新型コロナウイルス感染者は、国内で確認されただけでも三千人近く、世界では百万人を超えました。福岡県内でも感染者が増え、外出自粛要請もより厳しくなってきました。子どもの重症化の例も報道されるようになり、小さい子が2人いるわが家にとっても深刻な危機です。昨年母を亡くしたばかりなので、80歳を超えた父のことも心配です。
労働団体の方にお話をうかがうと、1~2週間前までは休業補償や中途採用の内定取り消しの相談が多かったが、最近は失業や新卒採用の内定取り消しの相談が増えているそうです。中途採用の内定取り消しの人は失業保険が申請できますが、雇用保険に入っていない新卒者の内定取り消しはより深刻といえるかもしれません。飲食店は家賃が払えなくなっているところが多いと聞きます。非正規やフリーランスの休業補償も一刻を争う課題です。
多くの国民がコロナ感染拡大に不安を覚えているなかで、安倍総理が発表した「1住所あたり2枚の布マスク」という政策は、さらに国民の不安を増したのではないでしょうか。多くの人は「家族でたったの2枚なのか?」と疑問に思われたことでしょう。
私も地元のドラックストアに並んで買ったマスクの在庫が危なくなってきて心配になってきました。ちなみに、蛇足ですが、「国会議員だからどこかからマスク買えるんでしょう?」と言われたことがありますが、ドラッグストアに朝一で並んだり、生協の抽選に申し込んだりして入手しています。
もともと若い頃に国際NGOで災害時や紛争地の緊急人道援助に従事していた私のような人間は、ひょっとすると危機に鈍感なのかもしれません。頼まれてもいないのに、平和な日本から、危険な紛争直後の東ティモールや紛争中のアフガニスタン、地震後のインドや津波後のインドネシアに志願して飛び込んで行くような人間は、リスクをあまり恐れないタイプの人間だと思います。リスクに敏感な人は、ふつう緊急援助を職業にしません。また、緊急援助に従事した人たちは「危機に慣れる」という傾向もあるかもしれません。
しかし、私のように危機にやや鈍感な人間でさえ、今回の危機は怖いと感じます。特に「自分が無症状感染者だったらどうしよう。無自覚に人に感染させてしまったらどうしよう。」という心配があります。自分が感染する心配より、人に感染させる心配の方が大きいです。
今回の新型コロナウイルス危機は前例のない危機です。最近よく政府がいう「証拠に基づく政策形成(EBPM)」は、前例のない危機にあたっては難しいでしょう。他の感染症対策を参考にしても、まったく同じケースではないので難しいのは理解できます。政府の対応にときに誤りがあっても仕方ない面もあります。
他方、危機の最中であっても「合理的な政策形成」は可能だし、心がけなくてはいけません。今回の安倍総理の「1住所あたり2枚の布マスク」という措置に、多くの国民が怒り、あきれて嘲笑し、失望しているのは、「合理的でない」からだと思います。合理的な判断ができない政府は、信用できません。
たとえば「1人あたり2枚」であればまだマシかもしれません。しかし、単身者にも5人家族にも「1住所あたり2枚」では、世帯数が多い家庭ではぜんぜん足りません。マスク1枚で200円だそうですが、マスク代だけで200億円かかり、それに郵送代が数百億円かかることでしょう。
また、今回配布予定の「アベノマスク」は布製ですが、WHOは「布製マスクは推奨しない」としています。一般的な使い捨てマスクの方が、表面の穴が小さく感染防止には効果があるとされます。あまり効果のないマスクを配っても国民の不安は解消されないでしょう。もっと別のことにお金をかけた方がよかったと思います。
布製マスクを2枚だけ配るより、使い捨てのマスクを大量に供給する方が、国民の不安解消には役に立ったと思います。そもそも「マスクをしても感染防止には役立たない」という専門家もいますが、マスクはある意味で象徴です。マスクが街に出回っていないことが大きな不安要因となっている以上、布製マスクではなく、使い捨てマスクを十分に国民に行きわたらせることは不安解消に役立つはずです。
マスクの販売に関しては台湾などでは政府の規制で国民の不安を少なくする努力をしています。医療施設や介護施設、障がい者施設などにマスクを優先的に配給したり、マスク製造メーカーや小売店に医療的に必要性が高い人や高齢者を優先した売り方を工夫するように要請したりと、もう少し工夫ができると思います。ここで「アベノマスクじゃないだろう」と多くの国民が思っていることでしょう。
