沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか【書評】

私が自民党議員だった頃(2005~2009年)、自民党のシンクタンク(いまはありません)の運営委員会(?)の委員でした。その頃に自民党シンクタンクの事務局長をされていたのが、本書の著者の鈴木崇弘先生です。鈴木先生は日本のシンクタンク界を切り拓いてきた先駆者であり、公共政策の専門家です。

その近著の「沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか」を読み、おもしろかったので久しぶりに書評を書かせていただきます。沖縄科学技術大学院大学(Okinawa Institute of Science and Technology:OIST)は、とてもユニークな大学です。

税金で設立された事実上の国立大学ですが、内閣府の沖縄振興予算でほとんどの予算をまかなっているので、文部科学省の下にある国立大学ではなく、私立大学です。尾身幸次内閣府特命担当大臣が、沖縄担当大臣と科学技術担当大臣を兼務していた時に「沖縄振興予算を使って科学技術の研究大学をつくる」という発想で設立されました。文部科学省の厳しいコントロールを逃れるため、あえて内閣府の下に置いて私立大学にしたそうです。

OISTは最初から世界最高水準の研究機関をめざし、国際的で自由な大学院大学です(学部はありません)。学長は外国人で、教職員や学生のバックグランドも多様です。理事会にはノーベル賞受賞者を4人もそろえ、世界中から一流の人材を集め、文部科学省のコントコールの外側で、自律性の高い大学運営が可能になっています。

OISTがすばらしいのは、厳しい基準で選んだ優秀な人材に、信頼して自由度の高い資金を提供し、研究に専念しやすい環境を提供している点です。こういったやり方は「ハイトラスト・ファンディング・モデル(HTFM)」と呼ばれます。日本の従来の研究助成は、研究資金の不正使用を防ぐという理由はあるにせよ、箸の上げ下ろしまで文部科学省や助成機関にこまかく指導され、ときには会計検査院の検査が入りという、性悪説に基づく厳重なチェック体制を取り、結果的に自由度や柔軟性に欠ける研究助成になっています。

文部科学省による近年の「大学改革」により学問の自由や大学の自治が損なわれてきた中で、OISTはその枠組みの外側で自由にやっていることが成果につながっています。

OISTは2012年9月に最初の学生を受け入れましたが、有名な科学雑誌「Nature」で有名なシュプリンガー・ネイチャー社の「質の高い研究機関ランキング」で創立からわずか8年で9位に入りました(同ランキングで東大40位、京大60位。ただし、同ランキングは研究者数や規模で調整されているため、調整前だと研究者数が多い東大の方が上位です)。これだけ短い間に世界的な評価を受けるようになったのは驚異的です。日本の失われた30年の中で数少ないヒット商品です。

著者の鈴木先生はOISTと東京大学を比較しながら、新しい時代にあったOISTモデルの重要性を指摘します。東京大学はもともと明治期に欧米先進国へのキャッチアップのために設立されました。明治期のキャッチアップ、戦後復興期のキャッチアップでは、近代化のためのお手本となる欧米先進国の知識や技術を移転して定着させることが有効でした。そのモデルに最適だったのが官僚的な東京大学モデルでした。

しかし、キャッチアップの時代ではなくなり、多様性やオリジナリティが重要な時代となった今では、東京大学モデルよりもOISTモデルの方が適していると著者は指摘します。著者の鈴木先生が東大法学部出身なので、より説得力があります。

研究大学に限らず企業や行政もOISTのように国際性や柔軟性を重視し、男女差別や外国人差別のないインクルーシブな環境で、自由闊達に新しいことにチャレンジできる環境をつくることが、日本がもう一度成長するために必要だと思います。失われた30年は単に総理大臣の顔を変えるだけでは解決しません。教育、研究、製造、サービス、公務など、あらゆる場所でそれぞれの現場の人たちが改革に取り組むしかありません。その時の参考になるのがOISTモデルかもしれません。ご一読をお薦めします。

*参考文献: 鈴木崇弘 2024年 『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』 キーステージ21