安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選特別企画の第18弾です。2016年7月5日付ブログ「安倍政権の教育再生でいいのか?」の再掲です。これでこの省エネ企画も最後になりそうですが、最後は教育でしめたいと思います。いちおうこれでも大学院で教育政策を専攻していたので。
安倍政権の「教育再生」でいいのか?
参議院選挙で教育政策はあまり争点になっていません。教育大学出身の私としては、安倍政権の教育政策に対しては言いたいことがたくさんあります。現政権の教育政策の何が問題でしょうか?
1.安倍総理の「教育再生」とは?
安倍総理が第一次安倍政権(2006年)から一貫して重視してきたのは2つの流れです。1つは、愛国心教育、道徳教育、歴史教科書の統制強化等のイデオロギー色の強い「教育改革」です。もう1つは、市場競争原理を教育に導入し、経済界の要請にこたえる新自由主義的な「教育改革」です。
安倍総理は「教育再生」という言い方を好みますが、裏を返せば「かつての教育は良かったが、悪化したので再生する」という復古思想です。では、どの時代の教育が良かったかといえば、「戦後レジームからの脱却」をめざす安倍総理は、戦前の教育を「再生する」つもりだと推測されます。
「教育再生」の結果、道徳教育は「教科」に位置づけられ、評価も行うようになります。戦前のように時の権力者に都合の良い価値観を植えつけるのに道徳教育が悪用される危険性があります。
「昔はよかった」とよくいいますが、教育社会学者の研究によれば、戦前の家庭のしつけは、一部のエリート層を除いて今よりいい加減でした。よくいわれる「家庭の教育力」なども戦前の方が弱かったようです。しつけや教育を学校任せにする傾向は、戦前の農村でも顕著でした。陰湿ないじめは当時も多く報告され、戦前の道徳水準が今より高かったとはいいがたいです。
過去を美化して「江戸しぐさ」などを絶賛する人の多くは、むかしの良い点だけを強調して、悪い点には目を向けません。「修身」や教育勅語で育った世代が、軍国主義を招いて日本を破滅の瀬戸際まで追いやりました。「戦後レジーム」の方が、「戦前レジーム」よりずっとマシということは明らかです。
権力に盲従する国民を育てる復古調の道徳教育や愛国心教育よりも、社会に積極的に参加する市民を育てる「シチズンシップ教育」が先進民主主義国のトレンドです。シチズンシップ教育では、政治や経済の仕組みを知識として教えるだけではなく、積極的に社会に参加するためのスキルや手段を学びます。
参加型民主主義を草の根で支える行動的市民を育てるのが、シチズンシップ教育の目的です。政治家は、学校教育で愛国心を押し付けるよりも、シチズンシップ教育を通して自然と愛情がわくような良い国をつくることに努めるべきです。
安倍政権の教育政策は、グローバル教育や実利的教育を重視します。経団連や経済同友会の要望に沿った教育改革も多いです。学校選択制やバウチャー制等、市場競争を教育に持ち込む傾向があります。
私は大学院でバウチャー制度の勉強をしましたが、世界の多くの事例を調べた結果、「競争すれば、教育の質が上がる」とは限らないことがわかりました。教育機会が不平等な状態で、競争原理を強調すれば、教育格差が広がります。教育機会が均等ではなく、親の所得や親の学歴が子どもの教育格差につながっているのが今の日本です。競争原理の強化は、教育格差を拡大します。
2.いまの日本の教育をどうすればいいのか?
