最低賃金と生産性:日本の労働者の悲劇

日本の労働生産性は、いまや先進国で最低水準です。多くの人は、次のようなイメージを持っていると思います。

1)日本人の平均的な教育水準は高い。

2)加えて、日本人は勤勉である。

3)したがって、日本人の労働生産性は高い。

しかし、実際にはいまや日本の労働生産性は先進国で最低水準です。かつては日本の労働生産性は高い方でした。製造業の生産性は相変わらず高いのですが、GDPに占める割合の高いサービス業の生産性が低く、全体の生産性を低めています。日本人は「おもてなし」が好きですが、それがサービス業の生産性向上に貢献していません。

デービッド・アトキンソン氏の論法にしたがうと、今の日本の問題点は次のようになります(*参考文献をご参照ください。)

日本の労働者は、人材の質は高いのに、それに見合う生産性をあげていないし、それに見合う所得を得ていない。生産性の低さと低所得により、経済は成長しない。

世界経済フォーラム(World Economic Forum 2016)の「人材の質」ランキングによると、日本の労働者の「人材の質」はOECD諸国で第4位です。1位フィンランド、2位ノルウェー、3位スイス、5位スウェーデンと、北欧の福祉国家の小国が上位に入り、主要国ではカナダが9位、ドイツが11位です。G7の主要国では日本がトップです。

しかし、2016年の一人当たりGDPランキングで見ると、日本は28位で41,275ドルでした。米国は11位で57,436ドル、ドイツは18位で48,111ドルとなり、日本よりも「人材の質」が低い国の方が、一人当たりの国民所得が多い傾向があります。

この状況をアトキンソン氏は「奇跡的に無能な日本の経営者」と形容し、労働者の質が高いのに経営者がその人材を十分に活用できていない点を指摘します。

第二次世界大戦中の日本軍は「兵士は優秀なのに将校は無能」と言われました。兵卒や下士官は勇敢でがまん強いのに、将校は傲慢で無能。陸軍参謀本部のエリート将校は、現場の実情を無視した無謀な作戦計画を立て、数えきれない悲劇を招きました。空虚なスローガンを叫ぶプライドばかり高い試験エリートの陸海軍官僚が、庶民から徴兵された優秀な兵卒や下士官を使いこなせなかったのが、「失敗の本質」で描かれている悲劇を招きました。

おそらく今の日本では「労働者は優秀なのに経営者は無能」ということなのでしょう。戦時中も戦後のいまも「庶民(平均的な国民)は優秀だけど、エリートは無能」という状況は変わっていないのかもしれません。

アトキンソン氏は日本の生産性向上の処方箋のひとつとして、最低賃金の引き上げを提案します。近年のさまざまな研究により「最低賃金が高ければ高いほど、生産性も高まる」ことが明らかになっています。

最低賃金で働いているのは、女性と若者が多く、低所得なので、給料をもらうとほとんど支出に回します(経済学的には「消費性向が高い」と言います)。低賃金の人は余裕がないので、すぐに消費せざるを得ません。消費を活性化させるためには、なるべくお金に余裕のない人にお金が回る仕組みをつくることです。最低賃金の引き上げは、確実に消費の活性化につながります。

他方、最低賃金を引き上げると中小零細企業の経営が苦しくなるという批判が必ず出ます。しかし、低い最低賃金しか払えない企業というのは、非効率な経営をしているということです。最低賃金を引き上げることで、省力化の設備投資や業務改善を促し、企業の生産性を向上させる方向に持っていかなくてはいけません。

低い最低賃金に苦しむ労働者のことを考えれば、産業界の反対を押し切ってでも最低賃金を引き上げるべきです。そのことが景気回復につながり、経済全体を押し上げ、結果的に産業界を潤すことになります。目先の短期的利益のために労働者の賃金を減らしてきた結果が、デフレから脱却できない日本経済の低成長を招きました。最低賃金の引き上げは短期的には経営に悪影響を及ぼすかもしれませんが、長期の成長には不可欠な要素です。

各国の最低賃金を購買力平価で表すと、日本は6.5ドルですが、米国は8.5ドル、英国は9.38ドル、台湾は8.75ドルといった感じです。韓国の最低賃金が7.36ドルなので、日本より高いことになります。「人材の質」が世界4位である日本の最低賃金が、こんなに安いのは不当です。

労働者の質が高いことを考えれば、欧州並みの最低賃金を目指すのは当然のことです。全国でいちばん最低賃金が低い県の最低賃金を1000円に引き上げるくらいのことはすぐ実行すべきです。他国の労働者の質と経済の状況を考えたら、日本の最低賃金は1500円くらいまで引き上げて当然だと思います。

すぐに思いつくのが「最低賃金を引き上げれば、失業が増える」という批判です。しかし、これまでの英国などの実績を見ると、最低賃金を上げても失業は増えていません。むしろ最低賃金の引き上げが格差を是正していることが明らかになっています。

最低賃金の引き上げは、①生産性の向上、②消費の活性化、③格差の縮小、といった効果があります。最低賃金の引き上げという政策は、派手さはないですが、とても重要な政策だと思います。立憲民主党の選挙公約の柱のひとつにしたら良いと思います。

*ご参考:デービッド・アトキンソン 2018年『新・生産性立国論』東洋経済新報社