ある人に次のような質問をされました。
官僚が政治家の指示に従うのは、当たり前じゃないですか。ずっと「官僚主導はダメだから、政治主導にしなければいけない」と言ってきたじゃないですか。忖度(そんたく)の何が問題なんですか?
良い質問です。簡単には答えられませんが、素朴で本質的な問いかけです。しかし、望ましい「政治主導」の定義を取り違えている点が問題なので、それをご説明します。
ここで政治家と行政官のあるべき関係、「政と官」のあり方という基本的なポイントを考えてみましょう。私の尊敬する政治家のひとりの後藤田正晴先生が「政と官」という本を書かれています。後藤田先生のように官僚のトップである事務の内閣官房副長官と官房長官の両方を務めた稀有の人材ならではの良い本ですが、現状を分析するには向いていません。
そこで、私の尊敬する政治学者(大学院の指導教官)の飯尾潤教授(政策研究大学院大学)の「日本の統治構造」(中公新書、2007年)の内容を踏まえてご説明させていただきたいと思います。この本は2007年サントリー学芸賞を受賞した本です。その後の公務員制度改革(政治主導や内閣機能強化)の方向性を決める上で、この本の果たした役割は大きいと思います。
では、本題に入ります。橋本行革以来、第二次安倍政権のころまでに日本政治の問題とされてきたのは、「官僚主導」や「決められない政治」というテーマでした。思い切った政策転換がしにくい構造が批判的に語られ、高度経済成長期型の経済や社会の構造をグローバル化時代にふさわしい構造に抜本的に変えていくことが「正義」とされる風潮でした。小泉総理の「構造改革」が多くの国民の支持を集めた時代です。
飯尾先生は「官僚内閣制」という用語を使い、「官僚内閣制」から「議院内閣制」へとバージョンアップすることをこの本でも訴えています。そしてその後の政治や行政の仕組みは、おおむね飯尾先生の主張の通りになってきました。
先進国の政治体制は「大統領制」と「議院内閣制」に分けられます。大統領制は「二元代表制」といわれ、大統領と議会が別々に選出され、それぞれに民意を代表する正統性を持ちます。一方で議院内閣制では、議会のみが民主的に選出され、議会を基盤とした内閣が成立するため、民意が一元的に代表されます(「一元代表制」と呼びます)。
議院内閣制のもっとも重要な性質は、行政権を担う内閣が、議会の信認によって成立していることです。そして議院内閣制は、政党政治を前提としています。議会の多数派を占める政党(あるいは政党連合)が、首相を出し、その内閣を支えます。もともと議院内閣制は「議会による政府」を意味します。
しかし、中選挙区時代の日本の政治と行政は、議院内閣制の基本原理から外れる現象が多く見られました。本来であれば、衆議院選挙は、立法を担う衆議院議員を選ぶ選挙であると同時に、政権を選択する選挙という性格を持ちます。
しかしながら、55年体制のもとでは、第二党の社会党に政権獲得の意思がなく(=社会党は過半数を超える候補者を擁立せず)、「政権選択選挙」としての意味合いがありませんでした。その結果、衆議院選挙で首相を選ぶという感覚は弱く、むしろ自民党内の総裁選挙で首相を選ぶというのが実体となります。総裁選を戦うために派閥ができ、派閥の力が強くなりました。小泉政権以前は、大臣ポストは派閥推薦で決まり、首相の人事権が制約されていました。しかも、当選回数主義で適性とは無関係に大臣が決まることも多く、かつ、ほぼ1年おきに大臣が交代することが常態化し、政治家である大臣が省内をコントロールすることはむずかしい状況が生まれました。
大臣に力も専門性もなく、大臣が単なる省庁の利益代表のようにふるまうことが多くなり、内閣としての一体感はなく、議院内閣制は機能不全を起こしやすくなります。官僚の代理人のような大臣が集まり、「官僚内閣制」と呼べるような状態が生まれました。官僚内閣制のもとでは、最終的な意志決定者が不明確になり、「連帯責任は無責任」という体質を招きます。太平洋戦争への道も「連帯責任は無責任」という感じでしたから、戦前から続く悪習といえるかもしれません。
また、官僚内閣制では、各省の大臣や族議員など拒否権プレイヤーが多くなり、思い切った政策転換がしにくく、そのことが「決められない政治」につながりました。首相の権限が弱くなり、首相のリーダーシップが発揮できない傾向も見られました。
*長くなったので、次回に続く。