「脱・小さな政府」と水道民営化

コロナ危機で明らかになったのは、「小さな政府」のかけ声のもとで公務員削減や歳出削減を続けた結果、危機に弱い政府になっていたということです。「小さな政府」は、結局のところ「小さなセーフティーネット」でした。最小限の公共サービスをめざした結果、最も必要な時にサービスが不足するようになりました。

全国の保健所は1995年度の845カ所から今年度の469カ所まで減少しました。保健所の常勤職員は1995年度の約34,000人から2017年度には約6,000人も減っています。保健所の体制が脆弱になり、危機に対応する能力が弱まっていることは明らかです。「ムダをなくす」と称して、必要なものまで削っていたということです。ダイエットに励むあまり、ぜい肉だけではなく、筋肉まで減らしてしまったようなものです。

こういった「小さな政府」をめざす新自由主義的な潮流は、英国のサッチャー首相、米国のレーガン大統領、日本の中曽根首相の頃にさかのぼります。それ以来、政府の活動領域をせばめる規制緩和や民営化、業務委託化(アウトソーシング)が進みました。

私は「すべての規制緩和や民営化に反対」ではありません。一時期の英国では、高級自動車で有名なロールスロイス社まで国営企業でした。ロールスロイス社や英国航空、ブリティッシュ・テレコムといった国営企業は民営化してよかったと思います。しかし、英国のように鉄道や水道から刑務所まで民営化やアウトソーシングするのは行き過ぎだと思います。

新自由主義的な民営化の行き過ぎを是正する動き(再公営化)が、コロナ危機の前から世界で広まりつつありました。今回のコロナ危機が、「脱・小さな政府」化や再公営化を加速すると思います。

日本がその流れに乗れるか否かはわかりません。安倍政権は、周回遅れの新自由主義革命を進めてきました。たとえば、水道法改正による水道事業の民営化などがその一例です。

数年前までは「政府の事業はムダが多くて非効率だから、市場原理と民間企業に任せた方が効率的でコスト削減になる」という新自由主義的な主張が、無条件の真実のように受け取られてきました。いまふり返ってみると、実証研究や実績による主張ではなく、単なるイデオロギーの一種だったと言えるかもしれません。

実際に民間企業の方が効率が良い事業もあります。他方、公営の方が効率の良い事業もあります。たとえば、水道事業は、“自然独占”が成り立ちやすく、一社が独占した方が効率的です。同じ地域内で複数の水道会社が競って水道管を引くのは非効率です。

そして一社が独占するのであれば、利益を上げる必要のない公的機関が独占した方が公正に運営できます。また、生きるために不可欠な水の供給は、私的利益を追求する企業が一社で独占するのは危険です。好きなだけ値上げができる独占状態では、暴利をむさぼることは目に見えています。政府が直接関与する正統性が高いのが水道事業です。

そもそも水道事業は民営化すべきではありませんが、新自由主義革命が流行していた1990年前後に世界各地で水道事業の民営化が進みました。世界銀行やIMFが新自由主義的な思想を受け入れ、発展途上国への融資の条件にしたので、民営化や市場化は発展途上国ほど急激に進みました。

水道の民営化には、個人的にも恨みがあります。私がJICA本部でフィリピン担当だった頃(1996~98年)にマニラ水道公社にJICAが技術支援を行っていました。札幌市水道局に協力してもらって水道技術者をマニラに派遣し、またマニラ水道公社の技術者を札幌市に招いて研修してもらっていました。

業界用語でいうと「無収水(Non-revenue water)低減化」の技術協力プロジェクトでした。「無収水」とは収入を得られない水のことで、日本では水漏れが大半です(日本の無収水の少なさは世界有数です)。しかし、フィリピンの場合は、水道管の老朽化による漏水も多いのですが、勝手に水道管から水を取る「盗水」も多かったです。

我われのプロジェクトは順調に進んでいたのですが、突然フランスの「水メジャー(水道事業の多国籍企業)」にマニラ水道公社が売却されました。日本政府の立場としては、「公的機関であるマニラ水道公社には援助できるが、民間企業には援助できない」ということになります。

日本側関係機関の厚生省(当時)国際課や在フィリピン日本大使館と協議しながら、プロジェクトの途中で事業を打ち切りました。上司と二人でマニラに出張してプロジェクト打ち切りの協議をしたのも記憶にあります。

