子どもの居場所としての図書館

いま夏休みですが、今年は特に暑いですね。福岡は35度といった猛暑日が続いています。こういう暑い夏に、今どきの子どもたちはどうやって夏休みを過ごしているのでしょうか?

小学生時代の私は、スポーツも習い事も一切せず、中学受験とも無関係だったので学習塾にも通っていませんでした。父親は単身赴任、母親はPTA活動には熱心でも私の教育には無関心でした。おかげで両親から「宿題をやれ」と言われることもなく、夏休みの宿題にはまったく手も付けず、先生に提出しませんでした。

昼間は祖父が時代劇やテレビドラマの再放送ばかり見ていたので、好きなテレビを見ることができません。スマホはもちろんのこと、テレビゲームもあまり普及していない時代でした。家にいても、やることはなくて、暑いだけでした。

勉強もせず、スポーツもせず、習い事もせず、テレビも見ず、テレビゲーム・スマホもないなかで、長い夏休みをどうやって過ごしていたのか、ふと思い返してみました。ひとりで自転車に乗って遠くに行くのが好きな小学生でした。ひとりで釣りに行ったり、ダムや古本屋、ラーメン屋さんなどに自転車で遠出したりするのが好きでした。

しかし、夏休みにいちばん長い時間を過ごしたのは、図書館だったと思います。冷房の効いた図書館で本を読んだり、背伸びして大人の雑誌(ニューズウィーク日本版や週刊朝日など)を読んだり、何時間も図書館で過ごしていました。ひまさえあれば、図書館に行っていた気がします。図書館には本当にお世話になりました。宿題はやらなくても、本をたくさん読んでいたおかげか、学校の成績は良い方でした。

居心地の良い図書館は、子どもの居場所にぴったりです。いま増えている「子ども食堂」や学習支援NPOなども、単に栄養補給や学力向上だけが目的ではなく、子どもに居場所をつくるという意味からも重要です。子どもの居場所としては、いろんな種類のものがあったらよいと思います。児童館、スポーツ教室、子ども食堂、公民館など。その中でも図書館は有益だと思います。図書館が子どもにとって居心地の良い場所であることは、青少年の健全育成、学力の向上にも役立つと思います。

大人でも子どもでも、つらいことがあった時に、いろんな立ち直り方、癒し方があると思います。家族や友達とのつながりで立ち直る人も多いでしょう。一方で、「本で癒される」という人も意外と多いと思います。

私もつらい時には本を読みます。仕事で大失敗したあとに、山岡荘八「徳川家康」の全26巻を読破したりしました。そもそも私の場合は、つらいことがあって周囲の人に相談しても、「お前が悪い。バカなことは考えるな」と説教されることも多かったです。しかも人のアドバイスと真逆のことをしてしまったりするので、人に相談しても悩みが深まるケースが多かったです。そう考えれば、本ほど辛抱強く、やさしい相談相手はいません。

自分よりもっとつらい目にあっても、それに打ち克った人やくじけなかった人のことを学ぶことで、「もう一度がんばろう」という気持ちになれることもあります。歴史上の人物や出来事と比較すれば、目の前の自分の悩みがちっぽけに思えてくることもあります。シリアの難民やインドのスラムの子どもたちと比べれば、自分がいかに小さなことで悩んでいるか、反省させられることもあるかもしれません。読書を通じて物事を相対化・客観視することで、目の前の問題に立ち向かっていけることもあります。

つらい思いをしている子どもたちが、本を通じて癒され、勇気づけられ、希望を見い出し、立ち直っていく。そういう場所をつくるためにも、子どものための図書館は大事だと思います。図書館の蔵書や司書の充実に力を入れるべきだと思います。文化の保存、生涯学習、地域振興、子どもの居場所といろんな意味で図書館は公共性の高い施設だと思います。

ちなみに、私はつらい時には、城山三郎、宮城谷昌光、浅田次郎の本をよく読みます。あまり高尚な本とはいえないかもしれませんが、苦労人が書いた本ほどおもしろいと思い込んでいます。最後に城山三郎の言葉を引用して終わりにします。

読書には両面あって、一つは、すごく読書する人間は、やっぱり伸びる力を持つということです。今は情報時代というけど、ほとんどのビジネスマンは情報に流されている。彼はその情報の部品になっている。読書していると、逆に情報を部品として使いこなせる。読書する人間は信頼できるということが一つ。もう一つは、読書した人間は、楽に生きられる。つまり、出世するしないなんていうのは、人生のごく小さな問題だということです。読書をすることでいろんな生き方をしている人、いろんな人生というのを追体験できるわけですから、それによって慰められたり、もっと励まされたりする。