今年(2024年)3月に出たばかりの「高等教育改革の政治経済学」という本は、私が以前から考えていたことを裏付ける内容で、たいへん興味深く勉強になりました。
この二十年ほどにわたり行われてきた大学改革(高等教育改革)は明らかに失敗です。科学研究論文数に表れる研究力、世界大学ランキングの順位、学生数の増減など、さまざまな指標で見た日本の大学改革は他の先進国の大学改革に比べ成果が出ていません。現場の大学教員も疲弊しています。「オーバードクター」という言葉ができるほど、博士課程を修了した人材が有効に活用されず、大学教育の成果が活かされていません。
著者(大森不二雄東北大学教授)によると、大学改革の失敗は、①ガバナンス、②財政、③政策過程、の3つの視点にまとめることができます。大森氏は次のように述べます。
政策過程に問題があり、政府の立案する政策の質が低いにもかかわらず、政府の直接統制を強化するガバナンス改革により、大学運営の裁量を拡大する各国の改革とは逆方向に進み、戦略経営に不可欠な使途自由で安定的に見込める基幹財源を減らしてしまっている。
新自由主義的な大学改革が世界中で実施されましたが、他の先進国では評価とセットで大学の裁量を広げる改革が行われました。それに対して日本だけが大学の裁量を狭め、政府によるマイクロ・マネジメント的な直接統制を強化する方向に進みました。学内ガバナンスに関しては大学経営陣の権限を強化するトップダウン型運営体制を導入する一方で、政府に対する自律性は弱体化させる改革が進められてきました。大森氏は、「大学の自律性は低く、内部の教育研究組織や運営組織のあり方にまで、各大学に個別に政府介入が行われている」と述べ、「官僚制的・計画経済的とも言える有り方である」と批判します。
大学改革の一環で国立大学の運営交付金は削減され、研究助成において競争的資金が増加しました。国立大学運営交付金は「基盤的資金」と呼ばれ、自由に使えて安定しています。他方、競争的資金は不安定であるため、先の見通しが立ちません。運営交付金が削減され、正規の教員が削減され、競争的資金による任期付き採用や非常勤の非正規教員が増えました。安定した身分で研究に専念できない若手研究者が増え、その結果が「オーバードクター」です。博士号を取得しても魅力的なポストが少なければ、わざわざ博士課程に進学しようと思う人は減ります。日本の科学研究の基礎体力を奪ってきた元凶が、国立大学運営交付金の削減です。
競争的資金はある程度目途が立っている研究ほど資金が集めやすく、海のものとも山のものともわからない研究にはなかなか予算がつきません。しかし、画期的なブレークスルーは、常人には予想できないところから生まれます。「どんな研究が将来のブレークスルーにつながるか」を予想できる人はほとんどいません。そういう人がいれば大金持ちになれます。うまく行くかどうかわからなくても、基礎研究にお金をかけることが大切です。基盤的資金である国立大学運営交付金であれば、基礎研究にお金をかけられます。しかし、競争的資金は基礎研究には回りません。基盤的資金を減らして競争的資金を増やした結果、基礎研究がおろそかになり、日本の研究力が弱体化しました。
そもそも研究の分野では「市場原理に基づいて競争すればうまく行く」とは限りません。市場競争が成り立つための重要な条件が「情報の完全性」です。しかし、まったく新しいものを発見するための研究に関しては「情報の完全性」は成り立ちません。わからないから研究するわけです。わかっていることを研究しても、学問の進歩には貢献できず、研究成果も評価されません。確実に成果が出ることがわかっている研究はそんなにありません。「競争的資金を増やして研究者同士を競わせれば、研究成果が上がる」という発想は、そもそも前提から間違っています。
研究者の自由な発想で基礎研究に取り組むためには、国立大学運営交付金のような基盤的資金が重要です。毎年1%ずつ国立大学運営交付金を減らすという「国立大学改革」は、「改悪」そのものでした。
また研究助成に関して「選択と集中」という発想で東京大学や京都大学などの名門大学のお金を集中的に投入するやり方が増えています。その代わり地方の国立大学への助成は減っています。論文数当たりの研究費に関しては、地方の国立大学の方が効率的です。日本の地方の国立大学の中には、特定の分野で世界的な研究を行っているところもあります。ニッチであってもオンリーワンの研究で成果を出している地方大学もあり、研究費の「コスパ」は意外と高いのです。すでに潤沢な研究資金を持っている東大や京大、東北大にさらに追加投資するのが、本当に効率的なのか疑問です(そうでないことを示す研究もあります)。むしろ研究者のすそ野を広げる意味では、地方の国立大学にもっと国立大学運営交付金を出した方がよいでしょう。地方の国立大学は地域の産業や公共政策に貢献している例も多く、地方の国立大学の運営交付金削減は誤りだと思います。
大森氏は次のように言います。
官邸・内閣府やその周辺の一部の関係者による思いつきのようなアイデアがそのまま政策として短期間で立案・実施されるなど、拙い制度設計のつけが大学の現場に押しつけられている。
まったく同感です。大学改革だけではありません。小中学校の「GIGAスクール構想」や小学校の英語教科化もそうでした。安倍総理肝いりの「教育再生会議」などの審議会のメンバーになった財界人や文化人、自民党文教族議員の思いつきが、そのまま政府の政策になり、「質の低い政策」として教育現場を疲弊させてきました。他の先進国でも教育改革に関わる審議会的な組織はありますが、そのメンバーはほとんどが教育学の専門家や大学関係者です。日本のように財界人や文化人、利害関係者(教育産業)などの思惑で教育政策が決められる例は少ないと思います。
教育の現場の声や専門家の知見を活かし、世界各国の事例なども参照しつつ、教育政策の質を上げていく必要があります。国立大学の運営交付金は元の水準までもどし、競争的資金よりも基盤的資金を拡充すべきです。大学の自律性を高め、政府が箸の上げ下ろしまで口を出す制度は改める必要があります。学問の自由や大学の自治をもう一度取り戻すための「再改革」が求められます。
*参考文献:田中秀明、大森不二雄、杉本和弘、大場淳(2024年)「高等教育改革の政治経済学」明石書店