西日本新聞(9月4日)朝刊に「子どもの幸福度 日本最低水準」という記事が出ていました。先進国・新興国38か国の子どもの幸福度を調査したユニセフの報告書によると、日本の子どもは生活満足度の低さ、自殺率の高さから「精神的な幸福度」が37位と最低レベルだったそうです。
ちなみに「身体的健康」では1位で、経済的にも比較的恵まれているものの、学校のいじめや家庭内の不和などを理由に幸福を感じていない実態があるそうです。読解力や数学力などの学力は高いレベルにあるものの、「社会的スキル」でも低いレベルです。
もちろん「身体的健康」の1位は立派な成績ですが、「精神的な幸福度」が低いのは問題です。日本の子どもは自尊感情が低いことが知られていますが、自己肯定感を持てない子どもが多いことが自殺率の高さにつながっていると思います。
その背景には競争をあおる受験システムや教育のあり方があると思います。大学全入時代に入りそれほど競争しなくてよくなっているはずですが、相変わらず学習塾は盛況のようです。夜遅くまで塾通いしていたら、幸福度は下がって当然だと思います。
競争は勝者と敗者を生みますが、敗者は自己肯定感を持ちにくいし、勝者も自分よりさらに上位者との競争は終わることなく、「真の勝者」になれるのはごく一部です。「真の勝者」といえそうな偏差値トップの東京大学に進学しても、今度はグローバルな競争に参入してハーバード大学やケンブリッジ大学との競争で敗者になりかねません。
競争に価値をおく限り、安心できることはなく、常に追い立てられ続けることになります。高校や大学に入学定員がある以上は、入試などの競争をゼロにすることはできませんが、せめて競争を最小化したり、競争をできるだけ避けるシステムに転換していくべきだと思います。
学力トップクラスのフィンランドの教育システムは競争原理をあまり取り入れていないことで知られています。教育は競争原理や市場原理から自由であってほしいと思います。競争から完全に自由になれなくとも、せめて一定の距離を置いてほしいものです。
また、子どもの貧困も幸福度を下げる一因です。日本の子どもの貧困率は、先進国のなかでも高い方です。特にひとり親家庭(さらに母子家庭)の貧困率は、先進国でもっとも高い水準です。
働くシングルマザーの半分以上は貧困状態です。安定した雇用のもとにあるシングルマザーは少なく、政府の子育て支援策が手薄なため、2つも3つもパートの仕事をかけ持ちしながら必死で生活しているという母子家庭が多いです。
必死で働くシングルマザーが、子どもとゆっくり団らんする時間や子どもの勉強を見る時間を持てないのは当然のことです。経済的にある程度の余裕がないと、精神的な余裕は生まれません。
また、子どもの教育費負担の重さにあえぎながら、次の子どものをつくろうという気はなかなか起きません。子どもの食堂が全国で広がっていますが、再分配機能が弱くなって子育て世帯が困窮していることがその原因にあります。子どもの貧困は、政治の貧困の象徴です。
子どもの幸福度を上げるためには、受験のプレッシャーや家庭の教育費負担を軽減し、保護者や教員が子どもたちとゆっくり向き合える環境を整えなくてはいけません。子どもの幸せは、親やおじいちゃん・おばあちゃんの幸せだと思います。社会全体で教育や子育てを支援する必要があります。
いまの政府は子どもにやさしくありません。公教育費がGDPに占める割合は、OECD諸国で最低レベルです。政府が教育費をけちると、その分だけ家庭の教育費の負担が重くなります。その結果として、家庭の所得格差が、子どもの教育格差(学力格差)に直結しています。教育機会の不平等は、不公正であり、不正義です。
また、安倍政権と自民党は「教育再生」を旗印に道徳教育を教科化したり、愛国心を強調する教育を推進したり、科学的根拠のないあやしげな「親学」を提唱したりと、「心の教育」を強調してきました。しかし、そのような教育が、子どもの「精神的な幸福度」を向上させていないのはデータからも明らかです。
子どもにやさしい社会をめざすためにも、政治の流れを変えなくてはいけません。安倍政治の継承では、子どもの幸福度は改善しないでしょう。「自助・共助・公助」というフレーズを唱える人は、「自助(=自己責任)」を最優先し、「公助(=政府の役割)」を軽視する傾向があります。「自助」すなわち「政府に頼るな」ということを遠回しに言っているだけです。
いま必要なことは、「公助」の強化です。「自助」に過度に依存する構造を改め、「公助」を充実すべきです。子どもの貧困をなくすために税と社会保障の再分配機能を強化し、税金を投入して公教育を充実させ、ソーシャルワーカー等による支援を手厚くすることが、子どもの幸福度を上げることにつながります。