コロナ危機の結果としてグローバル化への反省が見られるようになりました。感染症がこんなにも短期間で広範囲に広がったのもグローバル化の結果です。食料やエネルギーの自給率の低さも、グローバル化のリスクのひとつと言えます。「グローバリゼーションの終わり」を主張する識者も出てきました。
しかし、好むと好まざるにかかわらず、グローバル化自体は止まらないと私は思います。したがって、「より良いグローバル化」が必要だろうと、なんとなく思っておりました。
そんなときに大学の同窓会報(電子メール)で “for the benefit of the people and the planet”という表現を見かけて「良い表現だなぁ」と感心しました。直訳するなら「人と地球のために」というところでしょうか。語感が良いと思います。
たくさんある惑星の中でも人間が住んでいるのは地球だけです。宇宙でたったひとつの地球。「世界」とか「国際社会」といった表現より「the planet」の方が、なんか良い感じがします。私たちは宇宙でたったひとつ「the planet」に一緒に住んでいて、共生しなくてはいけない運命にあることを実感させられる表現だと思いました。
そんなことを考えていた矢先に「国際開発ジャーナル」(2020年11月号)に「『グローバル』から『プラネタリー』の時代へ」というインタビュー記事が出ていました。
国連大学グローバルヘルス研究所で所長を務め、いまはオーストラリアのモナシュ大学公衆衛生予防医学部のアンソニー・ケイポン教授のインタビュー記事でした。ケイポン教授は「人類はいまグローバルの時代からプラネタリーの時代への過渡期にいる」と言います。
文字通りにとらえると「プラネタリー(planetary)」とは「惑星の」とか「地球の」という意味ですが、「グローバル」との違いについてケイポン教授は次のように言います。
グローバルの時代を率いていたのはグローバリゼーションの考えだが、これはあくまで国境を超えた人間同士や経済のつながりを見ている。そこにはヒト以外の生物や環境への視点は欠けていた。対して、プラネタリーはそうした考えの前面に自然システムの重要性を持ってきた、地球規模の視野を持っている。この視点の下でヒトと地球双方の健康を考えるのが、プラネタリーヘルスだ。
たとえば、SDGs(持続可能な開発目標)に沿った都市開発では、排気ガスや汚水、廃棄物の発生を抑えるシステム、生態系の保全、緑地の整備、貧困、生活インフラの改善などの視点を踏まえたアプローチが必要になります。それはヒトと自然の双方の健康につながり、プラネタリーヘルスを実現していると言えます。
グローバル化そのものを否定すると、鎖国論者か、ブロック経済化論者だと思われかねません。従来型のグローバル化論者ではないけれど、地球全体を一体としてとらえる見方は重要だと思います。気候変動や海洋汚染といった課題は、自国中心主義では解決できません。
ヒトと自然が調和して共生できる地球をつくっていくための「プラネタリー」という視点は大切だと思います。果たして「プラネタリゼーション」という言葉があるのかどうか知りませんが、「グローバル」から「プラネタリー」へと視点をシフトしていく発想が必要だと思います。