昨年12月からの1年間を振り返ると激動の1年でした。当選できたので個人的には良いこともあった1年ですが、日本の政治や社会全体をみると危ういことも多い1年でした。安倍政権が3分の2の議席を維持したのは、本当に悔しいです。
さて、昨年12月に民進党福岡3区支部の講演会を開き、枝野幸男さんに講師として来ていただきました。今年6月には福山哲郎さんに山内康一後援会の設立記念集会に講演に来ていただきました。お二人にはこの1年何かとお世話になっています。
今年7月に民進党の蓮舫代表が辞任表明し、9月1日に民進党の代表選挙が行われました。前原さんと枝野さんの一騎打ちになりましたが、私は当然ながら恩のある枝野さんの陣営に参加し、代表選では「負け馬」に乗りました。代表選のお疲れ様会では「どうすれば次の代表選で枝野さんを勝たせることができるか」と仲間と酔っぱらいながら議論していました。まさかその1か月後に枝野さんが新党の代表になるとは、夢にも思っていませんでした。
9月28日に衆議院解散が決まり、希望の党への民進党の合流が電撃的に決定しました。希望の党による「リベラル派排除」あるいは「枝野派排除」の流れで、「やはり」というか、「当然」というべきか、私も「排除」されました。
希望の党から排除され、立憲民主党の公認候補として衆院選に臨みました。福岡3区で支えていただいた多くの皆さまには、民進党から立憲民主党へと所属政党が変わっても、変わらず応援していただきました。支援者の皆さまと運に恵まれ、何とか当選することができました。
おそらく希望の党に行って、立憲民主党に行かなければ、落選していたでしょう。人生は何がさいわいするかわかりません。一時期の小池百合子知事や希望の党への高い支持を考えれば、希望の党から排除された直後は、衆院選の勝算はあまりないと感じていました。流れが変わる前と後では、風景がまったく異なって見えるものです。
振り返ってみると、理念や政策を同じくする枝野代表や福山幹事長と行動をともにしたおかげで当選できました。利害得失や時流よりも、政策理念の一致や自分の思いを大切にしてきてよかったと思います。福岡3区で民進党時代から支えて下さった多くの人も理解してくれて、気持ちよく選挙戦に臨めました。
9月の代表選のときは、前原氏が優勢なのは最初からわかっていました。枝野さんが代表選で負けるのは想定内でしたが、それでも枝野さんを応援して党内リベラル派の力を示すべきだと思いました。「勝ち馬に乗る」という発想はなく、「同じ考えの枝野さんを応援する」という観点で代表選に臨みました。
9月の代表選の枝野陣営の選対メンバーは、ほぼそのまま立憲民主党の選対メンバーに移行しました。立憲民主党の衆院選の選挙公約は、民進党の代表選の枝野さんの選挙公約とほぼ同じです。民進党代表選の枝野陣営に結集した仲間の多くが、希望の党から排除され、立憲民主党に再結集しました。立憲民主党が枝野代表を中心にまとまりが良いのは、9月1日の民進党代表選で一緒に戦った仲間だからだと思います。
9月1日の代表選の敗戦が、10月22日の衆院選の躍進につながったわけです。あの代表選がなければ、立憲民主党は誕生していなかったと思います。政治の世界は本当にわかりません。
常に勝ち馬に乗ろうとすると失敗することもあれば、負けるとわかっている戦いに参加したことで道が開けることもあります。勝算よりも、理念や義理人情を優先した方がよいこともあります。
正直申しますと、私が枝野さんを応援してきたのは、政策や理念だけでもありません。私の民主党入党時にいわば「身元引受人」になってくれたのが、枝野さん(当時の幹事長)と福山さん(当時の幹事長代理)のお二人でした。2014年の衆院選には埼玉13区から立候補しましたが、埼玉県連の枝野さんのお取り計らいでした。これだけお世話になった義理もあり、かつ、政策や理念も一致しているのであれば、勝ち負けは度外視して応援しなくてはいけない、そんな思いで9月の代表選を戦いました。
結果的には、立憲民主党のおかげで命拾いして当選することができ、枝野さんと福山さんにはさらに恩ができてしまいました。ご恩返しする間もなく、次の恩が積み重なってしまいました。恩の多重債務状態です。
来年は恩返しができるようにがんばります。もちろん日本の政治をよくする、社会を良くするというのが第一義的に重要ですが、その次くらいに恩のある党と枝野代表、福山幹事長のお役に立てるようにがんばろう、と思っています。いつの日か立憲民主党を政権交代可能な政党に育て、枝野幸男政権をつくることを目標に来年もがんばります。