GIGAスクール批判(2):ICTに教育効果はあるのか?

先日(4月10日)「GIGAスクール構想」に関わる補正予算2,292億円を批判しましたが、ご納得いただけない読者の方もいらっしゃったようです。今度は「そもそも小中学校のICT教育に効果があるのか?」という観点から考えてみたいと思います。

*ご参考:2020年4月10日付ブログ「コロナ危機でGIGAスクール構想 2,292億円」

コロナ危機でGIGAスクール構想2,292億円
昨日、政府から新型コロナウイルス対策の補正予算案の説明を受けました。その中に「GIGAスクール構想」に2,292億円という予算項目がありました。補正予算で役所や族議員が悪乗りするのはいつものことです。これもそんな雰囲気を感じます。 ...

別の例ですが、小学校の英語の教科化は、教育の専門家や現場の教員の間では評判の悪い政策です。しかし、世論調査をすると、9割近くの保護者が賛成です。実証研究の結果として、小学校で年に35時間あるいは70時間の英語教育を施しても、ほとんど効果がないことが既にわかっています。

おそらく小学校英語の世論調査の回答者は、そういう実証研究の結果をご存じないのでしょう。何となく「早くから英語を始めた方が、ペラペラになるんじゃないか」という印象論や身近な帰国子女の体験談で判断し、世論調査に答えているのだと思います。「印象論と主観に基づく政策立案」の危険性を示すよい例です。小学校英語と同じ過ちを繰り返しそうなのが、GIGAスクール構想だと私は思います。

またしても岩波書店「世界」の2020年5月号に頼ってしまいますが、とても良い論考が3つ載っています。この号は小学校教育の関係者にとっては必読だと思います。

辻元(つじ はじめ)(上智大学理工学部情報理工学科・教授)「デジタル教科書は万能か?:情報を減らす教育の再評価を」

前川喜平(元文部科学省事務次官)「教育政策と経済政策は区別せよ:GIGAスクール構想の行方をめぐって」

中村文夫(教育行財政研究所主催)「ICT教育は教育スタンダードになるか?:教育行財政からの疑念」

辻元教授によると;

情報技術の活用と教育効果の関係については、十分な研究がなされているとは言えません。それどころか、教育のICT化と学力は無関係ではないかと思わせるデータさえあります。

辻氏は次の例をあげます。教育のICT化に関し、授業環境の先進度(電子黒板やプロジェクタ等の装備率)で全国1位の佐賀県は87.1%で、最下位の秋田県は17.3%です。デジタル教科書の整備率は佐賀県は100%で全国一です。他方、昨年の全国学力調査の県別ランキングでは、秋田県は全国1位で、佐賀県は全国43位でした。

ひとつの例に過ぎませんが、全国学力調査という信頼性の高い調査の結果と照らすと、教育のICT化と学力の間には相関関係はありません。私は「教育のICT化に無駄な予算とマンパワーを注いだから学力が低下した」というような飛躍した意見は述べません。しかし、少なくとも「日本の公教育に限っていえば、教育のICT化と学力は関係ない」という程度まではいえそうです。

また、辻氏によれば、韓国のデジタル教科書の導入後の調査を見ても、デジタル教科書が学生の興味を引くことはあっても、デジタル教科書の導入が学力を向上させるという確かなデータはないそうです。佐賀県の武雄市でも生徒1人1台のタブレットPCを用いた大規模なICT教育の導入実験が行われていますが、学力向上の効果は見られなかったそうです。辻氏は次のように言います。

学習には集中力が必要です。デジタル機器は強く視覚を刺激しますが、それが必ずしも理解を深めるとは限りません。強い刺激が思考の妨げになるからです。

私も同感です。ニュース映像は印象に残りますが、新聞の活字で読む方が記憶に残る気がします(あくまで私の印象論ですが)。最近はパワーポイントを社内プレゼンで使わない会社が増えています。辻氏はアマゾンのジェフ・ベゾスCEOの言葉を引用しながら「パワーポイントはカラフルな図やチャート、グラフで受け手に強い刺激を与えますが、そのことが必ずしも受け手の理解につながるとは限りません」といいます。

パワーポイントだと、画面がすぐ切り替わってしまい、受け手が情報を整理・分析・考察する作業が抜け落ち、受け手が思考を働かせる余裕がありません。動画になるとパワーポイントよりもさらに情報量が多く、学生が「観客」になってしまい、自分の頭で考えなくなってしまいます。

辻氏は「教育効果を上げるには、学生に与える情報量を少なくすることが有効」といいます。学生の注意を集中させ、情報量を最小化するには、昔ながらの授業中の板書がよいといいます。

ビデオ授業と実際の授業を比べると、実際の授業では学生の視線は板書する先生のチョークをまっすぐに向いています。ところがビデオのモニターを見る場合は、学生の視線はモニター全体を見ます。ビデオ授業には学生の注意を一点に向けさせる機能はなく、ビデオ授業だと学生の注意が散漫になってしまう、と辻氏はいいます。

