ノーベル経済学賞を2019年に共同受賞したアビジット・バナジー氏とエステル・デュフロ氏(ともにMIT教授)は、著書「絶望を希望に変える経済学」のなかで次のように述べます。
人種差別、反移民感情、支持政党のちがいによるコミュニケーションの断絶といった問題の多くは、初期段階で接触のないことに原因があると考えられる。心理学者のゴードン・オルポートは、1954年に「接触仮説(contact hypothesis)」を発表した。適切な条件の下では、人同士の接触が偏見を減らすうえで最も効果的だという考え方である。他人と時間をともにすることで、相手をよく知り、理解し、認められるようになる。その結果、偏見は消えていくという。(中略)
もしこれが正しいなら、学校や大学は重要な存在になる。異なるバックグラウンドを持つ子供たちや若者が、まだしなやかな心を持つ年齢のときに一つの場所で一緒に過ごすのだから。アメリカのある規模の大きい大学では、一年次にルームメートがランダムに割り当てられる。一年次の学部生を対象に調査を行ったところ、たまたまアフリカ系アメリカ人と同室になった白人学生は、アファーマティブ・アクションを強く支持するようになったことがわかった。また移民と同室になった白人学生は、自分でルームメートを選べる二年次以降になってもマイノリティと進んで付き合うようになったことが確かめられている。
何となく理解できます。私は大学1年次の学生寮で3人部屋でしたが、1人は日本人の先輩で、もう1人は名門ペンシルバニア大学からの交換留学生で背の高い知的なアフリカ系アメリカ人でした。3年次にフィリピンの大学に交換留学し、4人部屋でしたが、私以外の3人はフィリピン人学生でした。そういう環境で暮らせば、アフリカ系アメリカ人やフィリピン人に対する差別意識は生まれないし、「同じ人間だ」という当たり前の感覚が身につきます。
アビジット・バナジー氏は同書でさらに次のようにも述べています。
インドからアメリカに来たアビジットは、アメリカではパキスタン人といるとくつろげることに気づいて衝撃を受けた。なにしろインドとパキスタンは独立以来70年以上も対立してきたという歴史がある。それでも、おせっかいでせんさく好きという南アジアの人々の特徴が自ずと両者を結びつけたのだった。
これも実体験から理解できます。私はイギリス留学時も学生寮に住んでいましたが、朝食と夕食が付いていて食堂で他学科の学生と一緒になるのですが、何となく雑談して親しくなるのはイギリス人やアフリカ系、中東系、南アジア系よりも東アジア系の留学生でした。香港や台湾、中国本土、韓国の留学生とは親しくなりやすかった記憶があります。
今でも国境で武力衝突を繰り返しているインドとパキスタンほどではありませんが、日中関係や日韓関係が悪化している昨今でも、東アジアの文化的・人種的な共通性は高く、接触してみると親しくなりやすいと思います。
社会の分断が進むアメリカでも、移民が少ない地域ほど白人至上主義者が多く、トランプ支持率が高いことがわかっています。移民と接触した経験がある人ほど移民への偏見が少なく、移民とほとんど接触したことのない人たちが移民の脅威を訴えがちという傾向があります。日本でも同じことが起きている可能性が高いです。
心理学者や経済学者の実証研究で証明されている通り、一定の条件下では、差別意識や偏見が身につく前の教育段階で異なるバックグラウンドの人々と出会い接触することが、差別や偏見をなくすことにつながります。
そこにオンライン教育では得られない接触の大切さがあります。コロナ禍のもとで「非接触化」が進んでいますが、ポストコロナの社会では教育における接触の大切さを再認識する必要があります。公教育は、外国にルーツのある子ども、障がいのある子ども、LGBTQの子どもなど、多様なバックグラウンドを持つ子どもが共に学ぶ場として重要です。ともに生きる社会、共生社会をつくるためには、教育における接触の機会は大切です。オンライン教育は最小限にとどめた方が賢明だと思います。