政府は、2016年1月閣議決定の第5期科学技術基本計画で初登場した「Society 5.0」なる概念に基づき、IoT、AI(人工知能)、ビックデータ、ロボット工学などの最新テクノロジーを活用して経済成長を実現し、社会的課題を解決することをめざしているそうです。
その線にそって教育のICT化が進められ、GIGAスクール構想がスタートしました。教育のICT化のキーワードが「個別最適化学習」です。これは「学習者の進度や理解度に応じて、個別に最適化した学習内容を提供すること」とされます。
子どもたちは、PCやタブレット端末を前に一人一人の能力や適性に応じて、AIが提供する学習プログラムに単独で取り組むという学習形態です。個々の生徒の解答内容からAIが理解度を判定し、個々の生徒にとって最適な出題をすることでオーダーメイドの教育ができるという触れこみです。直観的には、算数のドリルや漢字学習のように単純な反復学習では効果的だと思います。他方、その副作用と弊害も考える必要があります。
個別最適化された学習では、子どもたち同士の対話や相互作用はありません。目の前の端末画面に向かって黙々とキーボードを操作する教室の様子が容易に想像されます。それでも公文式のような反復学習には役立つでしょう。
他方、AIによって最適化された学習では、能力主義に基づいて個別化した学習プログラムなので、理解できなかったら自己責任とされる傾向が出てくることでしょう。リアルな教室での学びでは、わからない子に教師やわかった子が教えるといった相互作用もあります。しかし、デジタル端末の前に座る子どもは、自分ひとりで課題に立ち向かい、わからなかったら自分の責任とされていくかもしれません。児美川孝一郎教授(法政大学)は次のように述べます。
すべての子どもが、簡単にアクティブ・ラーナーになれるわけではない。とすれば、Society 5.0型の学校からは、取りこぼされる子どもが多数生まれる。結果として危うくされるのは、公教育の本質的な役割であり、教育の機会均等や子どもたちの発達権・学習権の保障であり、教育の公共性を担保する学校教育の仕組みなのである。
教育のICT化を進めれば、学校教育から公共性が失われ、市場化と産業化が進みます。児美川氏は、経済産業省はIT産業やコンサル業界、教育産業等をフル活用する形で公教育の大がかりな改編を目論んできたと指摘します。教育のイノベーションの旗印のもとにIT産業や教育産業が学校教育に参入すれば、効率性や定量データだけを重視した学校運営に変質し、公教育の解体にもつながりかねません。
しかもIT産業や教育産業が学校に持ち込むデジタル端末と学習プログラムが、子どもたちの学力向上につながる保証はありません(以前書いたブログの通りです。)。補正予算でGIGAスクール関連の多額の予算が計上され、学校現場では一気呵成にハードの整備が進んでいますが、教育の質が保証されているわけではありません。政府は「エビデンスに基づく政策形成」を標榜していますが、教育のICT化が学力を向上させたエビデンスは少ないです(逆の結果のエビデンスさえあります)。
義務教育が無償化され税金が投じられるのは、教育には公共性があるからだと思います。教育は公共財です。教育の利益には、将来の就職や所得向上に役立つという個人的利益もありますが、労働者の質を高めて経済成長に貢献したり、社会に積極的に参加する市民を育てたりといった社会的利益もあります。教育現場の主導ではなく、教育産業やIT産業が主導して進む教育のICT化は、教育の公共性の喪失につながりかねず、危険だと思います。特に個別最適化学習が、教育の自己責任化と弱者の切り捨てにならないか、注視していかなくてはいけないと思います。
*参考文献:
児美川孝一郎 「GIGAスクールというディストピア」(岩波書店「世界」2021年1月号)
前川喜平 「教育政策と経済政策は区別せよ」(岩波書店「世界」2020年5月号)