この本「日本の教育はダメじゃない:国際比較データで問いなおす」は、とても良い本で、いろんな人に読んでほしいです。読んでほしい順に並べると以下の通りです。
1)印象論と体験談だけで教育政策を語る政治家たち
2)GIGAスクールとか「未来の教室」とかキャッチ―なコピーで勝負し、公教育の産業化(市場化)を進める経産官僚たち
3)世間からバッシングを受けつつも頑張っている現場の教員の皆さん
4)子を持つ保護者の皆さん
5)教師をめざして勉強している教育学部生
小松光氏(台湾大学准教授:農学博士)とジェルミー・ラプリー氏(京都大学教育学部准教授)の結論はタイトルの通りで、「日本の教育はダメじゃない」というものです。
私もまったく同感です。以前からそう思っていたし、そういう趣旨のことを言ってきましたが、この本ほどデータに基づいて「日本の教育はダメじゃない」と明確に主張している本は珍しいと思います。
最近の流行の「日本すごい!」的な本は、私は大嫌いです。盲目的な愛国心は、排外的なナショナリズムに陥りやすく、とても危険です。そういう意味で、データに基づかない「日本すごい!」本は危険なので、大嫌いです。しかし、この本はそうではありません。
比較教育学を勉強した人は、日本の教育(特に初等中等教育)が国際的に高く評価されていることを知っています。OECDなども日本の教育をいつも絶賛しています。大学教育の評価はやや低いですが、小学校と中学校の評価は極めて高いです。
公教育予算をケチっていて、クラスサイズも大きめですが、それにも関わらず、高いパフォーマンスを上げています。現場の教員のがんばりと、社会全体で教育を重視する雰囲気が、良い結果につながっているのは間違いないと思います。
にもかかわらず、日本の政治家や財界人、マスコミは、日本の教育の問題点ばかりを取り上げ、教育の悪いところをあら捜しして、もともと存在しない問題を設定して、存在しない問題への解決策を模索して、混乱を招いてきたといえるかもしれません。著者たちは次のように言います。
日本の学校教育があたゆる点で徹底的にダメだと、政策決定に関わる方々も勘違いして、実現可能性のほとんどないような「改善策」に飛びついてしまうこともあり得ます。私たち著者の観察によると、この40年ほどの間に行われた「教育改革」の中には、そのような例が少なくありません。こういう「改善策」はほとんどの場合、あまり良い結果をもたらしません。学校教育の現場を混乱させ、税金を浪費し、学校の先生を多忙にし、さらに保護者を不安にします。それだけではなく、その「改善策」を実施することで、本来解決しなければならなかった問題が放置されてしまうこともあり得ますし、今の学校教育にある良い点を損ってしまうことも考えられます。
現在行われているGIGAスクール構想や道徳の教科化、英語(外国語)の小学校での教科化など、最近の「改善策」も同じだと私は思います。効果のない「教育改革」に税金と労力をつぎ込み、現場を混乱させています。
日本の基礎教育(初等中等教育)は、平均的な学力も高いし、理数科教育については国際的に高く評価され、学力の格差も少なく、いじめ等も国際比較すると少なめです。もちろん日本の教育に何の問題もないとまでは言いませんが、国際比較するとそれほど問題もないのに、次から次に流行の教育理論が欧米から輸入され、教育現場をかき回してきました。
日本の教育改革(例:アクティブラーニング)の多くは、米国や英国の真似が多いのですが、小中学校レベルでは米国や英国より日本の方がハイパフォーマンスです。統計的に明らかです。不思議なことに、日本よりパフォーマンスの悪い米国や英国の教育手法を日本に輸入する慣行がずっと続いています。明治期ならいざ知らず、21世紀に入ってからもその慣行が続いているのが不思議です。
そういったことが、この本「日本の教育はダメじゃない」を読むとよくわかります。それも国際比較データに基づいているので説得力があります。著者たちは世界銀行のコンサルタントとして発展途上国の教育プロジェクトに関わった経験があり、肌感覚で日本の教育システムを国際比較できるという点も大きいと思います。
私も著者たちと同じ結論に至りましたが、私自身も教育国際協力の仕事に関わり、いくつかの国の教育制度を勉強しました。フィリピンとイギリスの大学には留学して、両国の教育システムを学びました。
またJICA職員としてフィリピンの理数科プロジェクト、タイとインドネシアの工学系高等教育プロジェクト、NGOスタッフとしてアフガニスタンの小学校再建プロジェクトに関わり、発展途上国の教育システムを実地で見てきました。
そういった自分自身の経験に照らすと、日本の先生たちは本当にがんばっていて立派だと思います。娘の通っている小学校の先生を見ても頭が下がります。心から「日本の教育はダメじゃない」と思います。
他方、「日本の教育はダメだ」と思い込んでいる人たちが、どんな弊害をもたらすかを考えてみることも大切です。
たとえば、「日本の教育はダメだ」から「戦後の民主主義が道徳心のない大人を生んだ」みたいな見方に進み、「道徳教育を教科化しよう」という教育改悪を生みます。道徳教育を教科にしてしまって、テストで評価するようになると、「どんな回答が正解か」を忖度する能力が高い子どもを養成することになりかねません。道徳的な人材を育てるよりも、「どんな回答が道徳的と見なされるか」がよくわかる計算高い人材を育てることになるかもしれません。
失われた20年の経済停滞を招いたのは「日本の教育がダメだからだ」という財界人は、グローバル人材を育てるために、小学校で英語を教科化しようとか、教育のICT化を進めてAI人材を育てようとか、実利だけを追い求める教育改革を生み出します。英語やITという実利的な技能を身につけることだけが、基礎教育の目的ではないと思います。
教育政策を考えるにあたっても、正しい認識が大切です。誤った認識からは、誤った問題が設定されて、誤った「改善策」が提案されます。誤った「改善策」が現場を混乱させ、教育の質の低下を招きます。
正しい認識を持つために重要な座標軸は、国際比較のヨコ軸、歴史のタテ軸だと思います。教育社会学や教育政策の歴史を学んで時系列の比較をしながら、世界各国の教育政策の事例を学んで国際比較していれば、大きな判断ミスを避けられる可能性が増します。そういう意味でも良い本でした。「日本の教育はダメじゃない」は、読みやすくてお薦めの本です。
*参考文献:小松光、ジェルミー・ラプリー 2021年「日本の教育はダメじゃない」ちくま新書