ちょっと間があきましたが、保阪正康さんの「田中角栄と安倍晋三」の抜粋的書評のパート2です。この本でもうひとつ興味深かったのは、東条英機と安倍晋三の両首相の共通点です。
保阪さんによれば;
安倍首相の議会答弁やその体質は、東条とよく似ているとつぶやきたくなることが多い。たとえば、安倍は国会の場でよく、「私が最高責任者ですから」という言葉を用いる。これは東条もよく使った言葉で、重臣(首相経験者)などの質問にはしばしばこの語を口にした。「俺に逆らうな」との恫喝である。普通の政治家は他人から諫められたり、反対意見を述べられたりしたら、「自分にも間違いがあるのではないか」といったん立ち止まって考えるものだ。だが東条も安倍も「私が責任者」で反対意見を権力で跳ね返そうとする。これは対論を拒否するということだ。
東条と安倍の両首相の口ぐせと体質が似ているという指摘はおもしろいです。日本のふたりの首相は、英国のクレメント・アトリー首相の次の言葉を知らないだろうし、知っていても実践する気はなさそうです。
民主的自由の基礎は、他の人が自分より賢いかもしれないと考える心の用意である。
このふたりの首相は、最高権力の座にいるというだけで幼児的万能感を持ち、謙虚さがないのが共通点のように思います。
また、反対意見を封殺しようとする姿勢も似ています。マスメディアの批判に対して激しく反論して圧力をかけるのが、安倍政権の得意技です。ときには総務大臣が電波法をふりかざしてテレビ局を恫喝するようなことまでします。
東条もジャーナリスト出身の中野正剛衆議院議員が朝日新聞に投稿した「戦時宰相論」に激怒し、司法大臣に圧力をかけて逮捕させました。中野正剛氏は憲兵隊に連行され、自殺に追い込まれました。批判に対する寛容さのかけらもありません。
個人的にいちばんおもしろかったのは「本を読まない首相」という共通点です。長くなりますが、保阪さんの著書から引用します;
東条もそうなのだが、安倍晋三という人は本を読んで知識を積んだ様子がない人に共通の特徴を持ち合わせているように思える。底が浅い政治家といえるだろう。
私は仕事柄、本を読むほうだろう。また、多くの人と接してきた。そのため、対話しているとわかるのだが、本を読まない人には三つの特徴があるように思う。
一つが形容詞や形容句を多用すること。二つ目が「侵略に定義がない」という風に物事を断定し、その理由や結論に至ったプロセスを説明しないこと。もう一つはどんな話をしても5分以上持たないこと。それ以上は言葉を換えて同じことを繰り返す。知識の吸収が耳学問だから深みに欠ける。さらにあえてもう一点つけ加えるなら、自らの話に権威を持たせるために、すぐに自らの地位や肩書を誇示する。
東条はこうした点をすべて身に着けている。だから弱みを見せまいと恫喝するわけである。安倍首相にもこのような傾向があるように思う。それが序章でも指摘したとおり、この社会から真摯な討議の気風が薄れていく因にもなったのではないか。これは誤解であればそれに越したことはないのだが、安倍首相はきちんと本を読んでいないのではないか。あるいは物事を深く考えていないのではないか。さまざまな発言は単なる付け焼刃ではないか。それが私の安倍に対する見方である。
つまり、安倍の国会答弁を見ていると、戦前の軍人が国会で答弁している姿によく似ていると思う。言葉として表すと「形容詞の多用」「立論不足」「耳学問」の三大特徴ということになる。あるジャーナリストが「意味不明の安倍語」と言ったが、それがあたっているようにも思う。
安倍首相に関する本は何冊も出版されていますが、そのなかの1冊を書いた野上忠興氏によると、安倍首相は若いころから「とくに本を読むこともなかった」そうです。保阪さんの指摘には、まったく同感です。
