昨日、福岡市内で市民連合の共同代表の山口二郎教授の講演を聴きました。そのなかで山口先生が「枝野的保守」という表現を使っていました。
このところ枝野幸男代表は、しばしば「保守」を自称しています。世間一般のイメージでは、立憲民主党イコール「中道リベラル」という感じだと思います。そのため枝野さんが「保守」を自称しているのを不思議に思う人も多いでしょうが、山口先生の説明を聴くとよく理解できました。今日は山口先生の説明を踏まえて、「枝野的保守」とその背景について書いてみます。
1.リベラルとは何か?
- 日本のリベラルの伝統は、戦前の石橋湛山や斎藤隆夫にさかのぼる。独裁(軍国主義)や戦争に反対するのは、日本近代リベラルの伝統である。
- アメリカ民主党的なリベラルの次の2つの要素も重要である。1つ目は、個人の尊厳を守り、あらゆる差別を許さない。2つ目は、すべての人の自由を保障するために、格差や貧困を放置しない(=積極的な政府支出ですべての人に人間らしい生活を保障する。)。
- 戦後日本における自民党政治におけるリベラリズムの流れも重要。しかし、安倍総裁の下で自民党の右傾化が進み、自民党内でリベラリズムを継承する者は少ない。
2.保守とは何か?
- 本来の保守(欧州の保守)は、人間の不完全性についての自覚を持ち、漸進的な改革を志向する(=革命的な変化を嫌う)。世の中の複雑性を認識し、「万能薬」的な発想を拒絶する。人間の思い上がりに対する警戒心が強い。
- したがって、安倍政治は「保守」ではない。安倍総理は、「右派」だが、「保守」ではない。
- 何を「保守」するかが大きなちがいとなる。安倍総理は大日本帝国的栄光を「保守」しようとしている。一方、「枝野的保守」は、平和主義や民主主義といった戦後日本の良い部分を「保守」しようとしている。
- 戦後日本政治におけるリベラリズムと保守の提携による民主主義の擁護が求められている。
山口先生のいう「枝野的保守」のイメージはつかめましたでしょうか?
リベラリズムは日本の伝統の一部でもあり、本来的には「リベラル」と「保守」は決して相いれないものではありません。安倍総理やその周辺が自称する「保守」というのは、本来の意味の「保守」ではありません。
立憲民主党がめざすのは、「リベラル」と「保守」の提携であるといえるかもしれません。かつての自民党のリベラルな宏池会的なハト派路線と再分配路線が、今の自民党ではすっかり弱くなりました。
穏健な保守派(ハト派)と社会民主主義的な流れやリベラルな考え方の人たちが連携し、安倍政治への対抗軸をつくっていく必要があると思います。これから党内でしっかり議論し、党内のコンセンサスをつくっていく必要があると思います。
*蛇足ながら昨年5月に枝野さんが語る「保守」についてブログに書きました。そちらもご一読いただければ幸いです。
枝野幹事長は「保守本流」か?
先日(5月11日)枝野幸男幹事長が福岡市内で講演しました。民進党のめざすもの、自民党とのちがいなど、興味深い話でした。枝野さんの講演の内容を大雑把に箇条書き的にまとめると以下の通りです。