今朝(1月16日)の西日本新聞の特命取材班の「図書館司書 やまぬ逆風」という記事を読み、福岡市の「官製ワーキングプア化政策」に強い憤りをおぼえました。
福岡市の行政は派手で見た目のよい政策やイベントは好きですが、働く人には冷たく、教育や文化を軽視しています。そして福岡市役所は、社会問題の解決につながるような本質的な政策には後ろ向きだと思います。
たとえば、福岡市は「一人一花運動」というのをやっています。地球温暖化とそれによる自然災害の激甚化など、人類の生存が危機に瀕している時代に優先すべき環境政策とは、CO2排出を抑える運動だと思います。たとえば樹木を植えると地球温暖化対策になりますが、一年草の花を植えてもすぐ枯れるので温暖化対策としては意味がありません。花がふえると心が癒されるかもしれませんが、地球温暖化のような深刻な社会的課題の解決には役立ちません。見た目は良いけれど、本質的な課題解決には貢献しない。まさに「お花畑的」な政策です。お花をふやす運動をやるなとは言いませんが、福岡市をあげて取り組む環境政策が「一人一花運動」というのは福岡市民として残念です。
いまの福岡市行政は、新自由主義的・市場原理主義的な規制緩和や、20世紀型の「開発行政」や「箱モノ行政」が中心です。「人口が増えた。税収が増えた」と喧伝していますが、人口の高齢化は進み、箱モノ行政のツケは残ります。あいかわらずの高度経済成長期の発想で産業政策に取り組んでいたら、将来に禍根を残すことでしょう。福岡市政の経済成長至上主義の具体例、人を大切にしない政治の具体例が、図書館司書のワーキングプア化です。
記事によると、福岡市の図書館司書の皆さんのほとんどは非正規雇用です。図書館司書は、国家資格が必要な専門職です。それなのに非正規の図書館司書の月給は19万円程度です。全産業平均賃金に遠くおよびません。福岡市は、19万円の月給をさらに10万円近くまで下げることを考えているそうです。
福岡市が、(1)いかに働く人たちのことを考えていないか、(2)いかに公立図書館という文化教育施設を軽視しているか、を象徴しています。すべての市民が文化的な生活を営めるようにする基礎的インフラが公立図書館です。お金がないと小説や歴史書、学術書が読めないというのは不公平です。情報や文化へのアクセス権はいまや市民的権利だと思います。
私も子どものころから図書館にお世話になってきました。幼いころは近所のボランティアの方が土曜日に自宅でやっている小さな図書館で本を借りたり、小学校の図書館で本を借りていました。中学生になると、夏休みといえばクーラーのきいた筑紫野市図書館に入りびたり、ニューズウィーク日本版のような大人の雑誌を読んでは、世界に飛び出すのを夢見ていました。だれでも好きなだけ本が買えるわけではありません。すべての人に開かれた公立図書館は、市民の権利です。
そして、本の選定、図書の管理方法、本の紹介など、専門性が求められる司書の仕事が、図書館のサービスの質、文化の保存機能の質を決定します。そんな専門性の高い仕事が、低賃金の非正規雇用になっている状況は望ましくありません。司書の専門性を高めるには、安定した雇用のもとで定期的に新しい知識や技術に触れる必要もあるでしょう。また長く勤めて経験を積んだ方がより良いサービスを提供できることでしょう。図書館司書は、正規の専門職として雇用すべきです。図書館司書の人たちを「官製ワーキングプア」にしようとしている福岡市は、おかしいと思います。
書店にいくと嫌韓本や反中国本といった「ヘイト本」が山積みになり、ベストセラー入りしている時代です。こういう時代だからこそ、良い本を選び紹介する司書の仕事は大切だと思います。AI時代だからこそ、インターネット時代だからこそ、本を読む習慣や良い本から得られる叡智や感性が大切だと思います。
マンガばかり読んでいる麻生財務大臣は、図書館に行ったことがあるかどうか不明ですが、図書館には予算をつけてくれそうにありません。図書館の社会的機能や司書の役割の重要性を理解しているとは思えない市長は、図書館に行ったことがあるのでしょうか?
安倍政権による「反知性主義的な政治」を全国でいちばん強力に実践しているのが福岡市かもしれません。福岡市の行政をあり方を変える4月にしたいものです。