日本人は「戦略」が好きです。書店に行くと「戦略」というキーワードがタイトルに含まれる書籍が数えきれないほどあります。軍事用語としては、「戦略」「戦術」「戦闘教義(ドクトリン)」といったレベル別の言葉がありますが、すべてひっくるめて乱暴に「戦略」という用語を使っている人も大勢います。日本人は戦略好きですが、歴史的に戦略的思考は得意でないように感じます。
他方、ユダヤ人国家のイスラエルは、周囲を敵対的なアラブ諸国に囲まれ、第二次大戦後に何度も戦争を経験し、さらに常にパレスチナゲリラやテロと戦い続けてきた国です。何度も戦争し続けて負け知らずのイスラエルという国なので、さぞ立派な戦略があるんだろうと思い込んでいました。ところが、イスラエル人が書いたテロ対策の本を読んでいて「戦略」に関して驚くべき記述に出会いました。
テロリズムは、国益にかかわるため、国家の長期目標にこの対応がどのような影響を及ぼすか十分に考えることも肝要である。しかし、このような戦略的大局観が明確に定義され、文章化された戦略は存在するのであろうか。いわば石に刻んだ文字のように代々引き継がれていく、国家のテロリズム対処法はあるのか。本書のため、インタビューしたイスラエルの政府要人は、大半の人がイスラエルには存在しない、と述べている。きちんと体系化され、文章化された明確なテロ対策は、過去に存在しなかったし、今もないのである。(中略)イガン・プレスラーは「(戦略は)ない。イスラエルは戦略を有しない。われわれは当座のことを考えて、行動している」と答えている。
アリエル・シャロンも「私は、戦略の存在を知らない。施設保護、保全の方法があるのを知っているが、それはあちこちにあるものを安全に確保する手法にすぎない」と述べ、自分としては、この分野では明確な政策が必要と思っているが、あっても公表すべきではないと付け加えた。
一方、シャブタイ・シャビットは「私の見解では、イスラエルが対テロ政策を有したことは、一度もない・・・・・・戦略レベルで考え、分析し、提案するシステム、またはそれを任務とする機関ないしはその役割を与えられた組織の存在を知らない」と述べている。(中略)
イツハク・シャミールは、対テロ政策の文章化に慎重で、「われわれは、方針について慎重でなければならない。すべてに方針が必要なわけではない」と述べている。
とても驚きました。イスラエルが「戦略なき国家」だとは思えないからです。イスラエルといえば、ユダヤ人国家です。イスラエル国民には、アラブ系イスラム教徒やアラブ系キリスト教もいますが、やはり主流はユダヤ人です。ユダヤ人といえば、「人口当たりのノーベル賞受賞者数」や「人口当たりの博士号取得者数」で世界一と言われます。とても教育熱心で知的レベルの高い国民性で有名です。
さらにイスラエル国軍は、数次の中東戦争で数倍のアラブ軍を破り、世界最強の部類に入る軍隊です。イスラエルの情報機関や治安機関も世界最高水準とされています。最強の軍隊、最優秀の情報機関を有するユダヤ人国家なので、よほどすぐれた対テロ戦略を持っていると思っていました。しかし、あえて戦略を作らない方針のようです。あるいは「戦略にこだわらない戦略」とでもいえるかもしれません。
イスラエル的な「戦略にこだわり過ぎると柔軟性を失い、かえって失敗する」という発想は斬新です。常に状況変化に対して柔軟に対応するというのは、一歩間違うと「行き当たりばったり」になりかねません。よほど「応用力」がないと、柔軟かつ的確な対応はできません。基礎的能力が高くないと、応用力はつきません。よほど実力がないと、戦略なしで柔軟に対応することはできません。世界最強のイスラエル軍やイスラエル治安部隊だからこそ、戦略にとらわれず、“戦略の欠如したテロ対策”を実行できるのかもしれません。
もちろんイスラエルのテロ対策も成功ばかりではありません。失敗も数多く繰り返しています。しかし、それでもイスラエルのテロ対策は世界最高水準です。イスラエルのすぐれている点は、「テロをゼロにする」という発想を捨てている点です。テロを根絶することは不可能であり、テロの低減化をめざしつつも、テロと向き合って共存し続ける方針をとっています。どんなに努力しても交通死亡事故がゼロにならないのと同様に、どんなに努力してもテロをゼロにはできない、と考えます。無理にテロをゼロにしようとすれば、あらゆるリソースをテロ対策に投入することになり、他の政策に力を入れられなくなるかもしれません。そういう割り切りは、とても「戦略的」だと思います。イスラエルの知恵には学ぶ点があるのかもしれません。
*参考文献:ボアズ・ガノール 2018年 『カウンター・テロリズム・パズル:政策決定者への提言』 並木書房