流行語大賞のトップテンに「ブラック企業」が選ばれたのが、2013年のことでした。しかし、その後ブラック企業がなくなったわけではなさそうです。さらに「ブラックバイト」や「ブラック介護施設」、「ブラック保育園」という言葉まで使われるようになりました。
新型コロナウイルス感染防止のため外出自粛が要請され、飲食店やホテル・旅館など様々な職種で休業が広がり、世界経済の雲行きもあやしくなってきた結果、「派遣切り」や「雇い止め」が増加しています。
景気が急速に悪化する時に最初に困難な状況に陥るのは、弱い立場の労働者です。非正規雇用や派遣社員から解雇されます。コロナ危機でバイトがなくなり、生活に困窮する大学生が増えているとの報道もあります。
景気悪化が進むなかで「ブラック企業で働かされる社員やバイト、派遣労働者はどうなっているんだろう?」という疑問を持ち、ブラック企業対策に取り組んできた第一人者のNPO法人POSSEの今野晴貴さんの著書を続けざまに何冊か読みました。また、昨日は派遣切りされた労働者を支援をしている労働組合の方にお話しをうかがいました。
今野さんの本を読み、また派遣切り問題の取り組む労働組合の方のお話しをうかがって、「むき出しの資本主義は残酷で怖い」という印象を強く受けました。経済が上り調子の時には問題点はあまり目立ちませんが、経済が悪くなると問題点がグロテスクに表に出てきます。コロナ危機で労働者を取りまく状況は悪化しています。
1990年代の労働規制の緩和や景気後退を受け、終身雇用・年功序列を基本とする日本型雇用も大きく変わりました。一部の大企業や行政には日本型雇用慣行の要素が残っていますが、日本社会全体でみれば日本型雇用は廃れつつあります。
その代わりに増えたのが、非正規雇用であり、正社員を使い捨てにするブラック企業です。ブラック企業の場合は、非正規雇用はもちろんのこと、正社員であっても終身雇用・年功序列ではなく、若い労働者を低賃金の長時間労働で「使いつぶす」ことで利益を上げます。
非正規雇用(バイト、パート、派遣)は低賃金で使い捨てると同時に、正社員は「正社員なんだからサービス残業は当たり前」と長時間労働を強いるのが、ブラック企業です。労働規制の緩和やグローバル化の影響を受け、そういうブラック企業が増えてきたのが、現代日本の大きな問題です。
かつて日本の大企業では、長時間労働と若い頃の低賃金は、年功序列の賃金体系と終身雇用、企業内福祉(社宅や企業年金)により、長期的には報われました。しかし、ブラック企業の正社員の場合は、企業内福祉の恩恵はなく、賃金は上がらず、長時間労働が報われない構造になっています。そしてその構造が利益を生みます。
ブラック企業で働く若い息子・娘世代に、親世代は「せっかく正社員になったんだから、いまの職場でがんばれば、いつか報われる」と説教しがちです。しかし、今どきのブラック企業は、伝統的な日本企業とは異なります。がんばって長く働けば働くほど会社はもうかり、社員は疲弊し、心を病んでしまう人も出ます。
今野氏によると、ブラック企業になりやすいのは、高度にマニュアル化が進んだサービス業だそうです。今野氏は次のようにいいます。
外食チェーン店や小売チェーン店でも人手は不足しているのだが、これらの業界では高度にマニュアル化が進んでおり、だれが従事しても成果に大きな差は生じない。コンビニや飲食チェーン店では、店長さえ数か月の研修で開業できる。
その結果として、人員を極限まで削減し、低賃金でマニュアル通りに働かせることが、企業の利益につながります。長く勤務すれば、スキルが向上して、より質の高いサービスが提供できる職種であれば、年功賃金や長期雇用(終身雇用)が割に合います。
しかし、短期間の研修を受けてマニュアル通りに働く人材で仕事が回るのであれば、低賃金で労働者を「使いつぶす」方が利益が出ます。コロナ前までは、外食、コンビニ、IT業界等では「使いつぶし」型の労務管理が横行し、離職率が高いため、慢性的に人手不足状況が続いていました。
なぜ慢性的に人手不足かといえば、低賃金で「使いつぶし」型の労働を強いるためです。いうまでもありませんが、安定した高収入の職種で人手不足が慢性化することはほとんどありません。(*脱線:一部の地域や分野で医師不足が発生していますが、医学部の定員をしぼったこと等の影響であって、特殊な理由です。)
さらに介護や保育の分野に営利企業の参入が増えてくると、高齢者や子どものことより利益を最優先する企業が増えて、金儲け最優先で運営する「ブラック介護施設」や「ブラック保育園」が増えていると今野氏は指摘します。
厚生労働省の労働力調査によると、近年の労働市場で雇用が増えているのは「医療・福祉」産業です。たとえば、介護の仕事は、人が人のお世話をするので、労働集約的であり、利益率を上げようとすると人件費を削るしかないといってもよいでしょう。
