ウクライナ戦争をめぐりロシアのプーチン大統領による核兵器の使用が懸念され、すでに「第三次世界大戦」が始まっているとの声もあります。核戦争や第三次世界大戦を防ぐため、今こそ歴史に学ぶときです。
そんな問題意識から古い本ですが、ジョン・ルイス・ギャディスの「ロング・ピース(The Long Peace)-冷戦史の証言『核・緊張・平和』」を読みました。イェール大学歴史学部教授などを務めるギャディス氏は、米国外交史や米ソ冷戦史の専門家であり、「歴史家」とも呼べるし、「国際政治学者」とも呼べる学者です。しかし、ギャディス氏には「歴史の風景」(大槻書店、2004年)という著書もあり、ご本人は「歴史家」だと自己認識しているようです。
そのほかにギリシアとペルシアの戦争、大英帝国、ナポレオン、南北戦争など、世界の歴史上の大帝国の戦略について書いた「大戦略論」(早川書房、2018年)という本がありますが、読みやすくて歴史の面白さや、現在の国際政治を理解するうえで歴史の知識が役立つことを実感できます。「大戦略論」はお薦めです。
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さて、本書「ロング・ピース」は、冷戦の歴史について書かれた本です。アメリカと旧ソ連の冷戦は、「冷戦」で済みました。熱い戦いにならず、核戦争の危機は防ぐことに成功したともいえます。朝鮮戦争やベトナム戦争はありましたが、米ソが直接ぶつかり合う全面核戦争にならず、ある意味で「冷戦という名の長い平和」ともいえます。核の均衡による「安定」もあり、戦争のない状態を保てた点は評価すべきかもしれません。
本書「ロング・ピース」はいろんなところで発表された論文を集めた論文集ですが、次のようなテーマについて議論しています。
- 朝鮮戦争が勃発する直前のアメリカの政策コミュニティ(ホワイトハウス、国務省、国防総省など)の認識や誤解。
- 冷戦初期のアメリカが核兵器を独占していた時期(=ソ連が核開発に成功する前の時期)のアメリカの自己抑制的な軍事戦略。
- 第二次世界大戦の終戦前後にかけてのアメリカやイギリスの政治指導者の認識の変化。
これらの過去の事例を見ると、トランプ大統領よりトルーマン大統領の方がよっぽど賢明だったことがよくわかります。政治の劣化の問題でもありますが、それ以上に政治指導者の劣化の問題でもあります。
この本で一番心に残ったのは、朝鮮戦争で核兵器の使用をためらった理由のひとつが国際世論だったことです。当時のトルーマン政権が気にしていたのはアジア諸国あるいは有色人種の国々の見方です。次のような記述を読んで意外に思いました。
それ以前の唯一の原爆使用がアジア人に対してであったという事実が、いまやトルーマン政権を悩ますようになった。国連や外国大使館からのレポートは、核兵器は人種差別の道具とみなされるようになっていることを強調していたからである。原爆は「有色人種」に対して使用されるためだったのだとの考えが強くなっているとサウジアラビアの国連代表はエレノア・ローズヴェルトに語った。インドのジャワハルラル・ネール首相は「原爆はアジア人に対してのみ使われるという感情がアジアで広がっている」ことに関して警告した。
サウジアラビアの国連大使やインドの首相の声がトルーマン大統領に届き、それがアメリカの核使用を抑制したのだとすれば、国際世論の重要性があらためてわかります。当時のサウジアラビアは大国でもないし、当時のインドは今ほど国際的影響力はありません。それでも国際社会の批判が、アメリカ大統領の核兵器使用の是非に関わる重要な判断に影響を与えました。
核廃絶や平和のために声をあげ続けることは、単なる自己満足や無意味な理想主義ではなく、現実の国際政治に大きな影響を与える行為であることがわかります。アメリカにとって同盟国であり、アジアの経済大国であり、対中国の安全保障政策において地政学的に重要な位置を占め、アジア有数の軍事力を持つ日本の意向は、アメリカの政策決定に大きな影響を与えます。日本政府が核軍縮や核使用抑制のために声をあげ続けることには大きな意味があります。
二番目に興味深かったのは、第二次大戦後に蜜月だったソ連と共産中国の関係を悪化させるためにアメリカがとった戦略です。共産中国の後ろ盾だったソ連は1940年台には中国と良好な関係だったものの、毛沢東がソ連の指示に唯々諾々と従うことを嫌い、少しずつ関係が悪化し、1969年には中国が中ソ国境で大規模な武力衝突を引き起こしました。
そんな状況をアメリカ政府はいち早く察知し、1953年12月にアイゼンハワー大統領、チャーチル英首相、ビドー仏外相がそろった場所でダレス国務長官が次のように述べています。
われわれの共同の利益に向けて、中ソ間の分裂を促進する機会がいずれ到来するかもしれない。(中略)共産主義中国とロシアとの間で緊張や争いを激化させるための最善の方法は、中国に対する圧力を緩和するよりも、むしろ最大の圧力を加え続けることである。圧力と緊張によって、中国がソ連に対してさらに多くの要求を行い、ソ連はそれに応じられなくなり、その結果、緊張はさらに増大する。
この発言のあった1953年夏に朝鮮戦争が停戦になったばかりなので、中国とアメリカの関係は最悪に近い状況でした。アメリカは圧力をかけ続け、中国はソ連に経済援助と軍事援助を要請しますが、ソ連はそれに十分に応じませんでした。結果的(?)に5年後に中ソ同盟があやしくなり、ダレスの読み通りの展開となりました。
いま中国とロシアの関係は良好です。朝鮮戦争で協力していた頃の中国とソ連の関係も良好でした。しかし、朝鮮戦争が終わってから中ソ関係は悪化しました。ウクライナ戦争が終わったら中ロ関係にも変化が現れる可能性もあるのかもしれません。アメリカが中国に圧力をかけ続けているのも、1950年代のダレスと同じ発想なのかもしれません。少なくともアメリカの政策コミュニティの専門家たちは1950年代の中ソ関係の歴史を知っていると思います。
いろんな意味で冷戦の歴史は参考にできる可能性があります。世界の政治に大きな影響力を持つアメリカ大統領には、「ロング・ピース」のような歴史の本を読んで、ロシアとの熱戦を避け、かつ、ウクライナやパレスチナの人々に平和をもたらす方法を考えてほしいものです。もちろん日本の首相や外相にも読んでほしい本です。
*参考文献:ジョン・ルイス・ギャディス 2002年 「ロング・ピース-冷戦史の証言『核・緊張・平和』」 芦書房