三大震災の政府対応への五百旗頭真氏の評価

政治学者(かつ歴史学者)で防衛大学長などを歴任し、最近お亡くなりになった五百旗頭真先生の「大災害の時代」を読みました。関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災の日本の三大災害を比較しながら歴史的に振り返る興味深い名著でした。

五百旗頭先生は兵庫県出身で神戸大学教授時代に阪神淡路大震災に被災し、自宅全壊の被害を受け、ゼミの教え子を亡くすという悲しい震災体験をお持ちです。それ以来、阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本震災の復興計画づくりで重要な役割を担い、過去の震災について研究し、政策を提言されました。

五百旗頭先生の評価によると三大震災のうち政府の対応がもっとも優れていたのは阪神大震災後の復興だそうです。発災時の村山富市政権(自民・社会党・さきがけの連立政権)の初動の遅れは強く批判されましたが、発災日の午後には立ち直り迅速に緊急援助の体制と立ち上げました。

当時は国土庁(当時)に24時間体制の当直もなく、村山首相はテレビで現地の状況を知るような場面もあり、村山首相の責任を問うのは酷です。当時の有事即応体制の不備さ加減は驚くほどでしたが、有事即応体制は大幅に改善されており、東日本大震災ではかなりスムーズになりました。

村山首相は初動こそ遅かったものの、名官房副長官として知られる石原信雄氏に支えられ霞が関の体制を固め、自民党の小里貞利氏を阪神淡路大震災復興担当大臣に指名して全権を委任しました。村山首相は温厚で誠実な人柄で評価の高い政治家ですが、その美点は責任感が強く、自分の欠点を自覚した上で、できる人を全面的に信頼して仕事を任せた点だと思います。「責任は自分が持つから、自由にやってほしい」という感じで小里大臣に任せ、小里大臣も誠実な人柄と胆力で評価された政治家でしたが、その期待に十分応えました。各省庁もエース級の官僚を現地に投入し、日本政府をあげて阪神淡路大震災の復興にあたる体制を整えました。

五百旗頭先生が評価するのは兵庫県を中心とする地方自治体の対応です。当時の兵庫県知事はビジョンがあり実務能力が高い人でした。兵庫県や神戸市には優秀な職員が多いことも成功の一因といえるかもしれません。行政能力の高い兵庫県や神戸市などの地方自治体が主導して復興の青写真を考え、それを国(中央政府)が支える、という体制ができました。

霞ヶ関の中央政府主導の復興ではなく、被災地の地方自治体主導の復興になったのは、当時の村山政権の成り立ちも影響しているのかもしれません。村山首相は、大分市議と大分県議を経て、衆議院議員になりました。五十嵐広三官房長官は旭川市長を経て衆議院議員になり、小里復興大臣は鹿児島県議の出身です。ついでに石原信雄官房副長官は、もともと自治官僚で地方自治のプロです。こういう人たちが地方自治の実務を熟知していたおかげで、地方自治体や被災者の声を聴きながら、復興計画をつくることができたのでしょう。

阪神淡路大震災の直後には、関東大震災後の「帝都復興院」のような役所をつくるべきという意見もあったようですが、兵庫県知事他の反対で実現しませんでした。結果的に地方自治体が主導権を握って復興計画を進めることができ正解だったというのが五百旗頭先生の評価です。

五百旗頭先生は、東日本大震災復興構想会議の議長を務めましたが、当時の民主党政権の仕事の進め方にはかなり不満があったようです。復興が遅かった点を厳しく指摘しています。官僚を排除しようとして専門的な助言を得られなかったり、復興構想会議の委員を増やしすぎて議論をまとめるのが難しかったりと、経験不足から来る失敗が目立ったようです。ただ、復興構想会議の提言に関しては、検討部会の飯尾潤部会長(政治学者で私の指導教官)が各省庁の官僚の意見も踏まえながら作成し、その後の政策実現につながったものが多く、大きな意義があったそうです。

この本を読んで過去の事例に学ぶことは大切だとあらためて思いました。ちょっと前に出た本ですが、お薦めの本です。

*参考文献:五百旗頭真 2016年「大災害の時代 未来の国難に備えて」毎日新聞出版