世界大学ランキングを軽視すべき理由(2)

世界大学ランキングを軽視すべき理由シリーズ第2弾です。まず世界ランキングのトップ100にどの国の大学が入っているかを見てみます。

何といっても安倍政権の大学教育政策の成果指標には「世界大学ランキングトップ100にわが国の大学10校以上をめざす」というのが含まれています。文科省にとってはとても重要な指標です。

クアクアレリ・シモンズ(Quacqarelli Symonds:QS)の世界ランキングのトップ100校の国別順位は以下の通りです。

QS社の世界ランキング・トップ100位の大学数
29校: 米国
18校: 英国
7校: 豪州
6校: 中国
5校: 日本、韓国、香港
3校: ドイツ、フランス、スイス、カナダ
2校: オランダ、シンガポール、スウェーデン
1校: NZ、ロシア、アルゼンチン、デンマーク、マレーシア、ベルギー、台湾

後述するTHEに比較すると世界中の大学が入っているのでバランス感覚はある気がします。他方、圧倒的な国力と人口(3億3千万人)の米国の29校はわかりますが、人口(6千6百万人)の英国の18校は、ちょっと英国を贔屓しすぎの印象を受けます。日本も5校入っています。

次にTimes Higher Education(THE)のトップ100校の国別順位を見てみます。

THE社の世界ランキング・トップ100位の大学数
40校: 米国
11校: 英国
8校: ドイツ
7校: オランダ
6校: オーストラリア
5校: カナダ
4校: スイス
3校: 中国、香港、フランス
2校: 日本、シンガポール、韓国、スウェーデン
1校: ベルギー、フィンランド

前述のQSとだいぶ雰囲気が変わります。米国の圧倒的強さが際立つ一方、ドイツやオランダといった欧州勢がやや優勢になり、アジア勢が後退します。

ことほど左様に世界ランキングというのは、評価指標によって差が出ます。評価指標は客観性を高めるために設定されますが、完全に客観的ということはあり得ません。どの評価指標を取り入れるかで、ランキングが大きく変化します。自国に有利な評価指標を取り入れた国が有利になって当然です。

2016年にアジア大学ランキングで前年1位だった東京大学が一気に7位まで下がったことがありました。たった1年で急激に東京大学の教育研究レベルが下がることもないし、たった1年でアジアの他の大学が一気にレベルアップしたとも考えにくいです。

単に評価指標が変わったために、東京大学が1位から7位に転落しただけだと思います。たしか「industry income」という評価指標が入って、東大は税金投入が多いため産業界からの収入の割合が低く出て、それで東京大学の評価が下がったのだと思います。評価指標を替えただけで、1位から7位に転落するのは変です。こんなランキングを信仰しない方が賢明です。

誰でもすぐ気づくのは、世界ランキングは英語圏が圧倒的に有利です。シンガポールや香港は公用語が英語なので英語圏と言って差し支えないでしょう。

あわせて「準英語圏」も有利です。「準英語圏」という言葉を使いましたが、教授言語や教科書が英語の「準英語圏」は有利だと思います。たとえば、オランダやフィンランドなどの小国は、母語の出版マーケットが狭いため、学術書や専門書を母語で出版することが難しく、英語(あるいは仏語や独語)のテキストや学術書に頼らざるを得ない状況になります。

たとえば、人口が550万人のフィンランドでは、ムーミンのような世界に誇れる本がある一方で、電子工学や行動経済学といった細分化した分野の専門書は母語で出版されないケースが大半だと思います。

日本ほど翻訳書文化が根づいた国は珍しい一方で、欧州の小国ではエリートは英語や仏語の文学作品や学術書を外国語で読むのが当たり前という雰囲気があると思います。小さい頃から外国語で本を読む習慣がある国で生まれ育つと、英語に対する抵抗感も少なく、英語力は高くなると思います。

そういった国の学者や研究者が英語で論文を読んだり書いたりするのは自然なことです。自国の母語の読者層が薄いので、英語で発信しないと多くの人が読んでくれません。日本語や中国語、フランス語、ドイツ語、ロシア語等であれば、一定程度の母語の出版マーケットと分厚い読者層があるため、母語で論文を書くことも当然多くなります。

また、抽象的な学術用語が母語には少ないため、母語で論文を書けない国も数多くあります。チモール語とか、ネパール語とか、ヨルバ語とか、そういった言語には、学術用語が少ないため、旧宗主国の言語(英語や仏語)で論文を読んだり書いたりせざるを得ません。

明治の先人たちが欧米の書物を翻訳する過程で、抽象的な概念を表す用語を多く造語してくれたおかげで、日本人は日本語で大学教育を受け、日本語で論文を書いたり読んだりできます。「経済」「階級」「意識」といった言葉は明治期の日本人の造語(和製漢語)ですが、中国にも輸出されました。

欧米の学術用語を上手に翻訳できるようになったおかげで、日本では先進的な学問を多くの国民が母語で学ぶことが可能になり、日本の近代化や経済大国化につながりました。外国語に頼らなくても済むおかげで、その対価として低い外国語の運用能力という別の問題を引き起こしました。しかし、費用対効果は高かったと思います。

フィリピンやインドが旧宗主国の英語を公用語としたおかげで、フィリピンやインドのエリート層はグローバルに活躍することが容易になりました。他方で多くの国民は母語ではなく、法律用語や学術用語を英語に頼らざるを得ないため、平均的な国民(庶民)の学力レベルや識字水準の向上には大きなハンディキャップになりました。外国語で教育を受ける不自由さを克服できない非エリートにとっては、英語が公用語であることは大きな犠牲をともないます。

以上のような背景もあり、フランス、ドイツ、ロシア、日本等の非英語圏の先進国は、世界大学ランキングでは不利な条件に置かれます。高等教育を母語で受けられるが故の不利です。日本、フランス、ドイツ、ロシア等のノーベル賞受賞者の人数、科学技術のレベル、経済力などを勘案すれば、非英語圏の国はだいぶ損をしていると思います。

他方、人口に占める博士号取得者やノーベル賞受賞者の数が世界一のイスラエルの大学が1つも入っていないのも不思議です。インドの工科大学もきわめて難関で、優秀な人材を多数輩出している点で評価されていますが、世界ランキングの上位には入りません。イスラエルもインドも英語力の問題ではなさそうなので、原因は不明です。

本日の「世界大学ランキングを軽視すべき理由(2)」では、英語圏に不当に有利に設定された評価基準の問題点を指摘して終わります。次回(3)では、世界大学ランキングを使うことの弊害について述べたいと思います。