アメリカのアルゴリズムや都市計画の専門家のベン・グリーン氏の「スマート・イナフ・シティ」という本がおもしろかったです。ベン・グリーン氏は、アルゴリズムの公正さ、行政のアルゴリズムがもたらす影響などを研究しています。
スマート・シティの推進者は、「AIやデータサイエンティストに任せれば、すべてうまくいく」という雰囲気で、何もかも技術的に解決しようとします。しかし、技術的な問題に見えても、実は価値観の問題だったり、社会的に困難な問題だったりと、簡単ではない問題の方が多いです。
同書によるとアメリカでは2015年に交通事故で約25万人が負傷し、3万5千人以上が死亡しました。自動車事故の94%は人為的ミスによります。もしアメリカの自動車の90%が自動運転になれば、2万1700人の死亡事故が防げると試算されています。
さらに自動運転では車間距離を短くしても大丈夫なので、交通渋滞を減らす効果も高いです。自動運転車の普及率が90%になれば、渋滞は60%まで減少すると予測されています。道路の車線を減らすことも可能になり、都市計画のあり方も変わります。自動運転やスマート・シティは、良いことづくめのように見えます。
しかし、アメリカの都市部では高速道路をつくると交通渋滞が緩和されるはずだったのに、実際には交通渋滞は減らないという現象が1960年代から多発しました。「誘発需要」と呼ばれる現象で、これまで存在しなかった交通需要が発生したために、結局は交通渋滞は緩和されないという事態が何度も観察されました。ひょっとすると「自動運転で交通渋滞緩和」という予測も、同様に「誘発需要」により裏切られる可能性があります。
さらに自動運転で交通が便利になると、都市のスプロール化が進む可能性も指摘されます。都市が郊外に広がっていくと、コミュニティの分散化が進み、行政コストも増え、移動に使われるエネルギーも増え、そのことが温室効果ガスの増加につながりかねません。
また自動運転車を中心に都市計画をつくると、歩行者や自転車、地下鉄や路面電車などの存在を軽視してしまう恐れもあります。環境のことを考えれば、歩きやすい街や自転車道路の整備も重要です。自動運転車に偏重した都市計画には注意が必要です。
マサチューセッツ工科大学(MIT)の自動運転車による「信号機のない都市」の研究というのがあったそうです。そこには歩行者、自転車やバスに乗る人に対する配慮はいっさいなく、ひたすら自動車の利便性だけを考えた研究だったそうです。世界最高水準の頭脳を持つMITの秀才が集まって、きわめて愚かな研究をしていたという例です。同じような愚かな研究を日本もやっていないか注意する必要があるでしょう。
著者は次のように述べます。
現代の都市に導入されるテクノロジーは、我々がそれを意識しているかどうかにかかわらず、次の世紀の社会契約を決定する上で重要な役割を果たすことになるだろう。現在のところ、スマート・シティのアーキテクチャは根源的に非民主主義的である。多くのテクノロジーが、個人のデータを収集し、民間所有の不透明なアルゴリズムを使うことで、人の人生を左右するような決定を行っている。その過程で、大きな情報と権力の非対称が生み出されているのだ。政府や企業の立場は、監視や分析の対象となった人々よりも有利なものとなる。そうして社会に、無力感や抑圧感が醸成されていく。スマート・シティは、監視、企業利益、そして社会統制を強めるための秘密の道具になっているのである。
スマート・シティが、ユートピアではなく、ディストピアにならないか、警戒する必要があります。そこで著者が提案するのが「スマート・イナフ・シティ」です。AIやデータの活用を全否定するわけではなく、監視社会化を防ぎ、ほどよくスマートな都市をめざすのが「スマート・イナフ・シティ」という発想です。
スマート・イナフ・シティは、スマートになる目的は何かという根本的な疑問を投げかけることで、その論理を再構築する。スマート・イナフ・シティでは、「スマート」になることは目的ではなく手段である。そうすることによって、テクノロジーが対応する社会的ニーズに焦点を当てることが可能となるのだ。それは実際の人々のための実際の問題を軽減するこができる場合にのみ、テクノロジーを作用することを意味する。
おもしろい枠組みだと思います。著者はスマート・イナフ・シティの5原則を掲げます。
1.単純化された問題を解決するのではなく、複雑な問題に取り組むこと
ブラジルの首都のブラジリアは、効率一辺倒の発想で計画されましたが、住みやすい街とは見なされず、失敗例とされています。効率だけを優先して単純化された都市計画は、スマートだけど住みにくい街になりかねません。自動運転車を優先して歩行者や自転車を無視した都市計画も望ましくありません。複雑さから逃げないことも大切です。
2.テクノロジーに合わせて目標や価値観を決めるのではなく、社会のニーズに応え、政策を進めるためにテクノロジーを導入すること
これも当たり前ですが、意外と見落とされがちだと思います。「トンカチしか持ってない人は何でもクギに見える」という言葉がありますが、あるテクノロジーを起点に発想がスタートすると、手段が目的化してしまい、本末転倒な解決策を生みがちです。テクノロジーがあるからとそれを無理やり使うよりも、もっと安上がりだったり効果的だったりする方法が存在することも多いです。
本書には「意義ある非効率」という言葉が出てきます。市民参加や民主的な決定というのは、ときには非効率です。しかし、その非効率を避けると、住民の納得が得られず、あとで問題になることもあります。優秀なリーダーや技術者が一刀両断で物事を決めるのが最良とは限りません。「意義ある非効率」の大切さを忘れてはいけません。
3.革新的なテクノロジーよりも、革新的な政策・プログラム改革を優先させること
本書に出てくるシアトル市のホームレス対策の事例がおもしろいです。テクノロジーを使って解決しようとしたけれど、最大の問題は支援団体と市との契約形態がバラバラで硬直的であったことがわかり、ちょっとした改革で大きな効率化が達成されました。「問題はテクノロジーじゃなかった」という例です。アメリカのアルゴリズムによる警察活動の最適化の例も出てきますが、テクノロジーによる解決策よりも、別のアプローチが効果的な例は多いようです。
4.民主的な価値観を促進するようなテクノロジーの設計と実装を行うこと
よく知られた事例で、アメリカで採用にアルゴリズムを導入したら、男性の白人が有利になったというのがあります。過去に女性とマイノリティを冷遇してきた実績に基づいてアルゴリズムを設計してしまったせいです。アルゴリズムが価値中立的とは限りません。注意が必要です。
5.データを利用する能力やプロセスを自治体の部局内で開発すること
データの集め方、分析の仕方、アルゴリズムの設計など、難しい点がたくさんあります。やはり専門家は必要です。それも住民の側にたって考えられる専門家が大切です。自治体がそういう人材を内部で抱えることも重要なのだと思います。
トロント市がグーグルの子会社と鳴り物入りで進めたスマート・シティは失敗しました。あまりにも技術中心の発想で計画され、住民の意見や人権が軽視されたスマート・シティは失敗する運命にあったのでしょう。めざすべきは「スマート・イナフ・シティ」かもしれません。
*参考文献:ベン・グリーン 2022年「スマート・イナフ・シティ」 人文書院