「座右の銘」と「座右の書」を決めない理由

衆議院選挙が近づくと報道各社から履歴書と質問用紙が届き、せっせと埋めなくてはいけません。よくある質問が「座右の銘」や「好きな言葉」、「座右の書」です。

私は「座右の銘」は決めないことにしています。「座右の銘」があると、思考の柔軟性が失われるような気がして、そういうものは決めない方がよいと思っています。

それでも以前は「マスコミの質問に応えないのはまずい」と思って、無理やり「一利を興すは、一害を除くにしかず」という、チンギス・ハーンに仕えた耶律楚材の言葉を書いたりしていました。

これは「利益になることを始めるよりは、害をもたらすものを除く方が大切である」という意味の地味なフレーズです。

私の修士論文の結論は「紛争後の教育システム復興にあたっては、外部から大胆な改革パッケージを持ち込むよりも、地域の実情にあわせて少しずつ漸進的な改革を進める方が効果的だ」という地味な結論でした。華々しさのない結論でしたが、華々しくて大胆な教育改革がいかに失敗してきたかを検証しました。

勇ましい大改革や革命的変化よりも、トヨタ式カイゼンみたいな地道で漸進的改革を好む私には、「一利を興すは、一害を除くにしかず」という地味な格言が性に合っています。しかし、地味すぎるし、知らない人も多い格言なので、マスコミ各社の質問票には書かないことにしました。

以前に東京新聞の対面の取材で「好きな言葉」を尋ねられて、フィリピン留学中にソーシャルワークの科目を習っていたギリシア人の大学の先生の言葉で「You are what you dream about.」というフレーズを紹介したことがあります(*その時は丁寧に記事にしてもらえました)。

その先生は、ニューヨークからフィリピンのネグロス島の大学までやってきて、ソーシャルワーカー養成コースで教えていました。ギリシアからアメリカに移住してソーシャルワーカーになり、その経験をフィリピンの若者たちに伝えたいという思いで、大学で教えていたのだと思います。

先生は、明るくて「肝っ玉母さん」という感じの年配のギリシア人(米国籍?)でしたが、豪快で前向きな人でした。「夢を持ちなさい」とフィリピン人の学生たち(プラス、日本人留学生の私)に言い聞かせていました。

先生の「You are what you dream about.」というフレーズは、「あなたが夢見ているもの、それがあなたです」とでも訳せるのでしょうか。とても印象に残る先生でした。

しかし、このフレーズも解説付きではなくては意味が伝わらないので、「座右の銘」としてはイマイチです。英語だとちょっと嫌味に聞こえるかもしれないなどと心配になります。

というわけで、最近は「座右の銘」の質問には回答しないことが多いです。

同じような理由で「座右の書」も決めたくないと思っています。好きな本はたくさんありますが、特定の本を座右に置くということはしません。やはり「座右の書」もありません。

また「座右の書」につまらない本のタイトルをあげている政治家を見るとガッカリします。どんな本がつまらない本のカテゴリーに入るかは敢えて書きませんが、つまらない本しか読んでない人はつまらない政治家にしかなれないと思います。

政治は言葉です。言葉の力を磨くには、読んだり、書いたり、対話したりという経験が欠かせません。その際に「書く力」や「話す力」が、「読む力」を超えることは通常ありません。読んで理解できない内容は、書けないし、話せません。だから読書は大切です。

人間は言葉で考えます。ボキャブラリーが貧困な人は、思考の幅も狭くなりがちです。言葉を学ぶにあたっても、読むことを通して学ぶことが圧倒的に多いと思います。そういう意味で「本を読まない政治家」はまずいと思います。

というわけで、「座右の書」という質問は怖いです。唯一無二の「座右の書」なんてものはなくてよいと私は思います。「お薦めの本」ならよろこんでご紹介できますが、「座右の書」という質問にも無回答でいこうと思います。