毎年恒例の「今年読んだ本のベスト10冊」です。いつものことですが、読んだ本の内容をびっくりするほど覚えていません。記憶力がよくないので、自分への備忘録としてブログで書評を書いたり文中に引用してきました。過去の「読んだ本リスト」と書評ブログをもとに今年読んだ本のなかでお薦めの10冊を取り上げます。ご笑覧いただければさいわいです。
1位 佐藤賢一 2019年 『ドゥ・ゴール』 角川選書
直木賞作家が書くドゥ・ゴールの評伝は、読み物としてもおもしろかったです。フランスの国家の主権と威信を守るために全力で戦ったドゥ・ゴール。国家の名誉のために自己顕示することはあっても、私利私欲の一切ない政治家。障害をもって生まれた娘を大切にした父親。真に尊敬できる世界史的な政治家だと思います。
2位 ジェレミー・リフキン 2020年 『グローバル・グリーン・ニューディール』 NHK出版
2021年になれば米国でバイデン政権が誕生し、「グリーン・ニューディール」が本格的に実施されます。欧州連合(EU)は2019年12月から「欧州グリーン・ディール」を実施しています。コロナ危機が引き起こした経済危機から「緑の刺激策」「グリーン・リカバリー」で回復をめざすのが欧米の主流です。その青写真をずっと前から描いていたのがジェレミー・リフキン氏です。ドイツのメルケル首相の環境・エネルギー政策のアドバイザーも務めてきました。
この本は、脱炭素社会の実現は可能であり、経済成長と両立できると訴えます。また、気候変動による自然災害の激甚化に向け、社会のレジリエンスを強化すべきと説きます。脱炭素化には産業や都市の構造転換が必要です。レジリエンス強化のためには政府の役割が重要です。市場に任せても気候変動問題は解決しないので、政治(政府)が主導して脱炭素化を進めなくてはいけません。その道筋を示す本です。
ちなみに私がジェレミー・リフキン氏の著書を初めて読んだのは高校3年生のときです。「エントロピーの法則」という地球環境問題について書かれた本に感銘を受けた記憶があります。30年前からジェレミー・リフキンのファンです。
3位 諸富徹 2020年 『資本主義の新しい形』 岩波書店
コロナ後の経済や社会を考える上で参考になる本です。諸富教授はコロナ危機以前から「資本主義の非物質主義的転換」を指摘してきました。肉体労働や機械設備による物的生産から、知識と無形資産による非物質主義的な生産へと、資本主義のあり方がシフトすることを指します。たとえば、鉄鋼などの重厚長大産業が生み出す付加価値は相対的に低くなり、製品やサービスに占める「非物質的要素」の価値が高くなる傾向があります。製造業のなかでも単に製造するだけではなく、製品の付随的サービスやメンテナンスが収益上も重要になっています。つまり「製造業のサービス化」が進んでいます。
外出自粛で一気に広がったテレワークや非接触化のための電子決済の増加は、社会と経済のICT化を一気に加速するでしょう。ペーパーレス化で製紙業界に打撃を与えたり、都心のオフィス需要を低下させたりして、「非物質主義的転換」につながるでしょう。非接触化と非物質主義化は同時並行で進みます。付加価値の高い製造業とサービス業を目指していくと、必然的に温室効果ガスを大量に排出する産業の占める割合は減ります。
この「非物質主義的転換」が、コロナ危機で加速しています。昔からある言葉でいえば、「知識経済化」がさらに進みます。非接触化と非物質主義的転換をキーワードに、景気対策は「グリーン・ニューディール」で行くべきです。自然エネルギー普及、住宅や事業所の省エネ化・断熱化、AI化・IoT化による環境と調和したスマート農業、打撃を受けた観光業の高付加価値化、公共交通機関の拡充などにお金を使って景気回復を目指すべきです。非接触化、非物質化、脱炭素化が、新しい経済をつくるキーワードになると思います。
4位 ジョセフ・E・スティグリッツ 2020年 『スティグリッツ プログレッシブ・キャピタリズム』 東洋経済新報社
ノーベル経済学賞受賞のスティグリッツ教授の本です。コロナ危機により「小さな政府」の終えんが可視化されました。感染症や災害といった危機にあたっては政府が前面に出る重要性が明確になりました。新自由主義と「小さな政府」を乗り超えることが、ポストコロナの社会と経済を再建にする前提条件です。コロナ後の経済、新自由主義後の資本主義を考える指針となる本です。
5位 ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン 2020年 『自由の命運』 早川書房
今年話題の本です。経済発展とリベラルデモクラシーを両立できた国は、さほど多くありません。国家権力は暴走しがちであり、「足かせ」なしには国民の自由や権利は守れません。