いわゆる「アベノマスク」騒動では、短期的な危機管理の失敗に見る「構造的問題」が明らかになっています。危機の最中というのは、その国が抱える構造的な欠陥があらわになる時期です。政府の方針が、専門性や現場の声を軽視して、官邸のごく限られた人数の官僚の意見で決められていることが、改めて明らかになりました。新聞報道によると「アベノマスク」は経産省出身の官邸官僚の知恵だそうです。
「安倍一強」とか「官邸主導」というのは、平時にはある程度機能しているように見せかけられるのかもしれませんが、非常時にその脆弱性が表面化しました。専門家の知見をうまく吸い上げて政策に昇華させるシステムが機能していません。専門家会議の意見がどこまで政府の方針に取り入れられているのか心配なところもありますし、専門家会議の人選に偏りがあるという報道もあります。
また、中央集権的に対応した方がよいこともある一方で、分権的に現場や地方自治体にまかせた方がよいことも多々あります。何でも中央集権的に判断する体制というのは、情報が上がってくるまでに時間がかかり、対応が遅くなることもあります。もっと現場の裁量にまかせられる体制と、平時からの準備が必要になります。
国連機関でもJICAでもNGOでも緊急援助に対応するスタッフは、平時には研修を受けたり、危機が起きた場合の緊急対応プラン(contingency plan)を作る作業を行います。起こり得る危機を想定したシミュレーションを行ったり、緊急時のマニュアルや標準作業手順を整備したり、日頃の準備が危機対応の成否を分けます。今回のコロナ危機が終息した後は、政府機関や医療機関の日頃の準備体制をもう一度見直す必要があります。
また、これまで社会保障費(医療費含む)はずっと抑制されてきました。医療費削減のために病床数を減らすことがずっと言われてきました。しかし、日本は先進国のなかで病床数が多いことが、今回の危機にあたって余裕につながったのかもしれません。危機が終わったあとに十分に検証した上で、医療費抑制一辺倒でやってきた方向性の転換も検討する必要があります。
コロナ危機は、多くの人のモノの見方を変えるかもしれません。アメリカ大統領選ではこれまでトランプ優勢が伝えられてきました。コロナ危機に際して、トランプが実施した国民皆保険制度(オバマケア)の廃止が貧困層を直撃し、「お金がなくて病院にいけない」という人を増やした可能性が高いです。その結果としてコロナ蔓延が加速した可能性もあります。アメリカ国民の一部は「やはりオバマケアは必要だ」と考えを改めて、民主党の大統領候補を支持するようになるかもしれません。
減税と政府機能の縮小を進めてきた「小さな政府」では、危機に対応できないことが明らかになったと思います。危機にあたっては財政出動の規模も大きくなります。医療機関のスタッフや危機を充実するにも、感染症対策の研究体制を整備するにも、政府支出は不可欠です。すべての支出増を国債に頼ることはできないので、危機後にはある程度の増税も必要になり、「大きな政府」化は避けられません。枝野代表の言葉を借りれば「責任ある充実した政府」こそが、危機の時に頼れる政府だと思います。
非正規雇用の人たちが、コロナ感染が引き起こした景気の急速悪化の最初の犠牲者になっています。非正規雇用を増やしてきた労働規制改革の悪影響を多くの国民が再認識したと思います。非正規雇用の正規化を進めることの重要性が、あらためて明確になったと思います。
日本でもマスク供給が危ういことが明らかになり、必需品の多くを輸入に頼ることを「リスク」と捉える人が増える可能性があります。多くの国民はこれまでエネルギーや食料の自給率を気にしていなかったと思いますが、「突然モノが輸入されなくなる可能性」に気づき、エネルギーや食料の自給率向上に関心が向くかもしれません。国境の閉鎖が続くと、グローバル化一辺倒という雰囲気も薄まり、内需を重視し、いろんなモノの地産地消化が進むかもしれません。
もちろん目の前のコロナの感染拡大防止、医療崩壊防止の取り組みが最優先であり、国民の生命と雇用を守ることが目の前の最優先課題です。同時にコロナ危機後の統治機構(危機管理体制)の見直しや経済構造の転換の方向性も、今のうちから考え始めることが大切だと思います。