教育のICT化に教育効果はあるのか?

コロナ禍でオンライン教育や教育のICT化が注目され、政府は多額の予算を投じて「GIGAスクール構想」を進めています。無条件・無批判にオンライン教育や教育のICT化を是とする雰囲気があり、私は危惧しています。教育のオンライン化やICT化やを全否定はしませんが、慎重に進めるべきだと思います。

GIGAスクール構想の前提には「教育のICT化が学力を向上させる」という素朴な思い込みがあるようです。しかし、教育のICT化と学力向上の関係は自明ではありません。ICT化が学力向上につながる保証がないどころか、いくつかの実証研究では学力低下の可能性を示しています。

東京大学名誉教授(日本教育学会元会長)の佐藤学氏によれば、学校教育におけるコンピュータ活用の効果についてもっとも信頼できる実証的研究は、PISA(OECDが進める国際的な学習到達度に関する調査)調査委員会がPISA2012のビックデータを用いて分析したOECD加盟20カ国(コンピュータテスト)と29か国(紙媒体テスト)の調査結果です。その調査によると、学校におけるコンピュータ活用の時間が長ければ長いだけ、学力は低下しています。常識に反して、コンピュータの活用時間と学力は逆相関の関係になったそうです。

上智大学理工学部情報理工学科の辻元(つじはじめ)教授は、情報技術の活用と教育効果の関係は十分に研究されているとはいえず、教育のICT化と学力は無関係ではないかと思わせるデータもあるといいます。辻氏はその例として授業環境の先進度(電子黒板やプロジェクタ等の装備率)と学力の関係をあげます。

授業環境の先進度で全国1位の佐賀県が87.1%であるのに対し、最下位の秋田県は17.3%でした。佐賀県は、教育ICT化の先進県として知られ、デジタル教科書の整備状況は全国1位でほぼ100%です。ところが2019年の全国学力調査で秋田県は県別ランキング首位の正答率69.33%であり一方で、佐賀県は43位で63.33%です。佐賀県の教育のICT化の努力(と予算)は、子どもたちの学力向上に役立っていないことが明らかです。

どうやら「教育のICT化を進めれば、学力が向上する」という前提は疑った方がよいようです。一部のすぐれたICT教育の実践が学力向上につながった例はあるでしょう。しかし、教育のICT化が学力向上に役立つと一般化することは困難です。次に教育のICT化が学力向上を阻害する可能性についても考えたいと思います。辻氏は次のように言います。

学習には集中力が必要です。デジタル機器は強く視覚を刺激しますが、それが必ずしも理解を深めるとは限りません。強い刺激が思考の妨げになるからです。そのことを示唆する例を挙げましょう。

パワーポイントは今日、広く使われているプレゼンテーションソフトです。しかし巨大IT企業アマゾンではCEOのジェフ・ベゾス氏の意向により、社内でのパワーポイントの使用を禁止しています。その理由は次のベゾス氏自身の言葉に集約されています。

『文章を書くのは難しい。それぞれの文中には(適切な)動詞があり、それぞれの段落にはトピックがある。明確でクリアな思考がないとストーリーとして構築された6ページのメモを書くことは不可能だ。』

ここに教育の本質が含まれています。つまりクリアな思考とは「得た情報を自分で考え、そこから構造を見出すということであり、「情報を整理、分析、思考してそこにある構造を浮き彫りにする」ことで物事をクリアに俯瞰することができるということです。パワーポイントはカラフルな図やチャート、グラフで受け手に強い刺激を与えますが、そのことが必ずしも受け手の理解につながるとは限りません。

デジタル教材は子どもを「観客」にしてしまい、子どもの関心を引くかもしれませんが、子どもの思考力を高めることにはつながらない可能性が高いです。

また、辻氏は「学習効果を上げるには、学生に与える情報量を少なくすることが有効」として次のようにいいます。

端的に言えば、本の素晴らしいところは情報量が凝縮されて少ないことにあります。静止した対象に向かい直線的にひたすら注意する必要があり、情報量が少ないので思考や想像をめぐらせないと理解できません。ですからページをめくりながら本を読むと強制的に思考することになり、深くストーリーに関わることになります。

対照的に大量の競合する情報や刺激に溢れているインターネットやコンピュータ画面上で本を読むと、情報と刺激の洪水にさらされやすいため、ワーキングメモリーがオーバフローしてしまいます。思考することができず、受け身になってしまい、主体的に思考をめぐさせることは難しくなります。(中略)

このようにデジタル機器の活用は、生徒の興味をひく半面、思考の省略につながってしまう面も否定できません。

デジタル機器とインターネットが「思考の省略」を生み、それがポピュリズム政治のまん延につながっているように思えてなりません。トランプ大統領のツイッターなどは「思考の省略」の典型です。ファクトに基づかない粗雑でシンプルなメッセージの方が、わかりやすく確信に満ちていて説得力があることもあります。真実は複雑です。わかりやすさを追求して「思考の省略」を選べば、真実から遠ざかります。

教育の究極の目的は、「思考の省略」を避け、冷静に深く考えられる人を育てることだと思います。科学的データや客観的事実に基づいて物事を冷静に考え、社会に積極的に参加し、多様な価値観を認められる市民を育てることが公教育の目的だと思います。そのためには教育のICT化にあたって慎重さが必要です。教育産業やIT業界が主導して一気呵成にGIGAスクール構想を進めるのではなく、時間をかけて準備してICTとの上手なつき合い方を考えていくことが必要だと思います。

さらに認知神経科学や発達心理学の観点からもICT教育に特有の問題があります。カリフォルニア大学ロスアンゼルス校のメアリアン・ウルフ教授は、小さな子どもにデジタル機器を与えるときも注意すべきといいます。

手近な画面で注意を引きつける魅力的なものを突きつけられると、幼い子どもたちはすぐに、たえまない感覚刺激にどっぷり浸かり、そのあと慣れっこになり、そしてしだいに半ば中毒になります。

何時間もiPadでYouTubeを見ている子どもがいますが、あれは中毒だと思います。活字中毒にはさほど害はありませんが、デジタル中毒には害があります。

さらにメアリアン・ウルフ氏は電子書籍より紙の本の方が理解力を高めると指摘します。

イスラエルの小学校5年生を対象にした大規模な研究では、同じ物語を印刷か画面かのどちらで読むかによって、読解にかなりの差があることがわかった。ほとんどの子どもはデジタルで読む方が好きだと言ったにもかかわらず、読んだものの理解は印刷で読んだ方がうまくできた。

大人も子どももデジタルが好きですが、デジタルに頼らない方が教育効果が高いケースが多いということです。インターネットやICT機器はうまく使えば効果的な学習ができますが、万能ではないのはもちろんのこと、下手をすると逆効果の可能性が高いことを認識すべきです。多額の税金をかけ、教員の手間と時間をかけ、その成果は逆効果というのではムダの極みです。

*参考文献:

佐藤学 「新型コロナ・パンデミックとICT教育」(エイデル研究所「季刊教育法」2020年12月25日号)

辻 元 「デジタル教科書は万能か?」(岩波書店「世界」2020年5月号)

メアリアン・ウルフ 「デジタルで読む脳 紙の本で読む脳」 インターシフト 2020年