辻氏の次の表現は興味深かったので、長いですが引用します。

人間の記憶には、長期記憶の他に、情報処理を行うワーキングメモリーがあります。つまり、思考の材料を短期記憶として頭の中に並べ、それらの情報処理をすることで、人間の思考は成り立っているわけです。したがって、深い思考をするには、ワーキングメモリーをできるだけ無駄なく使うことが必要になります。これが、集中力の正体です。つまり、集中することは、頭の中に無駄なものを置かないことで、思考のフリーハンドを獲得することなのです(禅の精神に通じるものですね)。

人間のワーキングメモリーには限りがあり、それを拡張する方法は知られていません。したがって、現在のところ、深い思考をするためには、何よりも頭の中に無駄なものを置かない、つまり情報のエッセンスだけを置いておき、ワーキングメモリーの使用を最小限にしておくことが望ましいわけです。

辻氏は「本とコンピュータ画面の違い」についても述べます。

本の素晴らしいところは情報量が凝縮されて少ないことにあります。静止した対象に向かい直線的にひたすら注意する必要があり、情報量が少ないので思考や想像をめぐらせないと理解できません。ですからページをめくりながら本を読むと強制的に思考することになり、深くストーリーに関わることになります。

対照的に大量の競合する情報や刺激にあふれているインターネットやコンピュータ画面上で本を読むと、情報と刺激の洪水にさらされるため、ワーキングメモリーがオーバーフローしてしまいます。思考することができずに、受け身になってしまい、主体的に思考をめぐらせることは難しくなります。

このように、印刷された本と、コンピュータ画面とは情報量がまったく異なります。コンピュータ画面に向き合うと受け身になってしまい、主体的に考えることは困難です。(中略)このようにデジタル機器の活用は、生徒の興味をひく半面、思考の省略につながってしまう面も否定できません。

情報理工学科の教授がこういうことをおっしゃる点が興味深いです。時代は変わりました。むかし読んだ哲学者の本で「本を読むことは他者の思考をまねる受け身の行為であり、本ばかり読んでいると自分の頭で考えられなくなる」といった主張を見た記憶があります(だれの本で、どんなタイトルかも忘れました。バートランド・ラッセル?)。時代の流れでしょうか。

結論は「一般論としてICT教育の教育効果はあやしい」というものです。もちろんICTを効果的に活用できる教授法や教員もいるでしょう。学生の興味を引くという点も重要です。まったく授業に興味を持てない子どもにとってはICT教育は効果的かもしれません。

しかし、義務教育段階の公教育における一般論としては、ICT教育の効果は限定的であり、それに投じる莫大な予算と教員の負担を考えれば、必ずしも効率的とはいえないと思います。むしろ非正規教員の正規化とか、経済的に困難な家庭の子どもへの就学支援の拡充に予算をあてる方がよいと思います。

ご参考までに2010年に情報処理学会、日本数学会、日本物理学会等の8学会が連名で、デジタル教科書の導入に関して出した要望を、おもしろいのでご紹介します。私のようなアナログ人間ではなく、情報処理学会も含めた専門家集団が出した要望である点が重要です。

  1. デジタル教科書の導入が、手を動かして実験や観察を行う時間の縮減につながらないこと。
  2. デジタル教科書において、虚構の映像を視聴させることのみで科学的事項の学習とすることがないこと。
  3. デジタル教科書の使用が、児童・生徒が紙と筆記用具を使って考えながら作図や計算を進める活動の縮減につながらないこと。
  4. デジタル教科書の使用が、児童・生徒が自らの手と頭を働かせて授業内容を記録し整理する活動の縮減につながらないこと。
  5. デジタル教科書の使用が、穴埋め形式や選択肢形式の問題による演習の比率増大につながらないこと。
  6. デジタル教科書の使用が、児童・生徒どうしが直接的に考えや意見を交換しながら進める学習活動の縮減につながらないこと。
  7. デジタル教科書の使用により、授業の「プレゼンテーション化」や、児童・生徒に対するプレゼンテーション偏重・文章力軽視意識の植え付けが起きないようにすること。
  8. デジタル教科書の導入に際して、教員の教科指導能力が軽視されることがないように、また教員の教材研究がより充実するように配慮すること。
  9. デジタル教科書の導入に際しては、少なくとも当面の間は、現行の紙の教科書を併用し、評価や採択においては紙の教科書を基準とすること。

辻氏によると「デジタル機器が思考を省略してしまうことへの懸念がよく分かる内容」とのこと。

「新しいものが常にすぐれているとは限らない」などと主張する私は「教育守旧派・保守派」かもしれませんが、安倍政権の“革新官僚”的な教育改革には「ちょっと待った」と声をあげ続けていきたいと思います。

なお、コロナ危機による学校の一斉休業でオンライン授業のニーズが高まっていることは事実です。「ICT教育の効果」と「やむを得ず実施するオンライン授業のニーズ」とは別問題です。「オンライン授業」については近いうちに別途ブログで書かせていただきます。長い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。