自民党は、比例復活当選の若手議員のゴールデンウイーク中の海外出張を禁止するそうです。それも良し悪しだと思います。そもそも「国会議員の海外出張に意味があるのか?」という問いについて考えてみたいと思います。
国会議員の海外出張のなかには、単なる物見遊山で「外遊」という言葉がピッタリのケースも多々あります。私自身もそういう中身のない海外視察団のメンバーに選ばれてしまって、ガッカリしたことがあります。納税者に対して申し訳なくなるような海外出張だったので後悔しました。
他方、国会議員が海外の先進事例を視察したり、外国の政治家や専門家と議論したりすることには価値があるという考え方もできます。当然ながら中身のある国会議員の海外視察もあります。外国の政治家と交流したり、国際会議で日本の立場を説明したり、現地のオピニオンリーダーと意見交換したりと、意味のあるイベントもあります。意義のある海外出張も一定の割合で存在します。
個人的な経験でいえば、国会議員の視察団に参加して驚いたのは、まったく現地のことを勉強もせずにフラッと出張する議員が多いことです。JICAやNGOで現地調査の仕事をしていた頃の感覚だと、現地に1週間出張するとすれば、その数週間前から資料を集めて情報を整理し、基礎的なデータは国内調査の段階で頭に入れておくのが常識でした。仕事と直接関係なくても、出張先の国の歴史の本、文化や社会に関する本、政治や経済に関する本と、最低でも3冊程度は読んでから出かけたものでした(行きの飛行機の中で急いで読むことも多かったですが)。国際援助業界の常識として「相手国の人にあまりにも初歩的な質問をするのは失礼にあたる」という感覚がありました。
たとえば、日本にやってきて「日本の人口は何人だ?」という質問をする外国人がいたら、プロとは見なされません。そんな初歩的な質問の答えは、海外に行かなくてもインターネットで調べればわかります。しかし、国会議員のなかには、その手の初歩的な質問をする人が多くて、いっしょにいるのが恥ずかしかったです。そのくせ知識のない人に限って、自分の得意分野に持ち込もうと日本のことを説明したがります。せっかく海外に行ったのであれば、現地に行って現地の人にしか聞けない話をした方が有意義ですが、その手の国会議員には謙虚に学ぶ姿勢が欠けています。
経済学と経営学の分野で大きな影響を与え、ノーベル経済学賞を受賞したサイモンという学者がいます。そのサイモンの「旅行定理」というのがあるそうです。趣旨は次の通りです。
アメリカ人の大人が外国に旅行して学べるどんなことでも、ある程度の大都市の公立図書館に行けば、もっと早く、安く、簡単に学ぶことができる。
身もふたもない定理です。しかし、直感的に理解できます。サイモンの言いたかったことはこういうことだと思います。
海外視察や短期留学と称して短い期間外国に行ったからといって、学ぶ準備ができていない者の心に残るものは少ない。
私が見た一部の国会議員の行動パターンから判断しても納得できます。サイモンの定理の頃よりも、インターネットの普及が進み、現地に行かなくてもわかることはさらに増えています。海外に行かなくても得られる情報量は増し、質も改善しています。
この「サイモンの旅行定理」が正しいと仮定すると(私はある程度まで正しいと思います)、そもそも国会議員の海外出張は必要ないということになります。しかし、次の2つの理由から国会議員の海外出張には一定の意義があると思います。
第一に、きちんと相手国の基礎的なことを事前に勉強する「まじめな議員」は、どんどん海外に出て行って勉強してきたらよいと思います。そういう議員なら政策立案や立法に必要な生情報を持ち帰ることができます。また、インターネットや本ではわからないような、機微に触れる情報や本音まで聞き出すことができるかもしれません。最新の情報はインターネットにも反映されていないこともあります。現場に行ってみないと得られない情報は多いでしょう。現地に行って現地の自然条件や社会的背景を体験しないと、わからないことも多々あります。
さらに「まじめな議員」は、相手国の政治家やオピニオンリーダーと交流して人脈をつくったり、日本政府の考え方を説明したり、相手国の人にも有益な情報を提供できる可能性が高いでしょう。他党の議員で恐縮ですが、私の恩師(故人)の某大学教授は、ハワイのシンポジウムで河野太郎衆議院議員の英語のスピーチを聴いて「河野太郎さんは、日本語の演説より、英語のスピーチの方がずっと上手だった」と絶賛していました。そういう国会議員が国際会議やシンポジウムに出て行って、日本の立場を説明し発信するのはよいことだと思います。英語ができるかどうかは重要な基準ではないですが、上手に情報発信できる国会議員が世界に出かけて行って議員外交を展開することには意義があると思います。
第二に、勉強不足であまり発信力に期待できない「ダメ議員」も、やはり海外出張に行かせた方がよいと思います。もともと勉強不足の国会議員が、海外出張前だけ図書館に行ってまじめに勉強することを期待するのはムリがあります。しかし、この手の「ダメ議員」が国内に閉じこもっていると、ますます内向き志向になり、ますます視野の狭い政治家になってしまいます。偏狭なナショナリズムに凝り固まった国会議員を増やさないためには、物見遊山的な海外出張でさえ、「行かないよりマシ」という側面があります。ネット右翼程度の世界観の国会議員こそ、広い世界を見せる必要があるかもしれません。それもニューヨークやロンドンといった先進国のおしゃれな都市ではなく、カブールやバグダッド、パレスチナといった紛争地の厳しい現場を見てきてほしいと思います。内向きで視野の狭い国会議員でも、現地駐在の日本大使から現地事情のブリーフィングを受け、耳学問でもいいから相手国のことを知れば、少しは視野が広がることでしょう。
そう考えると自民党の「選挙に弱い若手議員には海外出張させない」という判断は、必ずしも日本の国益にはならないかもしれません。ダメ議員でも海外出張で多少は啓発される可能性がある以上、自由に海外出張に行かせる方がよいのかもしれません。
*注意:そもそも「ダメ議員」を有権者が選ばないというのがベストなのは当然です。しかし、実際に国会に「ダメ議員」が相当数存在し続けており、「ダメ議員」が出世して「ダメ大臣」になっているのが実情です。そう考えると「ダメ議員」が害をなす可能性を減らすことを考えるのが現実的だという前提で論考を進めました。「ダメ議員」を多少なりともマシにする方法としては有効なのではないか、という問題意識です。