本日(2019年4月1日)、新元号が発表され、平成が終わります。45歳の私にとっては人生の3分の2が平成でした。人生をふり返ると、思い入れのある平成の年は次の3つです。
平成元年(1989年) 福岡県立筑紫丘高校入学
平成8年(1996年) 国際協力事業団(当時:JICA)入団
平成17年(2005年) 衆議院議員選挙 初当選
福岡県の片田舎、佐賀県との県境からすぐ近くの筑紫野市原田という場所で生まれ育った私にとって「昭和」の時代は家の近くの思い出しかありません。地元の公立小学校、公立中学校に通い、習いごとやスポーツはやらず、部活もやらず、当時からマイペースに生きていました。
近所の男の子たちは小学生時代から少年野球や剣道をやって忙しくしていましたが、私はひまでした。中学受験とも無縁だったので、ひとりで釣りに行ったり、図書館に行ったり、自転車で遠くに行ったりという、単独行動が好きな小学生でした。
集団行動が苦手な私は、中学校では帰宅部。高校受験を意識して塾に通い始めるまでは、やはりひまでしたが、マイペースな単独行動主義者でした。当時「荒れた」中学校だったこともあり、嫌な思い出もあります。私は「昭和」にはあまり楽しい記憶がありません。
平成元年に県立筑紫丘高校に入学しました。がんばって勉強して学区内トップ校に合格できたので、うれしかった記憶があります。小学校・中学校は住んでいる地域の学校に自動的に入学するわけですが、高校からは自分で選んで自分の努力で合否が分かれるわけで、やっと自分の人生を自分でコントロールしている感覚が持てたような気がしました。「平成」に入って人生が少し明るくなった気がします。
大学入学もうれしかったのですが、ICUは元号は一切使わず、西暦を使って生活していたので、大学時代は「平成」を意識していませんでした。
次に「平成」を強く意識したのは、平成8年に就職したJICA(当時は国際協力事業団、現在は国際協力機構)です。そのころJICA内で先輩や上司について会話する時に「あの人は〇〇年入団だから△△さんと同期だ」みたいな言い方をすることが多かった気がします。社内の自己紹介でも「平成8年入団の山内です」といった言い方をすることが多かったため、「平成8年」は特別な年です。JICAも政府機関なので、公的な文書は元号を使っていた気がします。JICA時代は元号中心の生活でした。
JICAのあとはNGOに転職したり、イギリスの大学院に入り直したりで、しばらく元号とは無縁の「西暦中心の生活」を何年か送りました。
久しぶりに元号を意識したのは、初めて選挙に出た平成17年です。第44回衆議院議員総選挙で初当選。国会も元号をよく使う場所なので、平成17年以来ふたたび元号中心に業務が回る世界に戻りました。
平成17年の初当選以来の14年間が、平成の後半にほぼあたります。平成の後半は、途中1度は落選して約3年浪人しましたが、それ以外の11年ほどは衆議院議員という責任ある立場にあったにもかかわらず、日本の国力低下や少子化、政治の右傾化、地球環境の劣化を食い止めることができなかった責任を感じています。
新しい元号が始まりますが、崩れる政治を立て直し、格差で分断された社会を修復し、やせ細った中間層を分厚くし、地球環境の悪化を食い止めるため、がんばりたいと思います。まずは目前の統一地方選、夏の参議院議員選挙、そして政権選択の衆議院選挙に向けて努力し、政治の流れを変えたいと思います。新元号が発表される今日、決意をあらたにがんばります。