「なぜ 人に会うのはつらいのか」(斎藤環、佐藤優)

この本は薄くて読みやすいのに、中身がすごく濃い良書だと思います。「ひきこもり」の専門家でもある精神科医の斎藤環筑波大学医学部教授と畏友の佐藤優氏の対談本です。コロナ禍を背景に「人と会うのがつらい」ことほか、最近の社会の問題や世相をわかりやすく論じた本です。

蛇足ながら、佐藤優さんを「友人」と呼ぶのは僭越な気もしますが、佐藤さんのほうで私を「友人」と書いてくださったので、ご厚意に甘えてとりあえず「畏友」と書かせていただきました。

*ご参考:

推薦のことば
作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんから、選挙に立候補した際に推薦のお言葉をいただきました。 いま、日本も世界もたいへんな複合危機に直面しています。こういう状況で日本の政界をおおっているのが反知性主義です。反知性主義とは、客観性や実...

この本に出てくる「自殺率が目に見えて低い町の秘密」というエピソードが特におもしろかったです。日本国内の自殺率は、地域差が大きいそうです。徳島県の旧海部町というところは自殺の「希少地域」だそうです。隣接した町の自殺率は低くないのに、この町だけは異常に自殺率が低いそうです。

この町では「赤い羽根共同募金」が集まらないそうです。「募金したい人はすればいい。わしは嫌や」という人も、このコミュニティでは排除されません。人間関係が緊密過ぎず、全体主義的であることを嫌う気質が強いそうです。自殺がもっとも少ない地域は、意外なことに「きずな」が弱いそうです。

ただし、地域のつながりが一概に希薄ということでもなく、江戸時代から続く「朋輩組」という相互互助組織が発達しているそうです。行政の末端のようなふつうの「自治会」とは異なり、「朋輩組」は入退会自由な上に旧家もよそ者も分け隔てなく受け入れるそうです。「長老や実力者の発言は絶対」という雰囲気はないそうです。

また、この町の人は、人を地位や学歴で評価せず、一度の失敗を責め立てたりしない傾向があります。そして他者に援助を求めることを恥としません。この地域には「病、市(いち)に出せ」ということわざがあり、問題があったら公にして助けを求めることが是とされます。

この町では、自殺率が異常に低い一方で、うつ病の受診率は高いそうです。心の病が軽症のうちにお医者さんに相談しているおかげで、自殺に至る人が少ないということのようです。斎藤氏は次のように言います。

緊密過ぎず、多様性を認め合う人間関係といったベースがあるからこそ、弱音の吐ける環境ができ、結果的に自殺する人が極めて少ないコミュニティが実現している。

私も「なるほど」と思いました。ある意味で「きずな」社会は、一歩間違うと(いきすぎると)、お互いを縛り合い監視し合う環境になります。特にマッチョな男社会的・家父長制的な価値観では、「弱音を吐く」ことが許されず、精神的に追い詰められやすいのだと思います。

問題を一人で抱え込まないで、追い詰められる前に他者に援助を求められる環境づくりが大切です。同時にそもそも追い詰めないことも大切です。同調圧力が強すぎない、多様な価値観を認め合う、それでいて助けを求められる、ほどほどの「きずな」が望ましいのだと思います。

対談のなかで紹介されていた「麻薬と人間 100年の物語」(ヨハン・ハリ著)という本のエピソードもおもしろかったです。それによると、アメリカは1914年「ハリソン法」という法律で麻薬を禁止して麻薬撲滅運動を強力に推し進めました。

徹底的な取り締まりの結果、麻薬が手に入りにくくなって品薄になり、麻薬の価格が暴騰しました。同時に麻薬を隠して運びやすくするために濃度を上げる技術が発達しました。麻薬はギャングの主要な収入源になり、麻薬組織が拡大しました。麻薬密売人が豊富な資金で警官を買収し、市民に犠牲者が出ても警察は加害者を捕まえなくなりました。麻薬の厳罰化が、結果的に裏社会の拡大につながりました。禁酒法でアルカポネが儲かったのと同じ理屈です。

同書によると薬物を使用して依存症になるのは全体の1割程度だそうです。9割の人は依存症になりません。依存症になりやすいのは、戦争に従軍していたり、孤独感にさいなまれていたりと、心に問題を持っている人だそうです。

薬物依存症対策には厳罰化ではなく心のケアが重要だと斎藤氏は指摘します。依存症患者を孤立させないことが大切です。依存症の人を犯罪者扱いして社会から孤立させるより、患者としてケアする方がよいということです。

現在、政府は「大麻使用罪」を作ろうとしているそうです。ひょっとすると1914年の「ハリソン法」と同じ結果を招くかもしれません。薬物の歴史をふり返ると、「大麻使用罪」を導入して厳罰化すれば、依存症患者は減らずに、犯罪者が増えるという結果になりかねません。厳罰化で依存症患者が地下に潜ってしまうと、ますます状況は悪化します。

また、軽い気持ちで一度だけ大麻に手を出したような人まで厳罰化で犯罪者扱いしてしまうと、日本では社会復帰が難しくなり、仕事に就けずに犯罪に手を染めてしまうといった事態も想定されます。薬物依存症の人たちは、厳罰化の対象ではなく、治療の対象と見なすべきです。

斎藤氏によると、大麻に関する世界的トレンドは、懲罰ではなく、人権に基づく公衆衛生的なアプローチだそうです。「ダメ。ゼッタイ。」という「ゼロ・トレランス」的なアプローチは、世界のトレンドとは逆だそうです。

そのほか本書では、優生思想の危険性、脳科学のあやしさと危うさ、シンギュラリティ論の無意味さなど、興味深いテーマがたくさん出てきます。お買い得な本です。ぜひご一読ください。

*参考文献 斎藤環、佐藤優 2022年「なぜ 人に会うのはつらいのか」中公新書ラクレ