アフガニスタン人からのメール

アフガニスタンで中村哲医師が銃撃され亡くなられたニュースは、日本だけでなくアフガニスタンでも衝撃をもって受け取られ、多くのアフガニスタン人が中村医師の死を悲しんでいます。故郷の福岡の生んだ偉大な人物の死は、福岡では特に大きなニュースになっています。心からご冥福をお祈りします。

もう十年以上も連絡をとっていなかったアフガニスタン人の友人からメールが来ました。私がアフガニスタン北部で働いていた時の友人で、立場上は私の部下でしたが、現地のことを何も知らない私にいろんなことを教え導いてくれた、年下だけど頼りになる部下でした。

彼は中村医師のことを「勇敢なスーパーヒーロー」と呼び、多くのアフガニスタン人が悲しみ、中村医師を同じアフガニスタン人のテロリストが殺害したことを恥ずかしく思うと書いていました。灌漑や植林などの功績は広くアフガニスタン国内でも知られていて、ひとりのアフガニスタン人としての感情を日本人の私に伝えたかったようです。

中村医師とは一度もお会いしたことはありません。しかし、アフガニスタンに赴任する前に手当たり次第にアフガニスタンに関わる日本語文献を読み、その中に中村先生のご著書も何冊かありました。ペシャワール会は、同じNGO業界でもあり、同じアフガニスタンで事業を実施する団体でもあり、初めてアフガニスタンに赴任する前の私にとっては貴重な情報源になりました。

私の勤務していたNGOは当時、首都カブールと北部のマザリシャリフという地方都市、難民キャンプのあるサリブルという小さな街の3か所に事務所を構えていました。首都と北部で事業を実施していたので、中村先生のペシャワール会の事業地のジャララバードとは直接の接点はありませんでした。

しかし、一度だけ用事があってジャララバードに出張することがありました。せっかくジャララバードに行くなら、ぜひペシャワール会の事務所を訪ねて、井戸掘り事業や現地情勢などをお聴きしたいと思い、アポイントもなしに行ってみました。通信事情の良くなかった当時のアフガニスタンでは、事前にメールや電話でアポイントをとるのも難しく、アポなし訪問だったので、残念ながら中村医師にはお会いできませんでした。しかし、現地スタッフの方にお話を聞き、事業実施のヒントになる情報を得ることができ、お世話になりました。

これだけ実績のあるペシャワール会の活動は、今後ともぜひ続けていただきたいと思います。毎年世界中で何百人という援助機関スタッフが活動中に亡くなります。テロに巻き込まれたり、犯罪の被害にあったり、交通事故にあったり、医療事情の悪い土地で病気になったりと、大勢の日本人の援助関係者がこれまでにも亡くなってきました。私の知っている人の中にも亡くなった方はいます。だからといって援助活動をやめてしまうのではなく、安全管理やリスク管理を徹底しつつ、継続していくことが大切だと思います。中村医師のご冥福をお祈りするとともに、ペシャワール会の活動のますますのご発展をお祈りします。