アセモグルとロビンソンは、国民の自由を守り、経済的繁栄を達成するには「足かせのリヴァイアサン」が必要と指摘します。「リヴァイアサン」とは強力な国家のことですが、国家が強すぎると「専横のリヴァイアサン」となって独裁政権になり、国民の自由が侵害されます。他方、国家が弱すぎると「不在のリヴァイアサン」となり、無政府状態と無秩序に堕してしまいます。
独裁国家(専横のリヴァイアサン)と無秩序(不在のリヴァイアサン)の中間の「狭い回廊」に存在するのが「足かせのリヴァイアサン」です。「足かせのリヴァイアサン」の状態では、国家が強すぎず弱すぎず、国会と社会のせめぎ合いとバランスのなかで、自由と繁栄が維持できる、と両氏は主張します。社会が一定の強さを持つことも「足かせのリヴァイアサン」の大切な要件です。
国家の専横への「足かせ」の最たるものが立憲主義です。コロナ危機前までは安倍一強政治で「足かせ」を弱くなっていましたが、やっと社会が反撃に出たというのが昨今の日本政治の現状でしょうか。野党やメディア、東京地検などによる監視機能が「足かせ」として機能するか否かが問われています。この本で「足かせ」の重要性を再認識しました。
6位 スティーブ・コール 2019年 『シークレット・ウォーズ(上・下)』 白水社
コロンビア大学ジャーナリズム大学院長で、ピュリツァー賞を2度受賞したスティーブ・コール氏のノンフィクションです。過去30年のアフガニスタン・パキスタン情勢を丹念に取材した大部の本です。私は20歳代のころ、9・11同時多発テロ事件直後の冬から夏にかけてアフガニスタン北部でNGOスタッフとして人道援助活動に従事しました。その頃のアフガニスタンとパキスタンの情勢がよくわかり、当時知らなかったことをこの本で復習できました。血気盛んだった若かりし頃の青春の思い出を重ねながら興味深く読めました。
この本は、米国政府の意思決定プロセスを知ることができ、かつ、アフガニスタンとパキスタンをめぐる国際情勢を知るにも役立つし、和平交渉や平和構築に関心のある人にも有益だと思います。米国の意思決定プロセスにおける国務省や現地大使館、国防総省や現地軍、情報機関(CIA)、上院議員などの役割や相互作用がわかります。しばしば「アメリカの意向」などという言葉が使われますが、そんなものはあるのかないのかわかりません。米国内の多様なアクターはそれぞれ利害関心を持ち、政権交代するとアクターも大幅に入れ替わります。米国の外交・安全保障政策に一貫性がないのは当たり前で、日本の自民党長期政権と政治任用のない官僚機構の一貫性とは単純に比較できないことがよくわかります。
7位 グレアム・アリソン、フィリップ・ゼリコウ 2016年『決定の本質(第2版)』日経BP社
グレアム・アリソンの「決定の本質:キューバ・ミサイル危機の分析」の第2版です。1971年の初版は名著として知られ、国際政治学、政治学、政策決定論、組織論などの教科書として世界中で使われてきました。1999年に出た第2版は初版出版後に機密指定が解除された公文書の分析を加え、クリントン政権等の事例も追加し、さらに洗練された本になっています。初版を何十年も前に読んだ人も、再読する価値のある第2版です。
この本を読むと第三次世界大戦勃発の一歩手前まで行ったキューバ危機が、さまざまな判断ミスや誤解の連鎖により発生し、最終的には両国首脳の賢明な判断によってからくも危機を脱したことがわかります。ケネディ大統領の賢明な判断が戦争を食い止めた決め手でした。
ソ連首脳部は、キューバへの核ミサイル持ち込みを淡々と決定しました。ソ連側は米国側があれほど強烈な反応を示すとは予測していませんでした。ベルリン危機のさなかに、いわば「軽いノリ」でミサイル持ち込みを決定しています。ソ連が米国の出方を見誤ったことがキューバ・ミサイル危機のきっかけでした。
他方、米国は危機のわずか1か月前の9月19日の国家情報評価(NIE)で「キューバへのソ連の核ミサイル持ち込みはない」と評価していました。ソ連も米国もお互いに相手の出方を見誤りました。判断ミスの連続がキューバ危機を引き起こしました。
もう一歩で核戦争という場面が何度もありました。たとえば、ソ連軍は戦術核兵器(核魚雷他)をキューバに持ち込んでいましたが、米軍はそのことを知りませんでした。ケネディ政権首脳部のなかでキューバ空爆を主張する意見が多数を占めました。日本の空襲作戦を指揮したカーチス・ルメイが当時の空軍参謀総長でしたが、ルメイは空爆を主張しました。しかし、ケネディが止めました。もし空爆を実行していれば、ソ連軍の現地司令官はソ連軍のマニュアル通りに戦術核で反撃していた可能性が高いです。そうなれば核の応酬です。
