日本政府が主導してきたアフリカ開発会議(TICAD)が閉幕しました。TICADは日本政府が提案して1990年代に始まった国際会議です。TICADの報道を見ていて、日本の途上国援助のあり方が安倍政権以降だいぶ変わっている印象を受けました。
昨年夏ネパールにNGOの震災復興支援チームの一員として行きました。現地の日本大使館の担当者にプロジェクトの企画案について話をしました。担当の大使館員は某インフラ官庁からの出向者でした。彼は「首都のカトマンズみたいな目立つ場所のプロジェクトならよいが、地方の目立たない場所のプロジェクトには資金は出せない。日本の存在感を示せるプロジェクトにしてほしい」という趣旨のことを言いました。
地震の被害がひどいのは震源に近い僻地です。いちばん困っている人を支援しようと思ったら、僻地でプロジェクトをやるのは当然のことです。首都のカトマンズのようにアクセスのよい場所の被災者には、比較的手厚い支援が行き届きます。逆にアクセスの悪い山岳地帯や幹線道路から外れるエリアは、国際援助もなかなか行き届きません。
私の会った大使館員は、被災者のニーズよりも、「日本の援助が目立つかどうか」を判断基準にしていました。人道的配慮や被災者の視点ではなく、人目につくかどうかという観点で判断しようとしていました。近視眼的な国益観でプロジェクトの審査をしているのがよくわかってガッカリしました。おそらく出向者の大使館員の個人的な意向というより、外務省全体の空気を反映しているのだと思います。このところの実利的かつ近視眼的なODA政策の元凶は、安倍政権の政治主導だと思います。
TICADが始まった1990年代の日本は、世界一の援助国でした。その頃の外務省は国際社会をリードするような立派な議論をしていました。緒方貞子さんが中心になって「人間の安全保障」という概念を国際社会で定着させ、日本政府も全面的にバックアップしていました。当時のODA政策は、今より優れていたと思います。資金的にも余裕があり、理念の面でも前向きでした。その頃の日本政府は、世界に誇れる貢献をしていました。
しかし、いまや日本のODA供与額は世界で5位まで落ちています。日本はいまだに世界第3位の経済大国です(OECD諸国では第2位です)。にもかかわらず、国民一人当たりのODA供与額ではOECD諸国の最低レベルです。長引く不況で「貧すれば鈍する」という感じです。
日本のODAの問題点は、金額が少ないことだけではありません。保健医療を例外として、人道援助や貧困対策といった人間の安全保障に直結する分野の援助が軽視されるようになった気がします。日本の中小企業の途上国進出や資源確保をODAで支援するという姿勢が強まり、日本の国益(それも短期的な国益)を重視する傾向が強まりました。
日本の平成27年度のODA予算は約5,400億円です。ところが、安倍総理はアフリカにおいて今後3年間で官民あわせて総額3兆円規模のインフラ整備や人材育成を行うと約束しました。ODA予算の約5,400億円は全世界を対象としており、アフリカ向けはその一部です。したがって、3兆円と豪語したアフリカ向け投資のほとんどは民間融資や円借款といった返済が必要な資金になります。純粋な「援助」ではない資金が3兆円の大半と言えます。
日本は伝統的に贈与(無償資金協力と技術協力)だけでなく、借款(返済が必要)も重視してきました。借款でインフラを整備してうまく行けばよいのですが、うまく行かないと借金だけが増えることになります。また、返済が必要という観点では、投資する価値のある案件しか対象になりません。借款を中心とした支援では、経済インフラが中心になりがちで、最貧困層や弱者への支援が後回しになりやすいです。借款がいけないということではありませんが、借款ばかりだと援助の「質」が悪くなる可能性があります。贈与ベースの技術協力や無償資金協力も増やしていく必要があります。
安倍政権の援助外交のもうひとつの問題は、中国を変に意識しすぎる点です。中国がアフリカへの支援に熱心なのは、昨日今日に始まったことではありません。中国自身が貧しかった1960年代から中国はアフリカへの援助に熱心に取り組んできました。
中国の援助のやり方には確かに問題はあります。日本は、OECDの援助のガイドラインにしたがって丁寧な手続きを踏み、環境や人権に配慮しながら援助を実施します。それに対してOECDに加盟していない中国は、環境や人権への配慮が足りない傾向があります。また、中国人の労働者を大量に送り出すので、援助受け入れ国への技術移転は進まず、雇用創出にもつながりません。また、中国の援助は、目立つ箱モノ(アフリカ連合本部ビルやスポーツのスタジアム等)やインフラ整備に偏り、貧困層への支援や人道支援には無関心です。
安倍外交の根底には「アフリカで中国が派手に援助している。日本は中国に負けないようにアフリカを援助すべきだ」という発想があるように思います。アフリカ向け援助においても中国への対抗意識が前面に出ています。しかし、そもそも中国と対抗する必要があるのか疑問です。
中国の援助のやり方には問題が多いです。一方で、アフリカに足りない資本や人材を提供している実態があります。援助を受け取るアフリカ側の利益を考えれば、むしろ中国の援助のやり方を改善させる方向へ誘導していく方がよいと思います。
OECDの援助実施のガイドラインは国際社会の共通のルールになっており、中国もそれにあわせるように働きかけることも必要だと思います。また、援助国会合等の多国間の話し合いの場に中国を引っ張り込むことも大事です。OECDのように環境や人権等の面で十分配慮するように、中国にプレッシャーをかけていくことは必要ですが、同時に中国の援助の質が向上するように中国の援助機関の人材育成やガイドライン作りに協力することもできるでしょう。
中国の援助案件と協調する案件を実施して、日本流の援助の長所を中国側に学んでもらうこともできるかもしれません。欧米やインド、韓国等の援助機関や国連機関と連携し、中国を巻き込んで国際社会が一丸となってアフリカを支援する方向へ誘導していくことが大切だと思います。それがアフリカにとっての最善の利益だと思います。
中国と日本が、アフリカで熾烈な援助合戦を行う必然性はありません。むしろ協力しながら、中国の援助の質を高め、アフリカの人たちの利益になるように導くべきです。それができれば、援助を受けるアフリカ諸国の政府や国民は、日本をさらに高く評価してくれることでしょう。
アフリカの人たちに「中国と日本のどっちを選ぶのか?」と二者択一の踏み絵を踏ませる必要はありません。中国が援助をしていること自体は、アフリカにとって良いことです。他方、中国の援助の質が高くないのは事実です。中国の援助の質を高めることができれば、アフリカの人たちは助かるし、日本にとってデメリットも特段ありません。いたずらに中国への対抗意識をむき出しにするより、中国を多国間の援助協調の枠組みに呼び込むことに力を尽くすべきです。
アメリカのいわゆる“ジャパン・ハンド”として有名で国防次官補等を歴任したジョセフ・ナイも次のように言います。
中国を敵として扱ったら、確実に中国の敵意をあおることになる。中国の国際社会への統合を促すとともに、不確実性に対してしっかり備えておくほうが、望ましい戦略だ。
ジョセフ・ナイの言う通りです。南シナ海等における中国の国際法を無視した行為に対しては、国際社会と連携して対抗措置をとる必要があります。しかし、対アフリカ援助という側面では、中国を敵視して競合する必要性はありません。むしろアフリカ諸国の発展のために、国際社会と協力して中国を国際ルールに従うように仕向けることが大切です。中国への対抗意識は捨てて、何よりも「アフリカのために」という視点でアフリカ援助を考えていくべきです。