尊敬している人から本を送っていただきました。今年出たばかりの「分断社会を終わらせる」という本です。これまでの自分の思い込みの誤りを思い知らされました。目指すべき社会像を考える上でとても参考になると思います。
ひとりでも多くの人に読んでいただきたい本なので、ちょっと長めの書評を書かせていただきます。新しい発想や造語が多くて要約しにくい本なので、長いブログになってしまいました。ひらにご容赦ください。
*井手英策、古市将人、宮崎雅人 2016年 『分断社会を終わらせる』 筑摩選書
本書は、格差が拡大した「分断社会」をつくってきたのは、成長を前提とする「勤労国家レジーム」であると指摘します。著者の造語の「勤労国家レジーム」とは、「勤労の美徳」とでもいうべき日本的価値観に基づき、社会保障や教育を個人や市場原理にゆだね、租税負担率を低く抑える体制を指します。戦後の日本は、所得減税を行うと同時に、経済成長のためのインフラを整備してきました。そのため社会保障や教育の予算は限られます。公的な社会保障の弱いところを、家族や企業が補ってきた体制ともいえます。
勤労国家レジームは高度経済成長期にはうまく機能しましたが、1990年代以降は機能しなくなります。絶えざる成長を前提としたスキームである点が限界でした。財政出動でインフラ整備を行っても借金が積み重なるだけで、生産性の向上にはつながらなくなりました。雇用は不安定化して人びとの生活不安は高まりました。
勤労国家レジームは、減税と公共投資(公共事業)を柱とし、社会保障を軽視してきました。社会保障予算が限られているため、就労できない人向けの「現金給付」に集中し、「現物給付(サービス)」は限定的でした。教育や公営住宅も含め、現物給付の「限定性」が、勤労国家レジームの特色です。しかも、社会保障費が限られているため、低所得者や高齢者、地方といった具合に、分配対象を「選別」せざるを得ません。一部の人だけが受益者になる構造になりました。
この限定性と選別性の背景には、勤労による所得増大という前提があります。「自分でできることは自分でやりなさい」という発想は、裏を返せば、政府は最小限の救済策しか用意しないということです。自分で貯蓄して将来設計するという「自己責任」の論理が徹底しています。しかし、ゼロ金利(あるいはマイナス金利)のもとでは貯蓄しても将来の見通しは立ちません。アベノミクスのもとで勤労国家レジームは、前提から崩れかかっています。
勤労国家レジームの3大原則は、「限定性」「選別性」「自己責任性」です。この3原則は、歳出抑制的な特徴を備えています。1990年代から女性の社会進出が広がり、育児・保育、介護のニーズが急増しましたが、歳出抑制的な勤労国家レジームでは十分対応できません。国の借金が増え続けるなかで、保守もリベラルも歳出削減を訴え、財政再建を重視する傾向が広がり、ますます「限定性」「選別性」「自己責任性」は強まりました。
特定の人たちを受益者とすると、負担者が不満を持ち再分配に反対します。再分配への反対が強いと、格差は広がる一方です。また、勤労を重んじる社会では、働けないこと、救済を受けることは、恥ずかしいこととされがちです。日本の社会保障は「権利」ではなく、障害や病気で働きたくても働けない人が仕方なくもらう「施し」とみなされがちです。その結果、再分配政策はあまり支持されません。
この流れを変えるには「広く負担を課し、広く給付する」という戦略、つまり「だれもが受益者」という財政戦略が必要だと著者たちは主張します。デンマークやスウェーデンのような高福祉・高負担の国では、低所得者も含めて広く負担を課すと同時に、低所得者だけでなく中公所得者へも広い範囲で給付を行っています。低所得者にもそれなりに負担を求めると同時に、高所得者にもちゃんと取り分を与え、「だれもが受益者」という状態だからこそ、コンセンサスを形成しやすく、納税者は納得して再分配政策を支持できます。
私はこれを読んで、高校授業料無償化の議論を思い出しました。民主党は所得制限を設けない方針だったのに対して、自民党は所得制限を設けることを主張しました。民主党の主張は、前述の「だれもが受益者」という戦略に近いものです。自民党の主張は、勤労国家レジームの「限定性」「選別性」「自己責任性」を重視するものです。基本的な哲学がぶつかり合っていた政策論争であることがわかります。
また、勤労国家レジームの前提は、子育てや介護を主婦が担う専業主婦世帯です。男性の終身雇用の正社員が家族を養い、専業主婦の妻が子育てや介護、看護を担うというモデルです。1980年には専業主婦世帯が1114万世帯でしたが、2014年には720万世帯に減少しています。一方で共働き世帯は、同じ期間に614世帯から1077世帯へと増加しています。いまや専業主婦世帯が少数派であり、共働き世帯が多数派となっています。勤労国家レジームでは、働けない高齢者向けの社会保障には力を入れてきたものの、現役世代向けの社会保障(特に現物給付)にはあまり予算を投じてきませんでした。共働き世帯が専業主婦世帯を超えている現在、勤労国家レジームのもうひとつの前提が崩れています。
「だれもが受益者」という財政戦略は、経済成長を前提としません。財政は人間らしい生活の基礎を整えるためのものと見なします。人生のなかでさまざまな不確実性やリスクに直面しますが、すべての不確実性やリスクに個人の貯蓄で備えるのは困難です。不確実性やリスクに社会全体で対応するために、税や社会保障による所得再分配が必要になります。いまの日本は再分配に失敗しており、貧困率が高い国です。子どもの貧困の深刻化も再分配の失敗の結果です。
日本では所得再分配を支持する人の割合が低いです。実は、高福祉・高負担の北欧のデンマークやスウェーデンでも、日本同様に再分配政策への世論の支持は低いです。にもかかわらず、北欧では所得再分配政策が実施されています。
