河野外相へ対中国政策のご提案(2)

前回に引き続き、河野外務大臣への対中国政策のご提案です。

中国の国家主席や首相、外相が、頻繁にアフリカなどの小国の首脳との会談を好むのは、中国外交の内向きな性格と戦略欠如の象徴だと、米国の国防総省等で国防戦略を立案していたエドワード・ルトワック氏はいいます。

中国の最高指導者は、非常に長い時間をかけて、訪中した外国の指導者たちと会見している。この最高指導者は、温家宝首相や胡錦涛国家主席であることも多い。そして訪中する指導者たちというのは、キリバスやバヌアツ、ウルグアイ、ラトビア、ブルンジなどといった国々の首脳たちなのだ。こうした国の首脳は、ホワイトハウスでは何年待ったとしてもたった一分間ほどの大統領との写真撮影会で遇されるくらいである。こうして、中国の最高指導者たちは外界の決して軽んじてはならない国について真剣に対処する力を失っていくのだ。(中略)

中国メディアがこうした大して重要でもない訪問を非常に幅広くカバーしている事実こそが、ことの真相を教えている。つまりこれは現在でも皇帝時代の朝貢制度とまったく同じことが行われているということであり、途切れることのない外国の有力者たちの行列(しかもこれはより多彩で鮮やかな衣装をまとっている方が望ましい)は、中国の支配者の権威をたたえる証しであり、彼らの知恵や賢慮、慈悲深い寛容さが外国に大いに求められている様子が描き出されるのだ。したがって、訪中する賓客たちの数が莫大で、異国情緒があふれていること自体が重要になってくる。そしてこの訪問の成果としての対話の中身は関係ない。「なんと多くの重要そうに見える外国人たちが、自分たちの支配者と会見するという特権を求めてこぞって北京を訪れることか」-中国の人民たちにそのような印象をもたせることに本当の狙いがあるからだ。

中国共産党のトップが皇帝のような感覚で「朝貢外交」をしているという指摘は、100%の真実ではないにしても、ある程度は納得できる解釈です。中国は自国が貧しかった1960、1970年代にもアフリカに援助をしていました。見栄以外の何ものでもないと私は個人的に思っていました。しかし、ルトワックのいうように「朝貢外交」的な援助とみれば、かなり納得できます。

王毅外相もやたらと海外出張ばかりしているせいで、「決して軽んじてはならない国について真剣に対処する力を失っていく」というのが本当のところかもしれません。中国が死活的に重要でない国々との関係に妙に力を入れているのは、日本にとっては奇貨といえるかもしれません。悲観する必要はありません。

河野外相も日本にとって死活的に重要な国との外交に力を入れ、それ以外は手を抜くことも大切だと思います。かのフリードリヒ大王も「すべて守ろうとする者は何も守れない」といいます。外交にもメリハリというか、選択と集中は大切です。

うろ覚えの記憶に基づきますが、米国の情報コミュニティが出す将来予測レポート(National Intelligence Estimate)の何年版かに「米国にとってアフリカ大陸には死活的な国益はない。したがって、アフリカへの介入は極力避けるべきだ。」といった趣旨のことが書いてあり、驚きました。役所というのは、「何に力を入れるか」は強調しますが、あえて「何に力を入れないか」を明記している点が米国の凄味だと変に感心しました。

日本にとって死活的に重要なのは、(1)米国、(2)中国、(3)朝鮮半島(韓国と北朝鮮)、(4)ロシア、(5)東南アジア(ASEAN)、(6)インドの順だと思います。あえて加えるなら、化石燃料を依存しているペルシア湾岸諸国までです。

それ以外の国には力を入れないことも大切だと思います。米国みたいに「アフリカは重要じゃない」と公文書に堂々と書く必要はありませんが、外務省内ではこっそりと「アフリカや中南米、欧州よりも、東アジア・西太平洋を重視する」というコンセンサスがあれば十分だと思います。