介護施設で人件費を削ろうとすれば、(1)職員1人あたりの賃金を低くする、(2)職員の人数を少なくする、の2つしかありません。賃金を低くすれば、職員の生活が苦しくなるのは当然であり、望ましいことではありません。介護士の給与水準は、全産業平均よりも低いのは周知の事実です。
また、介護施設の職員の人数を少なくすることは、長時間労働やサービス低下に直結します。自動車工場のようにロボットとAIで労働生産性が上がるというわけにはいかないのが、介護の仕事です。人手が少なくなれば、目が行き届かなくなり、事故も起きやすくなります。
保育の分野でも、介護と同様の問題が起きています。保育園の人手不足は深刻ですが、低賃金ゆえに人手不足になっているケースが多いようです。潜在保育士(保育士の資格があるのに保育園で働いていない人)が大勢いるのに、人手不足というのは雇用の質の問題だと思います。今野氏は次のように指摘します。
株式会社の保育園の人件費比率は社会福祉法人よりもさらに低い傾向にあり、保育士の人件費に充てられるべき補助金が、他の事業所の開設に流用されている実態がある。(中略)
保育士の給与が15万円程度しか支払われていないなかで、およそ4分の1もの資金が運営費に直接充てられず、その一部は運営会社の「事業の拡大資金」に流用されていることになる。本来なら労働者に支払われるべき賃金からの搾取によって、ますます利益を拡大していくわけだ。
保育士の皆さんの多くは、給与が低くても子どもへの責任感や社会的使命感で長時間労働に耐え、そして一部は燃えつきて辞めていき「人手不足」が起きると今野氏はいいます。
ブラックな保育園の経営者が「保育士の人手不足」を叫ぶたびに、僕は非常に滑稽だと思う。利益拡大を目的にしない保育運営を実現しさえすれば、労働条件は向上するし、再び保育士になりたい「潜在保育士」は多数いることが、とうの昔に知られているからである。まして、ブラック企業が語る「人手不足」ほど、盗人たけだけしい物言いはないだろう。彼らの介護・保育の経営方式こそが、経済の攪乱の元凶なのである。
今野氏は「過酷な労働による『使いつぶし』が人手不足の原因である」と指摘しますが、「使いつぶし」をくり返しても新たな労働力が供給されることで不幸の連鎖は止まりません。日本人の若者が足りなくなれば、外国人技能実習生を連れてきて、また「使いつぶし」を続けるのでは、健全な社会にはなりません。また、ブラック企業的な働き方が、経済成長につながっているとは思えません。
むき出しの資本主義というのは、グロテスクで暴力的です。何らかの規制や規範、抑制力が必要です。労働者を守る規制は必要だし、まずは労働基準監督署の権限強化や労働基準監督官の増員を進めるべきです。
社会的責任投資(SRI)やESG投資(環境、社会、企業ガバナンスに配慮した企業への投資)という言葉が出てきて、株主・投資家が企業行動をチェックする仕組みができつつあるのは望ましいことです。「働く人にやさしい企業には投資し、そうでない企業からは投資を引き上げる」という仕組みは評価すべきです。資本主義の暴走を抑えるために重要な経済インフラだと思います。
他方、上場していない企業や中小零細企業には、SRIやESG投資は影響力がありません。政府の労働基準監督署のような強制力のある組織と合わせて、労働者を守る労働組合やNPOの存在も不可欠です。不当な働かせ方をしている企業を監視する対抗力として労働組合やNPOをもっと重視し支援する必要があります。
また、最低賃金の引き上げも不可欠です。年に2000時間働けば、安心して暮らせる水準をめざすなら、やはり時給1500円を目標にしなくてはいけません。フルタイムで働けば年収300万円という水準を目標にすべきでしょう。他の先進国の所得水準を考えれば、決して不可能な水準ではないと思います。
いまコロナ危機による倒産や廃業、「派遣切り」や「雇い止め」が増えています。失業者が増えるとますます「使いつぶす」ための労働力が労働市場に参入するため、ブラック企業にとって低賃金で人を雇えるチャンスになるかもしれません。
ブラック企業、ブラックバイト、ブラック介護施設、ブラック保育園などという言葉を死語にしなくてはいけません。コロナ経済危機でブラック企業がさらに力をつけないように、政府(行政)も国会も市民社会(労働組合やNPO)も監視を強めなくてはいけないと思います。
*参考文献
今野晴貴 2013年「ブラック企業ビジネス」朝日新書
今野晴貴 2016年「ブラックバイト」岩波新書
今野晴貴、井手英策、藤田孝典 2018年「未来の再建」ちくま新書
今野晴貴 2020年「ストライキ2.0」集英社新書