昨年(2015年)8月から今年2月まで約7か月間(2学期)ほど大学院で政治学を学びました。衆議院議員を3期(約9年)経験して、そのあとで政治学を学び直すと、がっかりすることもありました。政治学者は、政治家にとても厳しいです。
政治学者の一部(例えば、公共選択論の専門家)は、議員の行動を「再選動機」だけで分析します。いわば「政治家=選挙のことしか考えていない人たち」という発想です。公共選択論の世界では、政治家は権力維持と自分の利益しか考えない利己的な存在として描かれます。その手の政治学者は、政治家が「より良い社会をつくりたい」といった純粋な理想に基づいて行動するとは考えません。
公共選択論では「一見すると利他的な動機に見えても、実際には建前や名誉心、自己満足という利己的な動機が内在している」といった性悪説的な見方をしているのだと思います。「弱い立場の人たちを助ける仕事がしたい」といった動機も、自己満足や名誉欲の一部と分類するのでしょう。身もフタもない人間観です。
あるとき某政治学者の本を読んでいて、はたと気づきました。一部の政治学者が政治家を見るときの態度は、病理学者がバイキンを見るのと同じ態度だということです。「分析対象だけれども、汚いから直接さわりたくないなぁ」みたいな感じでしょうか。バイキンの研究で論文を書き、研究成果を発表したいけれども、バイキンを素手でさわって変な病気になるのはイヤだなぁ、という感じでしょうか。
確かにA国の共和党の某大統領候補者を見ていると、「政治家=バイキン」という見方も仕方ないかもしれません。あんな政治家は例外に属すると信じたいものです。共和党の大統領候補にまで選ばれたところを見ると、例外とは言い切れないかもしれません。政治の世界で活動する者として残念なことです。
世間で「政治家は信用できない」「政治家はバイキンみたいなもんだ」という見方が広がれば広がるほど、まともな人間が選挙に立候補しなくなります。尊敬されない職業には、尊敬に値する人材はなかなか集まりません。信用できない人ばかりが政治家をめざせば、政治はさらに悪くなるという悪循環です。政治家は、信用されない職業であり、かつ、世襲でない限りはハイリスクです。それでも政界に尊敬できる先輩議員が一定数いるのは、ある意味で奇跡に近いのかもしれません。
以前、人柄といい、能力といい、経歴といい、申し分のない候補者をくどいて国政選挙に立候補してもらったことがあります。しかし、彼は2度続けて落選してしまい、政治の世界から足を洗いました。彼は公務員を辞めて立候補し、お金でも苦労したと思います。彼にも彼の奥さん(私の大学の後輩)にも子どもたちにも苦労をかけてしまい、本当に申し訳なく思っています。深い罪悪感は今でも消えません。
そのことがあって以来、基本的に人に政治家になることを勧めていません。ときどき政治家志望の人から相談を受けることもありますが、政治家になることのリスクや難しさ、その上でやりがいなど、長所と短所をバランスよく説明するようにしています。「最後はご自身の判断ですよ」と突き放した言い方をするように心がけています。向いてなさそうな人には向いてないとハッキリ言います。よほど優秀で当選可能性がありそうな人以外には、政治家を薦めないように努めています。
他方、政治に信頼と取り戻し、まっとうな政治家を増やす方法を考えなくてはいけません。「ニワトリが先か、タマゴが先か」という議論になりますが、「信用できる政治家を増やして、政治に信頼を取り戻すこと」と「政治を信頼して敬意を払い、信用できる人材が立候補しやすい環境を整えること」を同時並行で進めることが大切です。
人材のすそ野を広げるためには、立候補のハードルを下げる必要があります。政治の世界に入りやすいのは、次のような人たちです。(1) 親が国会議員(将来の世襲議員)、(2) 地盤や人脈をつくりやすい議員秘書、(3) 資産家、(4) 資格があって落選しても食べていける人(弁護士、医師等)、(5) キャリア官僚。言い換えると「落選するリスクが低い人」あるいは「落選しても食べていける人」が、国会議員になりやすいわけです。
したがって、「ふつうの人」には、立候補のハードルはとても高いです。自営業、農業、サラリーマン、地方公務員、学校の教員、大学教授、NPOスタッフといった多様な背景と専門性を持つ人が国政に参加した方が、政治がより良くなると思います。
立候補のハードルを下げるには、企業や官庁に「立候補のための休職制度」を広げることも有効だと思います。官公庁や地方自治体の公務員は、行政経験があるので議員になれば即戦力になります。民間の多様な人材が、政治の世界に入ることも重要です。
イギリスでは銀行などで働きながら週末だけ選挙運動をやって下院(=日本の衆議院)議員選挙に出たりできるようです(小説で読んだのですが、本当だと思います)。フランス、ドイツ、イタリアなどでも休職して立候補できるし、議員活動をやめた後でも元の職場に復帰できます。議員活動をやっている時期の分の定期昇給さえ認めている国もあるそうです。
政治家の子どもとか、議員秘書とか、医師や弁護士とか、特殊な家庭環境や特殊な職業の人しか国政選挙に立候補できないというのでは、優秀な人材は集まりません。世襲議員の多い日本も不幸ですが、アメリカのように国会議員に占める弁護士の割合が異常に高い国も不幸だと思います。議員のバックグランドの多様性を確保することは重要です。
政治家をバイキン扱いしていると、バイキンと言われても平気な人しか立候補しなくなります。優秀な人材を政治家にするために、社会全体で背中を押してあげる仕組みが必要です。教育では「ほめて育てる」ことが大切ですが、政治でもたまにはほめることも必要かもしれません。政治家が社会的に信用され、尊敬される職業になれば、より良い人材が政治の世界に入ってくると思います。能力とやる気があれば、性別や職業に関係なく、誰でも国会議員をめざせる国にしたいものです。そうすることが政治をより良くすることにつながります。
ちょっと長いですが、こちらのブログもご一読いただければさいわいです。
*ご参考:2016年4月7日付ブログ「政治家が信用されない理由」