アベノミクスのもとで若者の非正規雇用が増え、終身雇用の正社員は減り、低所得層が増えています。ひとり親世帯も増えています。特に母子家庭の貧困は深刻です。6人に1人の子どもが貧困状態に置かれ、十分な教育を受ける権利を損なわれています。憲法が保証する教育を受ける権利が形骸化しています。
教育を受けるチャンスを逃した子どもは、大人になって安定した仕事に就ける可能性は低く、世代を超えて貧困が連鎖します。公教育の強化や貧困家庭への経済的支援が、教育格差の縮小という意味でも、経済成長への投資という意味でも大切です。
1970年代までは、日本政府は教育にお金をかけていました。終戦直後には乏しい財源から中学校の義務教育化を断行しました。貧しくても教育予算を確保するのはかつての日本の美風でした。政府が教育投資を重視した結果、労働者の質が高まり、高度経済成長が実現しました。教育投資の重視が、1970年代までの日本の成功要因のひとつでした。安倍総理は教育予算に関しては、むかしの美風をまねしていません。
今の日本は、OECD加盟国で最も教育にお金をかけない国です。国が教育費を出さない代わりに、家庭が教育費を負担しています。他の先進国では政府が教育費の多くを負担しますが、日本では家計負担の割合がきわめて高いです。そのため、経済的理由で大学進学をあきらめざるを得ない高校生や奨学金を返済できない若者が数多くいます。民主党政権時代の高校授業料無償化によって高校中退率は改善しましたが、大学進学に関する問題は深刻化しています。
また、安倍政権は、グローバル教育や海外留学支援といった一部のエリート向けの教育を重視します。しかし、経済的理由で高校卒業や大学進学をあきらめている子どもたちの支援こそ最優先すべきです。経済界はエリート教育やグローバル教育を重視しますが、すべての子どもたちが普遍的に受ける公教育(小中学校)や教育機会の均等を重視すべきだと私は考えます。
教育格差を解消するには、公教育の充実が大切です。学習塾や家庭教師に頼らなくても、学校の勉強だけで十分な学力が身に着く公教育が必要です。基礎教育がしっかりしていて、すべての子どもに教育機会が与えられれば、人材のすそ野が広がります。すそ野が広くなれば、自然とエリートが育ちます。
エリート教育やグローバル教育は、文部科学省がうるさく口出しなくても、各大学や各私学の自由な発想に任せた方がよい結果につながると思います。大学の先生たちよりも、自民党文教族議員や文部科学省の官僚の方が、大学教育についてのより良く理解しているとは思えません。官僚統制や政治介入は、アカデミックな分野では有害なケースが多いと思います。
安倍政権が進めるグローバル教育はトンチンカンなものも多いです。たとえば、小学校から英語教育を始めれば、グローバルな人材が育つというのは幻想だと思います。小学校の教員は外国語教育の専門家ではありませんし、年間数十時間のわずかな英語活動では英語力は身につきません。
小学校で気休め程度の英語学習をやるくらいだったら、国語や算数にその時間を振り向けて基礎学力を底上げした方がよいと思います。さらに「英語力=グローバル化」という発想にも疑問があります(トランプ氏は英語が上手ですが、グローバルな思考をしない孤立化論者です)。
日本の教育に関する最大の問題は、学力格差です。上位グループの学力は下がっていません。むしろ下位グループの学力の低下(底抜け)が問題です。そして学力下位グループのかなりの部分は、低所得家庭の子どもです。社会階層が学力格差を生んでいる現実があります。貧困層の子どもたちが通う公立小中学校の教育の質を高めることが、教育格差是正や学力アップにも役立ちます。
教育の質を高めるためには、先生たちの役割は重要です。教員の質の向上には、教員養成課程の改革、現職教員の再研修支援、非正規教員の正規教員化といった政策が求められます。たとえば、日本の中学校教員志望の大学生は20日の教育実習を行いますが、他の先進国では70~120日です。教員養成課程の改善は急務です。
さらに現場の先生たちがペーパーワークや部活に追われて、子どもたちと向き合ったり、授業の準備をしたりする時間がないのが現状です。日本の教員は世界一多忙です。スクールソーシャルワーカーの配置や事務職員の増加などにより、教員が子どもたちと向き合う時間を増やすことが大切です。
地道な改善努力こそが教育改革では求められ、学校選択制やバウチャー制のような劇薬には慎重になるべきです。安倍政権の「教育再生」から脱却し、予算確保や教員の質の向上等の地味でも効果的な施策に力を入れるべきです。
派手に「再生」や「改革」を叫ぶよりも、トヨタの「改善」のような地道な努力の積み重ねが必要なのかもしれません。政治家は、イデオロギー的な教育改革を政争の具にするのはやめて、教育現場の先生たちや教育学者等の専門家の声に耳を傾けて静かに教育政策を議論した方がよいと思います。