書評です。国際日本文化研究センターの瀧井一博教授(国制史、比較法史)の「大久保利通」(2022年、新潮選書)は、大久保利通とその時代を理解する上でお薦めできる良書です。
選挙のたびに報道各社からアンケートが来ますが、そこに「尊敬する政治家」という質問がよくあります。この手の質問は嫌いです。しかし、答えざるを得ないので、深く考えずに「大久保利通」と「原敬」と答えた記憶があります。
歴史上の政治家で人気があるのは、維新の三傑では西郷隆盛でしょう。しかし、あえて大久保利通をあげるところが、博士課程(中退)で「政策決定過程論」を学んだ私のひねくれたところです。
一般的に「尊敬する政治家」に坂本龍馬をあげる政治家は信用しません。日本史の教科書から坂本龍馬が消えるというのがニュースになっていましたが、実際のところ薩長同盟は坂本龍馬がいなくても成り立っていたというのが定説です。本書を読んでも坂本龍馬登場以前から薩長の協力関係ができつつあったことがわかります。歴史小説を読んで「尊敬する政治家」に坂本龍馬の名をあげるのは、勉強不足を公言しているのと同じです。
大久保利通よりも西郷隆盛の方が人気があります。西郷隆盛は人物的に立派だったかもしれませんが、明治国家を建設したのは大久保利通です。西郷隆盛は幕藩体制を壊すのには向いていたかもしれませんが、新国家の基礎を築くには向いていなかったと思います。最後に西南戦争を止められなかったのもいただけません。征韓論も残念です。
前例のない事態や危機にあたって方向性を明確に定め、私利私欲を捨てて国家・国民のためにグイグイ物事を進めた点で、大久保利通は立派です。国家の基礎を創り日本の独立を守った功労者だと思います。出身藩の藩主に逆らい(=裏切り)、郷土の利益よりも、日本全体の利益を図り、リアリズムに徹した点も政治家としてすばらしいと思います。
台湾出兵の後始末をめぐっては、主戦論が大勢でした。しかし、北京に乗り込み、清国との交渉を見事にまとめ、まんまと報償金までせしめました。国力が充実していない当時、背伸びして日清戦争を始めていたら、その後の日本はたいへんなことになっていたでしょう。ロシアやイギリスにつけ込まれていたかもしれません。戦争を起こさなかった功績は大きいと思います。
戊辰戦争で疲弊した東北地方の振興に熱心に取り組み、有能な人材であれば幕府や佐幕派の藩からも抜擢し、オールジャパンで国家建設に取り組みました。かつての敵を許して登用し、国内の融和をはかった点も立派です。
内務省の創設を主導して、特に産業振興を重視しました。勧業博覧会を企画し、日本の工業や農業の近代化を推し進めました。岩倉使節団に参加し、欧米諸国の政治体制を学んだのはもちろんですが、工業や農業に強い関心を持ち、しかるべき人材に技術の習得を命じています。
大久保利通がいなかったら明治国家もだいぶ違うものになっていたと思います。非力な日本が、短い間に工業化を成功させ、軍事力を充実して独立を保てた功績の一部は大久保利通に帰するでしょう。
徳富蘇峰は、大久保利通を「最善を得ざれば次善。次善を得ざれば、その次善を」と評したそうです。あせらず、辛抱して、じっくり課題に取り組み、現実的に一歩一歩前に進もうとしました。ときには廃藩置県のような乱暴な改革も果断に実行しましたが、可能な限り現実的な改革を志向しました。
冷徹なリアリストであり、かつ、身内びいきを極度に恐れる無私の政治家でした。人気取りに興味のなかった大久保利通は、冷たい政治家と見られていました。非情な判断もたくさんしています。傲岸不遜な面もあります。こういう政治家は、選挙向きではありません。当時は選挙制度が導入される前だから、大久保利通のような人が指導的な政治家になれたのかもしれません。ポピュリズム政治から最も遠い政治家です。こういう政治家はもう出ないかもしれません。
さて、私はもう選挙に出る予定はないので、アンケートに答える必要はないかもしれませんが、だれかに「尊敬する政治家」を聞かれたら「大久保利通」と答え続けようと思います。
*瀧井一博 2022年「大久保利通:『知』を結ぶ指導者」新潮選書