熱心な支持者から失望の声を聞きました。「立憲民主党を支持していたけれど、比例候補者にはガッカリした。選挙区では立憲に入れるけど、比例区は共産党に入れる」と言われたこともあります。ある日の駅頭活動では1日で4人の方から「タレント候補」批判を受けました。

選挙妨害になってはいけないと思って、選挙中はコメントを差し控えましたが、選挙が終わったので、自らの党についてあえて厳しいことを書かせていただきます。まず永田氏のコラムから引用します。

私は選挙での投票先を選択する際に、一つの基準を設けている。(中略)その基準とは「タレント候補を擁立した政党には投票しない」というものだ。ここで言うタレント候補とは「政治・経済や社会活動とは関係のない、芸能やスポーツなどの分野で知名度を上げた人物」で、なおかつ「これまで政治や社会的な問題について発言がなく、当選してもどういう活動をするのか見当がつかない候補」と定義しておく。

この定義は重要です。「タレント」出身の候補者がすべてダメということではありません。政治的・社会的な発信をしてきたり、社会貢献活動を熱心にしてきたりしたタレント出身の候補者はこの定義では排除されます。

タレント出身で人物的にも実務的にも優れた候補者は一定数いるのは間違いありません。知名度があり、かつ、熱心に政治的・社会的な活動をやってきた実績のあるタレント候補なら歓迎します。

続けて永田氏はタレント候補がいる政党には投票しないと言います。

政党がタレント候補擁立に積極的なのは、知名度による一定の集票が見込まれるからだ。特に参議院の比例代表では、個人名の票も政党の票とカウントされるため、党全体の票の底上げを期待できる事情もある。

しかし、その集票の一方で、逆にどれだけの票が逃げているか、一度考えてみてはいかがだろうか。有権者は「自分がなめられている」ということに気付かないほど、お人よしではないのですよ。

私も永田氏と同じ意見です。世論調査をすると政治家への信頼は低いですが、永田氏の定義による「タレント候補」が増えれば、さらに政治家への信頼は低下することでしょう。自分で自分の首を絞めていると思います。

「タレント候補」に入った票は「見える票」なので注目されますが、「逃げた票」は見えません。どれくらい「逃げた票」があったのかは正確にはわかりません。「逃げた票」は見えないから重視されない傾向があることに気をつけなくてはいけません。

毎日新聞の7月22日夕刊では、比例区の「タレント候補」のことを「著名人候補」と呼び、各党の「著名人候補」を取り上げています。その記事によると、「著名人候補」は立憲民主党が一番多いようです。

毎日新聞の定義する自民党の「著名人候補」は次の4人でした。

山本左近(元F1レーサー)

丸山和也(弁護士)

山東昭子(元女優)

橋本聖子(元スケート選手)

弁護士の丸山和也議員は「タレント候補」と呼ぶには気の毒な気がしますが、それを含めても4人です。自民党は比例区の候補者の数がダントツで多いから、比率的にもさらに少ない印象を受けます。しかも自民党のタレント新人候補は山本左近氏だけです。あとの3人は現職であり、実績もあるのであまり目立ちません。山東昭子議員や橋本聖子議員は、タレント出身できちんと議員活動している部類に入るでしょう。

それに対して毎日新聞の定義する立憲民主党の「著名人候補」は5人です。

奥村政佳(アカペラグループ元メンバー)

須藤元気(元格闘家)

おしどりマコ(漫才師)

斉藤里恵(筆談ホステス)

市井紗耶香(元「モーニング娘。」)

全員が新人候補です。自民党に比べて全体の候補者数が少ないので、「著名人候補」の比率は高く、とても目立ちます。多様な人材といいながら「著名人候補」に偏りすぎな印象をどうしても与えます。

立憲民主党の比例候補には、当事者を代表して市民活動にたずさわってきた候補者が何人もいました。LGBTQの当事者の石川大我候補が当選したのは本当によかったと思います。

その他に、セクハラ被害者の支援をしてきた佐藤かおり候補、交通事故被害者のための運動をしてきた真野さとし候補など、当事者として市民運動や政策提言に関わってきた候補者もいました。そういう当事者性を持つ候補者をもっと大切にすべきだったと思います。

そういう地道に市民活動をしてきた候補者よりも、メディアが取り上げるのは「タレント候補」ばかりです。「タレント候補」がメディアに頻繁に出ることで、市民活動系の候補者の影が薄くなります。世間のイメージは「立憲民主党はタレント候補ばっかり」というものになっていきます。

今回の参院選の得票を見ると、「タレント候補」の比率が高くて目立ったことで、永田氏のコラムの言うように「逃げる票」が多かったと思います。実際にそういう街の声を多く耳にしました。また、私が予測していたより比例票がずいぶん少なかったです。

比例票が目減りした要因のひとつが、「タレント候補」または「著名人候補」に偏った人選だったと思います。単に「テレビで名前が売れているから」という理由だけで候補者を選ぶのはやめにしなくてはいけないし、それでは票を得られない時代だという認識を持つ必要があります。

追記:本ブログに対して多くのご批判をいただきました。永田氏のいう「タレント候補」や毎日新聞の定義を使った「著名人候補」という表現を使ったのは、候補者個人を攻撃する意図ではないことを示すためでしたが、本意が伝わっていないようなので、お詫びします。候補者への個人攻撃を意図したものでは決してありません。本文中でも述べましたが、タレント出身の候補者がすべてダメだというつもりも全くありません。また、永田氏の定義する「タレント候補」イコール毎日新聞の定義の「著名人候補」ということではありません。ただ、外部から見た時に「タレント候補偏重」というイメージを持たれるのはいかがなものかという問題提起をしたものです。