そんなわけで水道事業の民営化には20年以上前から関心があるのですが、世界各地で水道の民営化は失敗しています。民間企業に水道事業を委託した結果、水道料金が上がったケースが大半です。株主への配当や金融機関への利払いに料金収入をまわした結果として、長期的な設備投資がおろそかになり、設備の老朽化や水質劣化が進んだ例も多々あります。コストが削減された例や水道料金が下がった例はまれです。

企業と公的機関(水道公社等)の特徴や行動原理を比較すれば、容易に想像できる結果だと思います。企業は株主に配当しなくてはいけません。水メジャーの経営陣も高給取りが多いわけです。外資系企業(水メジャー)の場合は、親会社に利益を送金しなくてはいけません。利益が出たら納税しなくてはいけませんが、納税する元手も水道利用者から利用料として徴収します。そして水道事業の末端の従業員の給与水準は低いレベルに抑えられ、長期的投資は控え目になりがちです。

一方、地方政府が直営で水道事業を実施したり、水道公社が運営したりする場合は、株主への配当は不要です。親会社のある本国への利益の送金もありません。金融機関からの借り入れも、公債を発行できるので低利ですみます。収益が上がっても税金を払う必要はありません。水道事業の収益金は、一般財源にくり入れたり、水道事業に再投資したりできます。

また、地方政府の場合は、水道料金を釣り上げて暴利をむさぼるインセンティブがありません。そんなことをすれば、住民は次の選挙で首長や議員を落選させることでしょう。逆に警戒しなくてはいけないのは、ポピュリズム政治家が人気取りのために水道料金を安くし過ぎたり、水道を無料化することです。水道の維持管理コストを回収できなくなったり、再投資の原資が確保できないと、水道事業の持続可能性が損なわれるので、適切なレベルの水道料金を徴収する必要があります。それでも公営水道事業の場合、水道料金が高くなり過ぎる方の心配は少なくてすみます。

以上のような水道民営化の実態に多くの市民団体や政治家が気づき、世界では水道事業の「再公営化」が進んでいます。水道民営化が始まったのが1980、1990年代です。契約期間が25~30年というパターンが多く、2010年前後に民営化の契約期間が満了になり始めました。それ以降は水道の再公営化の事例が増えています。

その典型例が、パリ市の水道の再公営化です。世界で最初に近代的な上下水道が整備されたのは19世紀のパリでした。その伝統もあり、世界の水メジャーのうち2社のヴェオリア社とスエズ社はフランス企業で、どちらもパリに本社があります。

フランス政府の後押しを受けてヴェオリア社とスエズ社は、世界銀行やIMFが推進した水道民営化の流れに乗り、世界に進出しました。そのショーウィンドウだったのが、1985年に両社と25年間のコンセッション契約(民営化契約)を結んだパリ市の水道でした。

しかし、パリ市は25年間の契約期間が満了した2010年に水道を再公営化しました。水道が民営化されていた期間中、水道料金は値上がりし、両社は高い利益率を上げていました。他方、朽化した水道管の更新などの投資はおろそかにされていました。そういった状況を重く見た市長が再公営化を決断しました。

新自由主義革命では「水道を民営化すれば、効率的に低コストで運営でき、良質の水を供給できる」と説明されてきましたが、事実ではありませんでした。これまでくり返されてきた「政府は非効率で、企業は効率的」というスローガンは、水道分野に関しては根拠のない主張だったことが明らかになりました。

パリ市の水道事業は再公営化されて10年がたちますが、国連の「公共サービス賞」を受賞するほど、効率的かつ革新的な手法で運営されています。大規模な初期投資をしつつ、経費節減に成功し、水道料金を8%引き下げることができました。

さらにパリ市水道局は、水源地保全のために土地を買い取ったり、水源地周辺の有機農家に補助金を出したり、市内に無料飲水機を設置してペットボトル消費を減らしたりと、さまざまな取り組みを行っています。安全な飲料水を安く供給するというだけでなく、環境保全まで考えた水道事業を実施できるのも公的機関ならではです。水メジャーでは不可能だったことです。

世界が水道民営化の失敗に気づいて、水道の再公営化を進めている一方、日本では安倍政権が水道民営化を始めようとしています。悪い冗談です。コロナ危機で新自由主義の限界、「小さな政府」の限界が明らかになりました。「脱・小さな政府」に向けて、政治の流れを変えなくてはいけません。

*参考文献

岸本聡子 2020年「水道、再び公営化」集英社新書

岸本聡子編 2019年「再公営化という選択」堀之内出版