ローフレーション(low-inflation)という発想

まもなく日銀総裁も交代します。アベノミクスの評価、異次元の金融緩和をどうするのか、金融と経済財政政策が注目されています。その点で最近読んだ「メガスレット:世界経済を破滅させる10の巨大な脅威」はおもしろい本でした。

著者のヌリエル・ルービニ氏は、ニューヨーク大学スターン経営大学院教授、クリントン政権の大統領経済諮問委員会のエコノミスト等を務め、世界銀行、IMF、FRBで実務経験を持つエコノミストです。2006年から不動産バブルの危険性を警告し、いわゆるリーマンショックを予測したことで有名です。

政府債務が莫大になったときに政府がとる「ひそかなデフォルト」についてこう述べます。

インフレは、デフォルトと同じく、債権者と預金者から債務者へと富を移転する。自国通貨建て国債で借金している先進国は、返済に窮しても正式のデフォルトを宣言する必要はない。インフレを誘発すれば、長期の固定利付債の実質価値を目減りさせることができる。これはひそかなデフォルトにほかならない。

日本政府が「国債をもう返せない」と思った場合、「ひそかなデフォルト」に誘導し、インフレで借金の価値を目減りさせる方法がとられる可能性があります。退職した高齢者がいちばん打撃を受けることになります。現役世代はインフレに合わせて賃金も上がるだろうからまだマシですが、持っている金融資産の価値が大きく目減りするので退職者にとっては深刻な打撃になります。

また私にとって興味深かったのは、「適度なデフレ(低インフレ)は許容すべき」という考え方です。黒田総裁の日銀はデフレを悪者扱いして全力で戦ってきました。しかし、著者は「よいデフレ」と「悪いデフレ」があり、すべてのデフレが悪ではないと次のように主張します。

賢明な戦略は、デフレーションまたはローフレーションを再評価するところから始まる。ローフレーションとは、lowとinflationを合成した造語で、低インフレすなわりインフレ誘導目標を下回る水準が続くことを意味する。現在の規制当局はデフレやローフレーションを悪いものだと考えているが、必ずしもそうではない。国際決済銀行(BIS)の2005年の研究報告「歴史的視点から見たデフレ」を私は支持する。この報告書には「歴史を遡って調べた結果、過去のデフレは大きく三種に分類できることがわかった。よいデフレ、悪いデフレ、醜悪なデフレである」と書かれている。

第一次世界大戦前の一世紀にわたり、多くの国で物価水準は上がったり下がったりを繰り返していたが、物価下落がつねに景気後退を伴ったわけではない。むしろ多くのデフレは、生産性向上による経済成長を伴った点で「よいデフレ」だった。

私には目から鱗でした。経済成長を伴う「よいデフレ」なんて知りませんでした(勉強不足を実感します)。黒田総裁が必死でデフレ退治に取り組んでいた意味がわからなくなります。著者は「賢明な中央銀行は、よいデフレは容認する。デフレ対策として金融を緩和してバブルを招いたりすることはない」と言います。

経済学のケインズ学派とオーストリア学派の姿勢の違いを踏まえて、著者が望ましいと考える経済政策は次のとおりです。

ケインジアンとオーストリア学派は対立する。ケインジアンは政府介入を支持し、オーストリア学派は緊縮政策を支持する。バブル崩壊時に緊縮政策を徹底的に実行したらおそらく大恐慌になる。私が適切だと考えるのは、両者の中間の政策である。バブルが崩壊し、流動性が乏しくなった時点では、政策担当者はケインジアンであるべきだ。ただし、ずっとケインジアンのままではいけない。金融緩和、信用緩和、気前のよい財政出動をいつまでも続けていたら、結局は次のバブル形成・崩壊サイクルを誘発するだけである。緩和中毒をどこかで断ち切らなければならない。

私もまったく同感です。日本もそろそろ「緩和中毒」を断ち切る時期ですが、景気が悪化しているときには断ち切れません。微妙な判断ができることが日銀総裁の条件です。

たとえば、コロナ危機時の雇用調整助成金は重要な役割を果たしましたが、危機が緩和された後もダラダラと続けていては、健全な労働移動を妨げて生産性向上の足を引っ張ります。じゃぶじゃぶの財政出動や金融緩和もそろそろ終わりにしないと、日本はゆでガエルのように危うい方向へ進むことになりかねません。