ケネディ大統領が冷静な判断ができたのは、きちんとした歴史書を読んで歴史の教訓を学んでいたおかげでした。ケネディ大統領は、第一次世界大戦勃発の過程を描いた「八月の砲声(The Guns of August)」(バーバラ・タックマン、1962年)を読み、大きな影響を受けていました。私も大昔に読んだのでうろ覚えですが、ドイツ皇帝もロシア皇帝もフランスやイギリスの首脳も、何年も総力戦が続く世界大戦を始めるつもりはありませんでした。しかし、動員令により一度動き出した戦争マシーンを誰も止められず、多くの人の意図に反して世界大戦が起きました。ケネディは、キューバ危機と第一次世界大戦の類似点に気づき、緊迫した状況のなかで冷静に判断することができました。
戦争を起こさないためには、歴史から学ぶ必要があります。それも戦争の歴史をよく知ることが大切だと思います。一国のトップになる人は、歴史を学ばなくてはいけないと思います。軍事専門家のリデル・ハートが次のようなことをを言っています。
戦争を研究し、その歴史から学べ。可能な限りの強さを保て。いかなる場合でも冷静さを保て。無限の忍耐心を持て。敵を決して追い込まず、常に敵が面子を保てるようにせよ。敵の目から物事が見えるように、相手の立場に立て。徹底して独善を排除せよ-それは自己を盲目にする以外の何物でもない。よくある二つの決定的な思い込み-勝利は得られるという幻想と戦争は制限できないという幻想-から自己を解き放て。
8位 ジョーゼフ・テルシュキン 2020年 『言葉で癒す人になる』 ミルトス
米国のユダヤ教のラビのジョーゼフ・テルシュキン氏の本です。「ミルトス」というイスラエルやユダヤ教関係の出版物を出している地味な出版社から出た良書です。日本語のタイトルは「言葉で癒す人になる」ですが、サブタイトルは「ユダヤの知恵に学ぶ 言葉の賢い使い方」です。
原書(英語)のタイトルは「Words That Hurt, Words That Heal」となっていますから、直訳すると「人を傷つける言葉、人を癒す言葉」です。「人を傷つける言葉」を避けるのも、生きていく上でとても大切なことです。特にツイッターやSNSで「人を傷つける言葉」が飛び交う昨今、ぜひ多くの人に読んでほしい本です(私自身も自省しなくてはいけません)。
この本に出てくる具体例がとても感動的です。「良い本なので多くの人に読んでいただきたい」と書評をブログに書いたところ、出版社から同社の月刊誌に書評を掲載したいとのオファーがありました。字数制限もあり多少短くして修正した上で「みるとす」という月刊誌に私の書評が掲載されました。
9位 ジェイソン・スタンリー 2020年 『ファシズムはどこからやってくるか』 青土社
イェール大学のジェイソン・スタンリー教授(哲学)は、ナチスの迫害から辛くも逃れて逃げてきたユダヤ系移民の子として米国で生まれました。それだけにファシズムや人種差別への警戒感を強く持っています。同氏はファシズムを特徴づける「ファシズムの10の柱」として次のものを挙げます;1.神話的過去、2.政治宣伝(プロパガンダ)、3.反知性主義(高等教育への攻撃)、4.非現実性(陰謀説)、5.階層構造(ヒエラルキー)、6.被害者意識、7.法と秩序、8.性的不安、9.ハートランド(保守的で伝統的な価値観が支配的な地域)への回帰、10.社会福祉の団結の解体。本書はこの10の項目ごとに1章を割りふり、ファシズムの起源や特徴について述べます。
その中でも気になったのは次の記述です。
彼らは政治宣伝(プロパガンダ)で理想を語る言葉をねじ曲げ、反知性主義を推し進めて自分たちの考え方に楯突く恐れのある大学と教育システムを攻撃することで、人々の現実についての共通認識を書き換える。
日本にもファシズムの萌芽が見られます。日本学術会議の問題もファシズムの前兆といえるかもしれません。前兆のうちに芽を摘み取る必要があります。
10位 メアリアン・ウルフ 2020年 『デジタルで読む脳 × 紙の本で読む脳』 インターシフト
認知神経科学、発達心理学の専門家のメアリアン・ウルフ教授(UCLA)によると、「デジタルで読む」ときと、「紙の本で読む」ときでは、脳のちがう部分が働いているそうです。「デジタルで読む脳」と「紙の本で読む脳」は異なり、デジタル脳だけに偏ることの危険性を本書は指摘します。そしてデジタル脳は「深い読み」を阻害する点に注意を喚起します。「インターネットはみごとな視覚的知能は伸ばせるが、意識的な知識の獲得、帰納的分析、批判的思考、想像力、そして熟考が犠牲になる」と著者は言います。
著者は「手近な画面で注意を引きつける魅力的なものを突きつけられると、幼い子どもたちはすぐに、たえまない感覚刺激にどっぷり浸かり、そのあと慣れっこになり、そしてしだいに半ば中毒になります。」と言います。うちの小学校3年生の娘が、冬休みになって学校で渡されたタブレットを持って帰ってきましたが、3年生の娘だけでなく、幼稚園の娘までタブレットに夢中です。ほんとに怖いです。無批判にGIGAスクール構想を推進する文部科学省や学校は、もう少し慎重に物事を考えてほしいと思います。