10兆円の大学ファンドへの疑念

政府は今国会の補正予算で「10兆円規模の大学ファンド」を立ち上げる方針です。関連して「国立研究開発法人科学技術振興機構法の一部改正する法律案」が審議されます。

この10兆円の大学ファンドは、大学の長期・安定的な財政基盤を強化するため、科学技術振興機構(JST)にファンドを設け、政府出資、財政融資資金、民間からの長期借入、JST債券の発行、大学からの資金拠出などを通じ、10兆円規模の資産を運用して、その収益を大学の研究にあてる計画だそうです。一見すると良さそうに見えます。

文部科学省の資料によると、ハーバード大学は4.5兆円、イェール大学は3.3兆円、スタンフォード大学は3.1兆円など、欧米の一流大学は基金を持っているが、日本の大学の基金は比較にならないくらい小規模なので、政府がファンド(基金)を創設する、という説明です。

わかったような、わからないような説明です。大学は国により設立の背景が異なります。連邦国家のアメリカには国立大学はありません。アメリカの名門大学の多くは、私立大学または州立大学です。イギリスの主要な大学はすべて国立大学です(多額の国税が投入されています)。

アメリカの大学はそれぞれ基金を持ち、株などで運用しています。基金の元手は主に卒業生や篤志家の寄付です。大企業なども特定の趣旨に賛同して大学の基金に寄付することがあります。卒業生の愛校心による寄付や、大学の名声や研究目的への評価による寄付と、運用益で大学の基金が大きくなっていくパターンが多いと思います。

そういう基金は大学ごとに運営されるものです。中央政府の教育省が、多くの大学を包括的に対象とするファンドを設ける例は他にありません。世界で唯一の制度になることでしょう。文科省の担当者は「テキサス州で似たような制度がある」と言っていましたが、裏を返すと国レベルでは前例がないということです。きわめて不自然なやり方です。

私もファンドの趣旨は理解できます。大学の研究能力を高めることは重要だし、そのために政府が予算を投じることには賛成です。しかし、予算の出し方が問題です。

ふつうに考えれば、一般会計予算の文部科学省予算から大学に研究費を交付するのがもっとも簡単なやり方です。これまでもそうしてきたので、その予算額を増やすだけのことです。特別会計予算は国会のチェックも入りにくく、一般会計の予算の方がきちんと審議され、決算行政監視委員会で事後的にもチェックされるので、一般会計の予算で研究助成を増やせばよいと思います。

なぜ降ってわいたように「10兆円の大学ファンド」という異形のプログラムが出てきたのかと背景を邪推してみると、新たな「株価釣り上げ策」ではないかという疑念が湧いてきます。

いまの日本の株式市場は「官製相場」といわれています。上場企業の多くで日本銀行やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が大株主になっています。日銀は2020年3月末の段階でETF(上場投資信託)購入を通じて56社で10%以上の株式を保有する大株主になっています。いびつな官製相場と言ってよいでしょう。

公的機関の2020年9月末の国内の株式保有状況を見ると、日本銀行が42.8兆円、GPIFが41.5兆円、ゆうちょ銀行が2.2兆円、かんぽ生命が2.1兆円といった金額になり、東京の株式市場における公的機関の存在感の大きさがわかります。日銀やGPIFの株式投資がなかったら株価はだいぶ低い水準だったと思います。

そこに今回の大学ファンド10兆円が株式投資というかたちで投入されると、さらに東京株式市場の官製相場化が進みます。東京の株式市場の株価を引き上げる(釣り上げる)という目的であれば、10兆円の大学ファンドは合理的かもしれません。

しかし、株式投資は必ず一定のリスクをともないます。公的機関の株式投資は、あまりにも投資額が大きくなりすぎて、株を売るに売れない状況に陥っています。企業業績が悪化しても簡単には売れません(暴落の引き金になります)。

文科省の担当者は、大学ファンドの利回りをGPIFと同程度の3%と見積もっているそうです。しかし、株式投資なので良い時期も悪い時期もあるでしょう。アベノミクス以来の異次元の金融緩和でお金が株式市場にジャブジャブ流れ込んでいる時期の利回りを参考にするのはリスクです。

いまの株式市場は調子がいいです。コロナ危機で実体経済が悪化しているのに、株式市場が高騰しているのは不自然です。あとでふり返ると「バブルだった」ということになりかねない状況だと私は思います。こういう時期に大学ファンドに10兆円も景気よく投入することが適切なのか疑問です。

また株式投資の収益を大学の研究費にあてる計画ですが、収益率の高い年も低い年もあるでしょうから、きわめて不安定な財源になりかねません。景気変動のリスクを考えると、計画的に一般会計予算の研究費を増やしていく方が合理的だと思います。

それに菅政権の日本学術会議への対応を見ても、学術研究の振興に本気で取り組む気があるのか疑問です。安倍政権とそれを継承した菅政権は、学問の自由や大学の自治を一貫して軽視してきました。菅政権が突然心を入れ替えて学術研究に熱心に取りくみ始めた、と考えるのは楽観的すぎる気がします。本心は大学ファンドによる株式投資の拡大ではないかと邪推してしまいます。

安倍政権の教育改革の特色は、経済産業省が教育に口を出し、教育の市場化と産業化を進める点にありました。安倍政権で進んだ新自由主義的な教育改革は、教育の世界に市場競争や企業参入を持ち込み、教育の公共性を損なってきました。たとえば、GIGAスクール構想もIT企業や教育産業が小中学校の公教育に参入するチャンスになり、教育の公共性を損ないつつあると私は思います。

今回の10兆円の大学ファンドも、大学教育の市場化をおし進め、さらに市場原理や競争原理を研究の世界にも押し付けるもののように感じます。大学の公共性を考えれば、正々堂々と一般会計予算で研究費を増額した方がよいと思います。官製相場化した株式市場の株価つり上げに大学が利用されている印象を受け、あまり筋の良い政策とは思えません。

大学の研究費が減らないように、株価が暴落しないことを祈ります。しかし、バブルは必ずはじける時が来ます。いまの株式市場がバブルでない保証はありません。私の懸念が杞憂に終わることを切に願います。