私がとりわけ気になったのは「耳学問」の部分です。私は仕事柄、10年近くも自民党国会議員の生態を観察してきました。朝8時の自民党本部の部会(*政策分野別の政策検討会。「外交部会」や「農林部会」等)から始まり、夜は一晩に2つ3つと宴会や政治資金パーティーをはしごする毎日です。そんな生活を続けていたら、よほど心がけて移動中などに本を読まない限り、読書の時間がありません。自民党議員のかなりの部分は「耳学問」学派に属すると思われます。
何が「耳学問」の問題かといえば、次の3点だと思います。
- 自分の身近な人の情報しか入らない(直接会う範囲内の人の情報しか耳に入らない)。
- 知識が断片的になりやすい。体系的に勉強していないので、プロセスをすっ飛ばして結論だけが頭に入っている。要するに「聞きかじり」の知識。
- 自民党議員のいちばんの耳学問の情報源は「官僚のレク」である。そのため霞が関情報は大量にインプットされるが、その他の情報は入りにくい。とくに役所にとって都合の悪い情報は入りにくい。
第一の点に関しては、耳学問で話を聴く相手がすぐれた人ばかりなら、効果的な学習方法です。しかし、偏った思想の人たちや似たような背景の人たちばかりから耳学問を教授されると、バランス感覚のない人になります。安倍総理の周辺にいる人たちは、右派的イデオロギーの人、経済界や経産省官僚等の経済成長重視派の人が多いと思います。庶民感覚やリベラルな人権感覚が薄いのは、周囲に集まっている人をみればよくわかります.
第二の点に関しては、断片的な情報を耳学問で学ぶと、客観性に乏しい情報も多くなりがちです。たとえば、学術書やシンクタンクの報告書のような活字情報であれば、通常は引用元が示されていたり、参考文献リストがついていたりと、データの出所や根拠があきらかにされます。しかし、周囲にいるお友だちからワインを飲みながら耳学問で得た情報は、根拠のあやしい話や思い込みも多くなることでしょう。どこかの大臣が「学芸員がガンだ」みたいなことをおっしゃっていましたが、おそらく耳学問のいい加減な情報にもとづいてしゃべったのだと思います。
第三の点は、霞が関と自民党の族議員の癒着の構造とも関係します。朝8時の部会にはじまり、夜の宴席でも自民党議員と官僚がいっしょになる機会は多いです。官僚はだいたい優秀ですし、その分野の知識と経験は豊富に持っています。官僚の情報や専門性に一定程度の敬意を払い、その情報や知識を活用するのは当然のことです。
しかし、官僚には官僚の利害があり、官僚制の特色として前例踏襲主義や視野の狭さ、タテ割りの弊害もあります。官僚の専門知識を活用しつつも、官僚だけに頼らないことが大切です。官僚だけに頼らないためには、民間シンクタンク、学者、NPO、専門職団体、衆議院や国会図書館の調査員など、いろんな情報源からダブルチェック・トリプルチェックができる情報を集め、勉強しなくてはいけません。それは耳学問では不可能です。しかし、私が観察してきた自民党議員のかなりの割合は、完全に官僚機構を信頼して一蓮托生の関係になっています。
ちょっと話が外れますが、ネットで入手できる情報も耳学問と同じ性格だと思います。ネットの世界では、自分に都合の良い情報だけが集まるように設計され,耳に心地よい情報ばかりに囲まれる危険があります。自らの思い込みを補強するような情報ばかりがパソコンやスマホの画面に表示されます。ネットの情報、とくに匿名の情報はあやしいものが多いです。ネット上にも信頼できる情報源は多々ありますが、その元データは学術書だったり政府統計だったりと活字情報であるケースが多いです。情報源をネットだけに頼っていると、耳学問と同じ弊害におちいります。「ネット学問」と「耳学問」では、本物の学問はできません。本や報告書といった活字情報は、これまで同様に重要であり続けると思います。
最後に英国労働党のマイケル・フット元党首の言葉を安倍総理に送りたいと思います。
権力の座にいる人には、本を読む時間がない。しかし、本を読まない人は、権力の座に適さない。
*参考:保阪正康、2016年 「田中角栄と安倍晋三」 朝日新書