コロナ危機による学校休業をきっかけに降ってわいたように「9月入学」論が沸き上がりました。東京都知事、宮城県知事、大阪府知事も9月入学に賛同し、安倍総理や萩生田文部科学大臣も検討を表明しました。
もともと安倍総理や自民党文教族議員の萩生田文科大臣は9月入学論者でした。教育再生会議などでも9月入学が議論されてきました。安倍総理に近い文教族議員は、コロナ危機に乗じた「ショック・ドクトリン(惨事便乗型改革)」で9月入学をもくろんでいるのでしょう。
実務的に考えて今年9月からの9月入学は不可能です。関係法改正、予算化、地方自治体や学校での移行準備などを考えると、今年度の実現可能性はゼロだと思います。
もともとは「学校休業で授業ができないので、子どもの学ぶ権利を保障するために9月入学にすべき」という主張から始まった議論ですが、5月中旬の段階で手続きが始まっていない以上、手続き的にまずムリです。
それでも9月入学推進派は、来年9月から導入すべきと主張しています。9月入学へシフトすると社会全体に影響が及ぶため、かなりのコストと手間がかかり、教育現場の混乱を招くでしょう。「9月入学の困難さとコスト」については多くの識者が論じているので、ここでは詳しくは述べません。
私が強調したいのは「9月入学でグローバル化」という主張に根拠がない点です。
ほとんどの9月入学論者は「大学教育のグローバル化のため」という理由をあげます。幼稚園、小中学校、高校では、9月入学のメリットはほとんどありません。
一般的に9月入学のメリットとしてあげられるのは、(1)日本の大学の国際化、(2)日本人の海外留学の円滑化、という2点です。9月入学は主に高等教育(大学教育)のグローバル化を目的に提唱されてきました。
多くの人が誤解しているのですが、「9月入学がグローバル・スタンダード」とまでは言えません。
2011年のデータでは、世界の204の国・地域のうち、9月入学は105か国です。半分よりは多いですが、「グローバル・スタンダード」とまでは言えないと思います。
周囲の議員にも「日本だけが9月入学じゃないと思っていた」という人がいました。実際には9月入学以外の国もけっこうあります。日本人になじみのある国のいくつかの入学時期を例としてあげてみます。
1月 シンガポール、マレーシア、バングラデシュ、南アフリカ
2月 オーストラリア、ニュージーランド、ブラジル
3月 韓国、アルゼンチン、ペルー、チリ
4月 日本、インド、パキスタン
5月 タイ
6月 フィリピン、ミャンマー
7月 インドネシア
8月 台湾、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ
9月 米国、中国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、カナダ
10月 エジプト、カンボジア
北半球の先進国に9月入学が多いのですが、豪州・ニュージーランド、南米などの南半球では1~3月入学の国も多いです。
なお、人口大国のインド(13億人)、パキスタン(2億人)、日本(1億人)が4月入学なので、人口比で見ると4月入学はそんなに少数派でもありません。
ちなみに私は学部時代にフィリピンの大学に留学しましたが、フィリピンは6月入学でした。仮に日本の大学が9月入学に変更されたとしても、フィリピンに留学する日本人留学生には何のメリットもありません。
さらに2月入学のオーストラリアの例を見ると「大学のグローバル化と入学時期はまったく関係ない」ということが明確になります。
オーストラリアは、大学生に占める留学生の割合が高く、世界第2位です。留学生比率の世界第1位はルクセンブルクですが、ルクセンブルクは人口60万人ほどの小国であまり参考になりません。
OECDのデータによると、外国人留学生受け入れ人数を見ると次の通りです。
第1位 米国 98万5000人(人口:3億3000万人)
第2位 英国 43万6000人(人口: 6600万人)
第3位 豪州 38万1000人(人口: 2500万人)
ご参考のために総人口も入れましたが、オーストラリアの人口当たりの留学生比率は圧倒的です。「オーストラリアの大学教育は、世界でもっともグローバル化している」といっても間違いではないでしょう。
くり返しますが、オーストラリアの大学入学は2月です。オーストラリアの事例を見ても、入学時期とグローバル化の度合いは無関係ということがよくわかります。
さらに、アメリカの大学に在籍する留学生の国別ランキングを見ると、第1位 中国、第2位 インド、第3位 サウジアラビア、第4位 韓国、第5位 カナダとなっています。第2位のインド、第4位の韓国は、9月入学ではありません。インドや韓国の例を見ても、入学時期と留学者数の多さは、あまり関係ないことがよくわかります。
日本の大学を国際化するのも結構です。日本人が留学しやすい工夫を考えるのも結構です。しかし、社会全体で負担する莫大な制度変更コストを考えると、「9月入学で大学教育のグローバル化」というのは合理的ではありません。
その他の論点として、9月入学でメリットを享受する学生の割合はごくわずかである点も重要です。たとえば、現在20歳前後の留学適齢期の人口は、1学年あたり120万人前後です。
他方、独立行政法人日本学生支援機構によると、2018年に海外に留学した日本人は115,146人とされます。留学先としては第1位アメリカ(19,891人)、第2位オーストラリア(10,038人)、第3位カナダ(10,035人)だそうです。
日本人留学先の第2位オーストリアは2月入学なので、9月入学のメリットは全くありません。その他にも9月入学以外の国もあります。したがって、おそらく日本人の留学生10万人ほどにとっては9月入学のメリットがあります。
私の大雑把な試算では、同一学年の120万人のうち10万人ほどに9月入学のメリットがあると推測されます。つまり同学年人口のわずか8~9%の学生の海外留学を支援するために、4月入学を9月入学に移行することになります。
また、3月に日本の高校を卒業して、9月にアメリカやイギリスの大学に留学する人にとっても、その間の数か月のギャップは、必ずしもデメリットばかりではありません。留学資金を貯めるためにバイトする人もいるでしょう。また、留学生受け入れに慣れている米英の大学は、たいてい留学生向けの入学前英語研修コースや論文の書き方コースを用意しています。また、ビザの手続きや下宿先探しなど、留学準備と新生活スタートにはけっこう時間がかかります。
私自身がイギリスの大学院に留学したときは、9月下旬の学期が始まる前に、1か月半ほど留学生向けの英語論文の書き方の短期集中コースを受講しました。日本とは大学の仕組みやアカデミックな習慣も異なるため、「慣らし期間」というか「ワンクッション」というか、ちょうどよい適応期間になりました。
そういう意味では、3月卒業の日本の高校や大学から、9月入学のアメリカやイギリスの大学に留学することは、デメリットばかりではありません。私は、イギリス留学時代に「日本の学校が4月入学だから困った」となげいていた日本人留学生に一人も会ったことがありません(個人的な体験で恐縮ですが)。「9月入学ではないから困る」というケースは、実はそれほど多くないのではないかと思います。
結論:「大学教育のグローバル化のために9月入学」という主張の根拠は薄い。
*参考文献:
OECD編、2019年「図表で見る教育:OECDインディケータ(2019年版)」明石書店
髙谷亜由子「諸外国の入学時期を巡る状況」(IDE 2012年6月号)
中村亮一「日本の学校はなぜ4月に新しい学年がスタートするのか?諸外国はどうか?」(ニッセイ基礎研究所「基礎研レター」2019年5月7日)