過去には、今から振り返るとあっと驚くような政策が時々あります。教育政策の本を読んでいて、驚くような「格差是正策」を知ったので、ご紹介させていただきます。ちょっと長くなりますが、背景からご説明します。
1.終戦直後に中学教育が義務教育になり、教育支出が大幅に増えた。初等教育(小学校)と中等教育(中学校と高校)に教育予算の多くを配分したため、高等教育(大学教育)の予算は限られた。
2.高等教育の予算は限られるものの、高等教育のニーズは拡大したため、私立大学の数と定員が急増した。私学助成制度のなかった時代の私大の経営は、授業料収入に依存していたため、私大の授業料はきわめて高かった。日本の高等教育の拡大は、授業料の高い私大に依存する部分が大きかった。
3.授業料の安い国立大学に通う学生は、私立大学に通う学生より裕福な家庭出身というケースが多かった。大学進学率が急激に上昇するなかで、「裕福な家庭出身者が多く通う国立大学の授業料に多額の税金を投入するのはおかしい」という意見が出てきた。
4.さらに、教育の世界においても市場原理導入の流れに沿って「受益者負担の原則」が主張されるようになった。そのことも、歳出削減の流れのなかで、国立大学への税金投入への批判につながった。
5.自民党の文教制度調査会は、国立大学と私立大学の格差を縮小するという根拠で、国立大学の授業料を引き上げることを決め、1972年に国立大学の授業料を3倍とすることになった。
6.つまりは、(1)国立大と私大の授業料の格差があるのはおかしい。(2)だから、国立大学の授業料を値上げして、私立大学の授業料と同じレベルに近づけ、格差を縮小すべき。
という流れで、大学授業料を値上げしました。1970年代以降、いまに至るまで国立大学の授業料は上がる一方です。
現在の感覚で「格差縮小」といえば、「私立大学の授業料を下げる」というふうに考えるのが自然だと思います。
しかし、1970年代の教育論議においては、「受益者負担」という発想が出てきて、大学授業料を値上げするための理屈として「格差是正」が利用されました。いまでは考えられない発想だと思います。高度経済成長期だから通用した理屈かもしれません。
ちなみに教育政策における「受益者負担」が無意味なことは、教育経済学や教育政策を勉強している人ならみんな知っています。教育の利益は、(1)個人的な利益、(2)社会全体の利益、の2つに分けられます。
もし教育の利益が個人的な利益に限定されるのであれば、「受益者負担」の原則は適用可能です。しかし、教育の利益は社会全体も享受するため、「受益者負担」の原則に従って個人がすべてのコストを負担する必要がありません。社会(つまり政府)が教育にかかるコストを負担することは十分に合理的です。もし教育の費用すべてを個人負担にしてしまえば、社会全体が必要とする教育の総量よりも、少ない量の教育しか供給されません。教育というのは、市場原理だけに任せてはいけない分野です。
蛇足ながら、最近は大学生の給付型奨学金の議論が盛んです。もちろん奨学金を増やすというのもひとつの手ですが、大学の授業料を下げるというのも手です。大学授業料の低料金化は、現代の「格差是正」のための重要なステップだと思います。そろそろ「受益者負担」の呪縛から逃れ、教育機会均等のための政策を打ち出すべきタイミングです。