北欧では、特定の階層にだけ有利になる課税や給付を好まず、だれもが抱える可能性のあるリスク(失業や老後の所得保障)を重視します。低所得者層への支出は、だれもが抱えるリスクへの対処の一環としてなされます。低所得者だけを受益者とするのではなく、多くの人を受益者とする政策のなかで、低所得者層にも給付が行われます。その結果、低所得者への再分配がなされます。国民全員の共通する問題のなかで「結果としての再分配」が実現しています。
北欧のやり方は日本でも参考になります。特定のだれかが受益者になれば、その他の人たちが反発します。しかし、みんなが受益者になれば、負担者と受益者の対立は生じません。みんなが受益者になれば、幅広い支持が得られて、社会は分断しません。反対に弱者救済を声高にさけぶと、中高所得層が負担増を拒み、政治対立の原因になります。格差是正や弱者救済という発想ではなく、社会全体でリスクに備えるという発想がポイントです。受益者の範囲を広げることで、広範なコンセンサスを形成して対立を回避し、結果的に再分配を実現するという知恵です。
格差が拡大して分断された社会では、階層間の対立が起き、再分配政策への抵抗感が強まります。救済に値する人たちを選別して「救済型の再分配」を行おうとすると、限りある財源のなかで「本当に救済に値する人」の範囲が段々せまくなり、弱者の切り捨てにつながります。さらに、弱者に給付が集中すると、中高所得層の負担感が増し、給付削減の圧力がかかります。中高所得層が反発する再分配政策は、実現が難しくなります。その結果、格差拡大は止まりません。
それだけではありません。「本当に救済に値する人」を選別する過程で、救済される人を屈辱的な状況に追い込むことになります。それが、社会の分断線となり、亀裂を生みます。
さらに「選別性」をめぐる問題もあります。中高所得層にも障がいをもつ子どもや要介護の親と同居する家庭も多いです。所得制限が課されると、中高所得層で救済が必要な家庭を排除することになります。中高所得層も低所得層も、等しく受益者となるサービスの方が、すべての人に安心感をもたらします。
自民党は、専業主婦世帯を前提とした「自助・共助・公助」の発想に立ちますが、これは「自己責任性」を当然視する発想です。ひとり親世帯が増え、3世代同居も減るなかでは「自助・共助」が困難な家庭が増えています。さまざまなリスクを家族に背負わせる制度は、いまの日本社会では持続可能ではありません。リスクの個人化が行き過ぎた状況が、社会の分断を生みます。そのことに気づいていないのが、自民党政権の危うさです。
著者のいう「だれもが受益者」という財政戦略を採用すれば、納税者が「受益感」を持つようになり、増税への抵抗感(「租税抵抗」と呼ばれます)は弱くなります。歳出削減のための給付削減を繰り返すと、生活不安が高まり、社会の分断が深くなります。
著者は、従来の「市場原理」に対抗して、「必要原理」という理念を打ち出します。経済成長を前提とした「成長=救済モデル」から、「必要=共存モデル」への転換を主張します。いかなる国でも、人が生きているためには一定のサービスが必要です。その必要経費を、財政を通じてみんなで分かち合うのか、それとも個人でまかなうのか、という違いです。アメリカ型の自己責任に基づく市場原理モデルでは、日本社会の分断が止められません。
「弱者」という特定の人びとを受益者とする政策には限界があります。そうした政策の恩恵にあずかることができる人とそうでない人が区別され、両者の間に不信感が広がり、社会の分断につながります。社会の分断線をなくすことを目指すべき、と著者はいいます。
そのためには、教育、医療、育児・保育、介護といった現物給付(サービス)が重要です。現物給付はあらゆる人が必要とするものです。これらのサービスは、無償ないしは低価格で提供されるべきです。必要原理に基づく現物給付は、再分配を目的としません。しかし、人間のニーズを満たす現物給付は、結果的に所得格差の是正に役立ちます。
たとえば、義務教育制度は、実際には所得階層間の再分配を行っているのと同じことです。再分配を目的としているわけではありませんが、教育の権利を保障するための義務教育が副産物として格差を是正しています。公立小学校の教育を受けるには、子どもひとりあたり80万円以上の税金が投入されています。自己負担だったら小学校に行けない子どもも大勢出るでしょう。そうさせないための義務教育ですが、その結果として格差が是正されています。
格差是正を目的としない「必要原理」に基づく政策は、「年収○○万円以下の人にだけ給付」という所得制限を緩和しつつ、保育費や医療費、介護費等の自己負担部分を低料金化し、中間層を受益者とする方向を目指します。低所得層と中間層の両方が受益し、公共サービスへのアクセスの改善を図ります。子ども医療費の無償化もそういった流れに沿っており、意義があります。さらには高所得者層も受益できる政策として、所得制限を廃止して富裕層も排除しない制度設計を行い、富裕層の租税抵抗を弱めることも大切です。
特定の層をターゲットとして「だれかの利益」から、みんなが受益する「だれもが受益者」へと発想を転換すれば、分断社会を終わらせることができる、と著者はいいます。「税負担の増大は、私的負担の軽減につながる」という事実をもっと強調し、受益の側面をきちんと国民に説明する必要があるといいます。
長い長いブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
とても知的な刺激になる本です。日本社会の進むべき道を考えるために役立つ本だと思います。お薦めの一冊でした。