ちょっと前の安倍総理の「悪夢」発言は、安倍総理の代議制民主主義に対する誤った認識を象徴しています。選挙中の安倍総理の「こんな人たち」発言とも同根です。
与党と野党を問わず、国会議員は「すべての国民」を代表するものとされます。しかし、安倍総理の発言は、自分を支持する国民だけのための政治を行っているように受け取られかねない発言です。
憲法15条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とあります。内閣総理大臣も公務員(特別職国家公務員)であり、当然ながら「全体の奉仕者」です。総理たる者は「一部の奉仕者ではない」という自覚が必要です。
憲法43条には、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とあり、衆参国会議員は「全国民を代表する」とされます。
小選挙区で当選した議員であっても、得票率は50~60%台というのが大半です。選挙区内で自分を支持していない有権者が3~4割はいるというのが一般的です。
しかし、自分に投票しなかった有権者の意思はまったく尊重しなくてよいということにはなりません。国会議員は「すべての国民」の利益をめざすのが筋です。自分の党を支持していない国民の利益も考えるのが、国会議員としての本来の役割です。
与党と野党とでは、アプローチや思想が異なっても、「すべての国民」の利益を追求するという共通の目的を共有していると考えるべきです。
手段は異なっても、目的は同じだと考えるなら、他の政党や政治家に対する一定の敬意を払って当然だと思います。党派を問わず、お互いの意見に耳を傾け、共通の土台の上に立って議論を尽くすのが、議会制民主主義のあるべき姿です。
そういう観点に立てば、一国の首相が他党の議員に対して公の場で「悪夢」などと言うのはあるまじき行為だと思います。少なくとも昔の自民党の歴代総理は、もう少し野党に対して敬意を払い、寛容だったように思います。
異なる意見を持つ人を「こんな人たち」などと呼び、「敵」と「味方」に二分する政治手法は、社会の分断をまねきます。格差が社会の分断をつくり、政治がその分断をさらに広げているのが現状ではないでしょうか。
私がきらいな言葉に「反日」というのがあります。外国人に向かって「あの外国人は反日だ」というのは、ケースによっては認められる表現かもしれません(たとえば、日本人に対して差別的な言動をする外国人を表すケース)。しかし、同じ日本人に向かって「反日」などと呼ぶのは理解不能だし、そういうレッテル貼りは社会の分断を深めます。多様な考え方を持つ日本人がいて当然であり、自分と考えが違う日本国民に対して「反日」という意味不明の中傷をするのは許されないと思います。
多様な価値観を認める寛容な社会をつくるには、政治の世界でも敵と味方を二分化して分断を生み出す手法は避けるべきです。政党は異なっても、主義主張は異なっても、「すべての国民の幸福と世界の平和を望んでいる」という程度の共通認識なら政治家同士で共有できると思います。
野党という立場上、権力の監視が仕事です。そのために内閣や与党を攻撃することはあります。しかし、批判するにしても人格攻撃にならないようにするとか、政策を批判するにしてもデータと論理に基づいて批判するとか、一定の配慮が野党の側にも必要だと思います。
しかし、より責任が重いのは政権与党です。日本国を代表する総理には、ある程度の自制心と度量、寛容さを求めたいと思います。他党への敬意を欠く発言はやめた方がよいと思います。首相みずから国民の分断を招くような発言は慎むべきだと思います。