山口二郎氏「政権交代論」を読むと

長いこと国会が開かれず、ずっと地元にいて国会図書館(分館)に行く機会がありません。また、忙しくて本屋さんに行く時間もありません。仕方ないので自宅の書棚にある本を再読・再々読・四読する日々です。

政治学者の山口二郎教授が2009年の民主党への政権交代直前に書かれた「政権交代論」を読み直してみました(3度目です)。書かれている内容は今でも妥当性がある部分が多く、12年前から問題が解決していない、それどころか深刻化している問題が多いことを再認識しました。

たとえば次の記述は今でも妥当するし、今の方が問題が深刻かもしれません。2009年のリーマン・ショック発生の直後に書かれた文章である点に留意しながらお読みください。

政府・公共部門の役割を考える時、私企業や個人の限界をどう補うかという発想から出発する必要がある。今日の経済危機を全体的に見た時、企業や個人がそれぞれ危機を乗り切るために必死で合理的な行動をとることによって、全体としてますます危機が深刻化するという逆説を見出すことができる。いわゆる合成の誤謬(ごびゅう)という落とし穴です。

企業は生き残りのために必死でコスト削減を進める。特に従来大きな負担であった賃金コストを減らすために、正規雇用を減少させ、派遣、請負、アルバイトなどに置き換える。しかし、不安定な低賃金労働を強いられる人が増えれば増えるほど、それらの人々は将来に対する大きな不安を持ち、日々の暮らしが精一杯であるために、消費する意欲や余裕はなくなり、全体として内需は停滞する。また、若い世代で生活の余裕がなければ、子どもを持たないほうが合理的な選択となる。したがって、さらに少子化は加速化され、社会全体が活力を失っていく、このように、個々の企業や個人が目の前のリスクを回避するために合理的に行動すると、それが社会全体で合算されてより大きなリスクを作り出すことがある。これを是正することは政府にしかできない。

経済学用語でいう「合成の誤謬」が「失われた二十年」を招き、経済と賃金の低迷につながりました。この状況はこの本が書かれた2009年より今の方が深刻です。コロナ危機の今こそ政府が「合成の誤謬」を是正するために主体的に行動する必要があります。「小さな政府」では大きな災害には立ち向かえません。

いまマスコミ報道は自民党総裁選一色ですが、誰がいちばん人気があるか、どの派閥がどう動くか、という政局報道が中心です。政策の差異についても報道されていますが、基本的には党内の選挙なので大きな差異はないはずです(=大きな差異があれば党内にいないはずです)。

人気投票でリーダーを選ぶことの危険性について山口教授は次のように指摘します。

党内の圧倒的な支持を得て人気者がリーダーになるという現象は、そのリーダーが失敗し、権力を失ったとたんに、党全体が深刻なリーダーシップの危機に陥ることを意味している。(中略)

活発な議論を通して政治家が政策を共有することで政党の統合が強まるという本来の道ではなく、楽をして確実に選挙に勝つために人気者を探すという事大主義が横行し、政党の求心力が強まるという、不健全な現象が自民党内で進んだのである。

いまの自民党総裁選挙で人気者が総裁に選ばれた場合、そのようなリーダーシップの危機を招く可能性が高いと思います。2009年の段階で指摘されている問題が今年も再現されているように思います。

昨年9月に自民党内の圧倒的な支持で総裁に選ばれた菅義偉総裁も1年足らずで「選挙の顔として戦えない」という理由で「菅おろし」が吹き荒れ、総理を辞めることになりました。

組織のガバナンスではリーダーシップと同じくらいフォロアーシップも重要です。自民党議員のフォロアーシップの無さには驚きます。選挙に勝つためという理由で引きずり下ろされた菅総理が気の毒に思えます。

もうすぐ衆院選ですが、まもなく各党が選挙公約を発表する時期です。もはや「マニフェスト」という言葉を使う政党はないかもしれませんが、山口教授は日本型のマニフェストについて興味深いことを書かれています。

2003年の総選挙以降日本でも流行するようになったマニフェストについて付言するならば、現在のマニフェスト運動は政党政治を貧しくする方向に作用しているということができる。日本のマニフェストでは、政策に関する数値目標、財源、実現に要する時間などを具体的に明記することが過度に強調されている。もちろん、政策には予算が必要であり、政策によってどのような社会を実現するか、具体的に表示しなければ、政府が公約を守ったかどうか評価のしようがない。しかし、マニフェストという言葉は、そもそもマルクスが「共産党宣言」で使ったことに示されるように、何らかの世界観に基づく政治的な行動目標の宣言である。目指すべきよい社会とはどんなものかという基本的理念が根底になければ、数値目標だの、期限だのは無意味である。

現在のマニフェスト運動は、政策論議を実現可能性という官僚的発想の地平に封じ込めることによって、政党政治の可能性を押さえ込んでいるように見える。特に、野党の側からマニフェストを示す際には、正確な財源の見積もりは不可能である。政権獲得を目指す政党にとって最も重要なことは、こぢんまりした整合性ではなく、現状を批判することと、政党の基本理念がマニフェストに表現されることが第一義で、財源の確保が協調されているわけではない。数値目標を過度に強調するのは、日本的な誤解である。

まったく同感です。日本的な誤解はいまでも解けていません。大切なのは「目指す社会像」や「ビジョン」、あるいは、「政治理念」です。細かい数値や財源にこだわり過ぎる必要はありません。私も英国の労働党や保守党のマニフェストをダウンロードして熟読したことが何度かありますが、期限とか財源は書かれていなかった気がします。

通常国会閉会後はぜんぜん上京していないので、党内の選挙公約(政権構想)の検討状況はわかりませんが、立憲民主党の「目指す社会像」や「ビジョン」を明確に示した選挙公約を発表してほしいと思います。

*参考文献:山口二郎 2009年 『政権交代論』 岩波新書