欧州復興開発銀行の初代総裁やミッテラン大統領顧問などを務めたジャック・アタリ氏の「教育の超・人類史」は分厚いけれど、世界の教育史を学べる興味深い本です。
そのなかで特におもしろかったのが、スウェーデンの優れた教育制度が新自由主義的な教育改革のせいでわずか二十年ほどで崩壊寸前になった例です。あまりに衝撃的なので、そのまま引用します。
スウェーデン:20年間で学校制度が崩壊寸前になったわけ
17世紀以降、教育の先端を進み、社会的平等と児童福祉の分野を索引してきたスウェーデンは、この20年間ですべてを台無しにしようとしている。1980年代末、スウェーデンの学校はほぼ国営で、小中学生の99%は公立学校に通っていた。20年前までは、スウェーデンの教育は優れた成果を収めてきた。
ところが1988年、教育制度が過度に中央集権化しているという批判を受け、社会民主労働者党は、初等および中等教育の管理責任を国から地方自治体に戻した。
1991年、右派連合が政権を奪還すると、ミルトン・フリードマンが理論化した「教育バウチャー」を導入した。これは子供のいる家庭にバウチャーを配布することにより、学校は集めたバウチャーの数(生徒の数)に応じて自治体から補助金を受給できるという仕組みだった。
当初、このバウチャーによる補助金は教育費の10%で、対象は私立学校だけだった。そのため、制度が始まると私立学校の数は急増した。
1994年に社会民主労働党が政権を奪還すると、教育バウチャーは平等性の観点から、公立学校も受給できるようになった。それでも私立学校の増殖は鈍化しなかった。まもなく複数の営利企業が小中学校を買収し、民間企業による学校のグループ経営が始まった。
2022年、小中学校の20%が4000校の私立学校に通っている。これらの学校の3分の2は上場企業が経営している。これらの学校の中には、さらなる利益を上げるために生徒一人当たりの教師の数を削減し、教師の給料を減額するところもある。逆に、優秀な生徒を育成し、入学希望者が殺到する学校もある。いずれにせよ、企業が経営する学校では、教師は顧客である生徒に寛容に接するように指導されている。
スウェーデンの全体的な教育水準は低下している。2013年のPISAの調査では、スウェーデン人の子供の学力は、読解力、数学、科学ともにOECD加盟国中で最低のランクだった。
教育バウチャーの導入以降、優秀な学校と劣悪な学校との格差はさらに広がっている。
公立学校の教員採用はますます困難になり、中学校では、高校に進学せずに退学する生徒が毎年1万6000人いる。
今日、世界最高だったかつてのスウェーデンの教育制度は崩壊寸前の状態にある。
*参考文献: ジャック・アタリ 2024年「教育の超・人類史」大和書房
私はロンドン大学教育研究所の修士課程で「教育経済学」のコースを受講しましたが、その時の小論文で「教育バウチャー」を導入した各国の事例の比較研究を行いました。私の教育バウチャーに関する研究成果を要約すると次の通りです。
- 教育バウチャーが、教育の「質」の改善に役立つか否かは判断できない。質が下がった例もある。
- 教育バウチャーが、教育の「量」の改善に役立つ可能性は高い。従って、供給が不足している保育や職業教育に関しては、教育バウチャーが役に立つ可能性がある。
- 教育バウチャーは、すでに教育の「量」が確保されている初等教育においては、意味がない。(*注意:発展途上国では中等教育の「量」が足りていない例が多いので、中等教育では教育バウチャーが効果的である可能性はある。)
- 教育バウチャーは、教育格差を広げる効果がある。一部の学校のパフォーマンスは向上するかもしれないが、全体的(平均的)な教育水準は下がる可能性もある。
言い換えると、現在の日本の文脈でいえば、少子化で定員が減っている日本の学校教育では、小学校・中学校・高校での教育バウチャーは無意味です。もし意味があるとすれば、社会人の職業訓練(再教育)だと思います。
私は、教育と医療は市場原理の枠外に置くべきだと考えます。新自由主義的な改革が世界中で行き詰まるなか、日本で進められてきた「教育改革」を見直す時期に来ています。
医療分野ではありますが、「正しい市場」の条件を考えれば、市場原理を導入してはいけない、ということをわかりやすく説く「ランセット」(医療雑誌)の2005年2月号社説を引用します。
正しい市場とは、競争原理が機能し、情報へのアクセスが平等でふんだんにあるという前提で、消費者が自ら参加するゲームである。医療では誰もが平等に情報を得て、しかも、それを正しく理解できるなどということはかつてなかったし、未来永劫ありえない。医療はゲームではない。医療は社会的善であり、公平でなければならない。患者は消費者ではなく、純粋に、ただ単に患者なのである。
教育も同じだと思います。教育においては、子どもを「消費者」や「顧客」と見なすべきではありません。学習塾や英会話スクールならいいでしょうが、小中学校は市場化しない方がよいと思います。
ちなみに私は法政大学で兼任講師をやらせていただいていますが、学生を「消費者」や「顧客」と思っていません。「嫌なら授業に来るな」というオーラを出し、学生を「責任ある市民」と見なし、民主的な社会で生き抜くスキルと知識を身につけるお手伝いをしています。月額3万円の薄謝で「顧客満足度」を高めるつもりはさらさらなく、「こちとら、サービス業じゃねえ」というICU某教授の名言を信じて教えています。