少し前に出た本ですが、たまたま自宅近くの図書館で見つけて、「解説」が尊敬する小谷賢教授だったので、読んでみました。政党シンクタンクの設立を夢見る私にとってはもっと早く読んでおくべき本でした。
本書の「ランド」とはアメリカを代表するシンクタンクである「RAND Corporation」を指します。「Research And Development」を省略して「RAND」です。第二次世界大戦直後に空軍の資金で設立されたランド研究所は、アメリカの軍産複合体のブレインであり、中核だったと言ってよいでしょう。ランド研究所はノーベル賞受賞者を29人も輩出しています。
アメリカ軍は第二次大戦中に軍事研究を発展させ、爆撃機の効率的な運用や護送船団の安全な航行などに数理的分析を活用し、「オペレーショナル・リサーチ」と呼ばれる学問を生み出しました。政治関係では鳩山由紀夫元首相がスタンフォード大学でオペレーショナル・リサーチの博士号を取得したのが有名です。ランド研究所もスタンフォード大学もカリフォルニア州にあります。
ランド研究所の研究員は合理性を “信奉” して数量分析、システム分析に力を入れ、アメリカの核戦略から経済政策や医療政策まで幅広く研究し、アメリカの軍事戦略にも世界の経済政策や行政改革にも大きな影響をあたえました。
ランド研究所に関わりのある人物として有名なのは、ラムズフェルド元国防長官、キッシンジャー元国務長官、コンドリーザ・ライス元国務長官、カーティス・ルメイ将軍(空軍)、軍事理論家のハーマン・カーン、人類学者のマーガレット・ミード、フランシス・フクヤマなど多彩です。ノーベル経済学賞受賞者のケネス・アローも、ゲーム理論のフォン・ノイマンもランド研究所にいました。
ランド研究所は軍縮志向のアイゼンハワー大統領時代にはさほど大きな影響力を持ちませんでした。しかし、政権交代でケネディ政権が誕生すると一気に影響力を拡大します。数値至上主義者のマクナマラ国防長官のもとでランド研究所関係者は、国防総省に出向して政治任用の重要ポストに就き、国防政策に大きな影響を与えました。
ランド研究所のアナリストは国防総省の再編を進め、「システム分析」や「プログラム予算」といったランド用語がアメリカ政府全体の共通語になりました。戦争抑止、西側と共産圏との関係などについてのランドの理論が、ケネディ政権の公式外交ドクトリンになり、アメリカの外交政策全般に影響を及ぼしました。
ケネディ政権の外交安全保障政策はふり返ってみると功罪相半ばです。ベトナム戦争の泥沼に陥ったのも、キューバ侵攻の失敗も、ケネディ政権の失敗です。他方でキューバ危機が第三次世界大戦に発展するのを防ぎ、西側諸国の結束を図った点は評価できるかもしれません(そもそもキューバ危機を招いたのは失敗です)。ケネディ政権の成功にも失敗にもランド研究所は関与しました。
またランド研究所の提言や報告書は人の命をさらっと数値化し、平気で「〇〇百万人が先制攻撃で死亡する」といった表現が報告書の随所に出てきて、空軍関係者の一部でさえランドの報告書を嫌悪したそうです。人命を扱うには無神経すぎる発想は、何でも数値化してしまうランド研究所の風土が生んだものでしょう。マクナマラ国防長官も人の命を費用対効果で評価する傾向があったと批判されましたが、ランド研究所がそういうカルチャーをつくったといえます。
この本を読んであらためて思ったのは、アメリカの政治や外交安全保障政策を1本の論文が変えるケースが多いことです。ジョージ・ケナンがフォーリン・アフェアーズ誌に投稿した「X論文」がソ連の封じ込め戦略のベースになったのがもっとも有名な例だと思います。ランド研究所のいくつかの論文は、アメリカの核戦略や安全保障政策に大きな影響を与えました。
アメリカでは政策人材が学界と官庁を行ったり来たりする「リボルビング(回転)ドア」があり、学問的知見が政策に反映されやすいです。シンクタンクが政治に重要な影響を与えているのもそのせいです。シンクタンクの影響は、正の影響も、負の影響もどちらもあります。
しかし、霞が関主導の政策形成よりも、霞が関からもシンクタンクからも両方から政策的アイデアが提供される方が望ましいと思います。最後に判断するのは政治の責任ですが、政治指導者に複数の選択肢を示すことは重要だし、その意味でシンクタンクが霞が関と違う視点に立った政策提言を行うことは有益だと思います。
日本でも田中角栄氏の「日本列島改造論」のように1冊の本が政治に大きな影響を与えたこともありました。「日本列島改造論」を執筆したのは官僚でした。霞が関の優秀な官僚が、政治家のゴーストライターになる例がいまも多いと思います。例外は小沢一郎氏の「日本改造計画」かもしれません。「日本改造計画」のゴーストライターは数名の学者でした。
日本の政策形成でも、もっと学問的知見をいかすべきだし、シンクタンクの活用も政策の改善に役立つと思います。官邸主導で思いつきのような政策が次から次に出てくるよりも、実証研究や理論に基づいた政策が熟議の上で実施される方が望ましいと思います。
アメリカにはランド研究所以外にも多くの権威あるシンクタンクがあります。アメリカの政策がいつも正しいとは限りませんが、それでも政策的なイノベーションがたくさん出てきているのは事実です。
日本にも有力なシンクタンクが複数あるとよいと思います。現在の日本のシンクタンクが、それほど公共政策の形成に役立っているようには思えません。政治や行政はもっとシンクタンクを活用すべきだと思います。
特に日本に欠けているのは非営利シンクタンクです。日本のシンクタンクは営利目的のシンクタンクや官庁直営の政府系シンクタンクが多く、独立した非営利シンクタンクは少なく、かつ、影響力も小さいです。
以前から言い続けていますが、日本には政党シンクタンクが必要だと思います。霞が関の官僚機構に対抗する意味でも、特に野党こそシンクタンクを重視すべきです。立憲民主党も党所属シンクタンクをつくってほしいと思います。そのためにも世界のシンクタンク事情を学ぶ必要があり、そのためにも「ランド:世界を支配した研究所」は参考になります。ランド研究所には功罪どちらもありますが、功罪どちらも参考にできます。
*参考文献:アレックス・アベラ 2011年「ランド:世界を支配した研究所」文春文庫