そうなるとアフリカや中南米で中国と援助競争をするのは無意味です。日本は限りある財政資源を人道援助や環境対策といった国際公共益に資する分野に集中し、アフリカで目先の国益を変に追い求めない方がいいと思います。アフリカで目先の国益を追い求めても意味がありません。

これもうろ覚えの記憶ですが、「距離の専制」という言葉があります。戦略や戦術、作戦を練る上では、距離というのはロジスティックス的に重要であり、遠くなればなるほど不利になる、という意味です。

どれだけインターネットで世界がつながったといっても、資源や製品の輸出入でも、人の行き来でも、距離は重要です。似たような製品で似たような値段だったら近い国から輸入した方が、輸送費は安いし、納期も短くなります。国際分業が進むといっても、部品や製品の輸出入には距離が近い国が有利です。おそらくこれからもアフリカからは希少金属のようにそれ以外の地域では採取できない資源の輸入が中心になり、貿易の主な相手先は東アジアと環太平洋の国々であり続けるでしょう。また、人の往来についても、アフリカや中南米に飛行機を乗り継いで行くのに30時間くらいかかるとしたら、中国は数時間、東南アジアやインドも8~10時間で着きます。遠い国との貿易や交流はコスト的にも肉体的にも大変です。

さらに王毅外相(外交部長)は、河野外相にくらべると、外交政策における決定権はより弱いです。王毅外相の上には、外交担当の共産党政治局常務委員がいて、それとも別に共産党対外連絡部長という人もいて、一番上に国家主席がいるわけです。中国では政府(行政)よりも党が上位に来るので、共産党対外連絡部長は党内序列でいえば、外交部長よりも上であることも多いです。一方、日本の外務大臣の上には、総理大臣しかいません。王毅外交部長は慣例で外務大臣扱いされていますが、日本の外務大臣の方がだいぶ権限が強い(=格上)と思います。

さらにストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の中国専門家によれば、中国では対外政策に関わる組織が多すぎて、外交部(外務省)の力は限定的だそうです。次のような記述がありました。

さまざまな党機関、政府機関、解放軍の諸部門がすべて対外政策に関する自らの考えや行動様式をもっている。たとえば中国政府の官僚機構の間で外交部(外務省)は今や外交政策への関与者のひとつに過ぎず、必ずしも最も重要なものではない。またこれらの官僚機構内の関与者の多くは中国の国益について限られた認識しかもたず、互いの競合する内政上の方針や国際的活動を展開する結果として相互に対抗的な動機さえも抱いている。

安倍一強のもとで国内官庁が統制されている日本にくらべ、中国の国内官庁や国営企業、軍はバラバラに行動する傾向があります。「中国の国益」といってもそれぞれの官庁が勝手に行動する傾向もあり、王毅外相の影響力は限定的です。河野外相、王毅外相をライバル視するのはやめましょう。王毅外相より海外出張の回数が少ないことを危惧する必要もないと思います。

また、口に出す必要はないにしても、「重要でない国との外交に力と時間をかけ過ぎて、本当に重要な国との外交をおろそかにしてはいけない」ということを忘れないでいただきたいと思います。女性の外務大臣会合への出席とか、余計でした。間違っても「外務大臣としての海外出張数のギネス記録」は狙わないで下さい。「スタンプラリー」ではないので、海外出張は回数よりも成果だと思います。

*参考文献

1.エドワード・ルトワック 2013年 『自滅する中国』 芙蓉書房

2.リンダ・ヤーコブソン、ディーン・ノックス 2011年『中国の新しい対外政策』岩波現代文庫

*注意

エドワード・ルトワック著の「自滅する中国」という本は、書名だけ見ると「ヘイト本」みたいですが、原書タイトルは「The Rise of China VS. The Logic of Strategy」であり、「中国の台頭と戦略のロジック」という程度です。出版社のタイトルのつけ方が商売っ気ありすぎなので、ヘイト本と誤解されるかもしれませんが、そうでもありません。ルトワックの本はいつもタイトルは過激ですし、すべて賛同できるわけではありませんが、興味深い視点を提供してくれます。